物語

『リオリエント』で読む世界経済

出てくるできごと AD1004 – AD1840
できごと 9国 4
この物語に出てくる図版:MET DP342705
この物語に出てくる景徳鎮の磁器から。MET DP342705 Wikimedia Commons CC0

概要

1800年まで、世界経済の中心はアジアだった。ヨーロッパは、その列に遅れて並んだ客にすぎない。

この物語について

近代の世界はヨーロッパが作った、という見方はどこまで正しいのか。もし1800年まで世界経済の中心がアジアにあったとしたら、歴史の筋書きはどう変わるのか。

『リオリエント』(アンドレ・グンダー・フランク、1998年、日本語版2000年)は、世界システム論の内側から、その世界システム論に反論する。著者は1929年にベルリンで生まれ、ナチスを逃れて家族とともに国を出て、アメリカで経済学を学んだ。その後ラテンアメリカで教え、豊かな国が貧しい国の発展を妨げるという従属理論の代表的な論者になった。その人物が晩年に書いたのが、ヨーロッパ中心の歴史を正面からひっくり返そうとするこの本である。

イマニュエル・ウォーラーステインは、近代の世界システムが1500年ごろのヨーロッパで生まれたと書いた。ヨーロッパを中核に、アメリカ大陸や東欧を周辺に置き、分業でつながる仕組みが世界に広がっていった、という筋である。フランクは、それより前から一つの世界経済があり、中心はずっとアジアだった、と言う。ヨーロッパは新しい仕組みを作ったのではなく、既にある仕組みに後から加わったにすぎない。フランクはこの本の前に、仲間の研究者とともに、世界システムは5000年前から続いているという論集も出していた。『リオリエント』はその考えを、1400年から1800年の世界経済に絞って、数字と事例で示そうとした本である。

1400年ごろの世界を見渡すと、その主張には手がかりがある。建国から間もない明は、1405年から鄭和の南海遠征で巨大な船団をインド洋に送り、東アフリカの沿岸にまで達した。インド洋には、アラブ、インド、マレー、中国の商人が行き交う交易の網がすでに張られていた。ヨーロッパの船がそこにたどり着くのは、まだ先のことである。

1492年のコロンブスの到達のあと、ヨーロッパは一つの切り札を手に入れた。アメリカ大陸の銀である。1545年に見つかったポトシ銀山の開発をはじめ、新大陸の鉱山から大量の銀が掘り出された。同じころ日本でも石見銀山などで銀の産出が増え、一説には世界の銀の3分の1ほどを日本が産したとも言われる。フランクが注目するのは、この銀がどこへ行き着いたかである。日本の銀もまた、ポルトガルの商人の手を通じて、中国の生糸と交換される形で中国へ流れ込んだ。

証拠として挙げるのは、銀の流れになる。アメリカ大陸で掘られた銀の多くが、ヨーロッパを通り抜けて中国へ流れた。中国では紙幣が信用を失い、銀が通貨の役割を担っていた。16世紀の一条鞭法で税を銀で納めるようになると、銀への需要はさらに膨らむ。中国では銀の値打ちがほかの地域より高かったため、世界中の銀が中国へ引き寄せられた。1565年に始まるマニラ・ガレオン貿易は、メキシコのアカプルコとフィリピンのマニラを結び、新大陸の銀を太平洋越しに直接アジアへ運んだ。

ヨーロッパが売れるものはほとんど無く、アジアの製品を買うために銀を渡し続けた。中国の景徳鎮の磁器、絹、インドの綿布、そして広州の茶貿易の茶。世界市場で最も売れていたのは、どれもアジアの品だった。インドのムガル帝国、西アジアのオスマン帝国も、人口と生産の規模でヨーロッパの国々を上回っていた。インドの綿布は、東南アジアや東アフリカ、さらには西アフリカにまで運ばれ、ヨーロッパの商人が奴隷を買うときの支払いにさえ使われた。大西洋の奴隷貿易もまた、アジアの品なしには回らなかったのである。18世紀の半ばまで、中国とインドの二つで世界の工業生産の大きな部分を占めていたとする推計もある。

ヨーロッパの内側でも、アジアの品は暮らしを変えていた。インドの綿布は軽く、洗え、色鮮やかで、イギリスでは国内の毛織物業者が輸入を禁じるよう議会に迫るほど売れた。中国の磁器はヨーロッパでは長く作れず、王侯たちは競って集めた。ドイツのマイセンで磁器の焼成に成功したのは18世紀の初めで、それはアジアの品をまねて追いつこうとした努力の成果だった。

18世紀の清は、その豊かさの頂点にあった。乾隆帝の治世のもとで人口は大きく増え、領土は最も広くなった。1793年、イギリスは貿易の拡大を求めてマカートニーの使節団を北京に送ったが、乾隆帝は返書で、清はあらゆる物を豊かに産するので外国の品に頼る必要はない、という趣旨を伝えた。この言葉は、のちには時代遅れの傲慢として語られることが多い。フランクの見方では、それは当時の実情をそのまま述べたものだった。イギリスが清に売れる品を持たなかったからこそ、のちにアヘンという品が持ち込まれることになる。

ではヨーロッパは何をしたのか。フランクの答えは辛辣で、アメリカの銀という「切符」を手に入れて、既に走っていたアジアの列車に乗った、というものになる。オランダ東インド会社も、イギリスの会社も、アジアの中の交易に入り込み、そこで稼いだ利益でアジアの品を買った。ヨーロッパが中心に立ったのではなく、アジアの経済の中でうまく立ち回ったのである。

