コロンブス交換
概要
1492年を境に、1万年ぶりに二つの生物界が繋がった。アメリカからヨーロッパ・アジア・アフリカへ、トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、キャッサバ、トマト、唐辛子、カカオ、落花生、タバコ。逆向きに、小麦、米、サトウキビ、コーヒー、馬、牛、豚、羊、そして天然痘・麻疹・インフルエンザ。旧世界の人口は新作物で増え、新世界の人口は病で9割減った。イタリア料理のトマトも、四川の唐辛子も、この交換