19世紀の逆転は、ヨーロッパが優れていたからではなく、アジアの側が人口の圧力で行き詰まり、そこへ石炭と機械が来たからだ、と論じる。人口が多く人手の安いアジアでは、人の代わりに機械を使う理由が弱い。人手が高く銀にも乏しいヨーロッパでは、機械に置き換える理由が強かった。18世紀の後半、アジアの経済が長い下り坂に入ったところで、イギリスで産業革命が始まる。やがて銀の流れも逆を向いた。アヘン戦争の前、中国はアヘンの代金として銀を払い出すようになっていた。

産業革命に関わる図版:Powerloom weaving in 1835
産業革命Wikimedia Commons Illustrator T. Allom, Engraver J. Tingle · Public domain

この年表には、同じ問いに違う答えを出す本が並んでいる。物語「『大分岐』で読む歴史」は、イギリスが手近に石炭を持ち、新大陸という広い土地を使えたことを重く見る。『国家はなぜ衰退するのか』は制度、『近代世界システム』は分業の構造で説明する。フランクの本は、そのどれよりも挑発的に、ヨーロッパの勝利を一時的な逸脱として描いた。

批判も多い。銀の流れの推計には大きな幅があり、中国に届いた銀の量も、それが中国の経済にどれほど効いたかも、研究者の間で意見が分かれる。アジアを一つの塊として語りすぎている、という指摘もある。ヨーロッパ中心の歴史を批判するあまり、中国を中心に置き換えただけではないか、という反論も出た。同じころ、中国とヨーロッパの経済を同じ物差しで比べ直す研究がアメリカの西海岸の研究者たちから相次ぎ、フランクの本もその流れと並べて読まれた。それでも、世界経済の歴史を1500年のヨーロッパから語り始めることの当たり前さを疑わせた点で、この本の問いは生きている。

書名の「リオリエント」には、目を東へ向け直す、という意味が込められている。フランクは2005年に亡くなった。21世紀に入って中国とインドが世界経済の中で再び大きな位置を占めるようになると、それを新しい出来事ではなく、長い歴史の中での復帰として見る議論が増えた。その議論の先に、この本がある。

この物語は、本が使ったできごとを並べ直したものになる。本文は写していない。

動画(1)

ReOrient: Global Historiography and Social TheoryCaciano Machado世界史の書き方をアジアの側から組み替える、という本の主題を扱う

この物語が起きた場所

筋(13)

年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。

  1. 景徳鎮の磁器できごと1004年世界市場で最も売れていたのはアジアの製品一つの町が、世界の磁器を焼いた。分業で一日に数万点を作り、ペルシアの藍で染めた皿がイスタンブルにもアムステルダムにも届く。最初の世界商品の一つになる。景徳鎮
  2. オスマン帝国国AD1299年頃 – AD1922年(スルタン制の廃止)アナトリア北西の小さな君侯国から始まり、コンスタンティノープルを落とし、三大陸にまたがった。19世紀に外から削られ、第一次世界大戦の敗戦で解体する。
  3. 鄭和の南海遠征できごと1405年七度の航海で数百隻の船団がアフリカ東岸まで達した。植民も征服もせず、朝貢の関係を結んで帰る。だが事業は打ち切られ、記録の多くも失われた。海は他者に委ねられる。南京
  4. コロンブスの到達できごとAD1492年10月12日世界システムはヨーロッパが作ったのではない二つの大陸が結ばれた。人・作物・家畜・病原体が行き来し、両側の世界が作り替えられる。サン・サルバドル島(位置は特定されていない)
  5. ムガル帝国国AD1526年(第一次パーニーパットの戦い) – AD1857年(インド大反乱の敗北による廃位)ティムールの子孫がインドに建てた。アクバルはヒンドゥーへの人頭税をやめて諸宗教の議論の場を作り、アウラングゼーブはそれを覆して南へ広げた。広げた先で財政が破綻する。
  6. ポトシ銀山の開発できごとAD1545年銀はヨーロッパを通り抜けて中国へ流れた南米の銀がヨーロッパを経て中国へ流れた。世界で最初の、地球を回るお金の流れ。ポトシ
  7. マニラ・ガレオン貿易できごと1565年メキシコの銀とアジアの絹が太平洋を往復した。ポトシの銀が中国へ流れる経路がここで完成する。マニラ
  8. ネーデルラント連邦共和国国AD1581年(廃位布告) – AD1795年(フランス軍の侵入による崩壊)王を戴かない共和国が、80年戦ってスペインから独立した。人口200万の国が、17世紀の世界の海運の半分を握る。株式会社と証券取引所と中央銀行が、ここでほぼ同時に生まれた。
  9. 清国AD1644年(北京入城) – AD1912年(宣統帝の退位)満洲から入って中国を治め、モンゴル・新疆・チベットを加えた。いまの中国の版図の形はここで決まる。
  10. 広州の茶貿易できごと1700年イギリスが飲む茶の代金として、銀が中国へ流れ続けた。その流れを逆にするために持ち込まれたのがアヘンになる。飲み物の習慣が、戦争の理由になった。広州
  11. 乾隆帝の治世できごと1735年18世紀まで中国が世界経済の中心清の版図が最大になった。祖父の在位年数を超えないよう60年で退位する。この先に西洋との摩擦が待っている。北京
  12. 産業革命できごと1760年ここで初めて西が上がる石炭と蒸気で、人と家畜の力に頼らない生産が始まった。人類の暮らしが根本から変わる。マンチェスター
  13. アヘン戦争できごと1840年清が英国に敗れ、香港を割いた。この敗北の報が、日本に開国の危機感をもたらす。南京

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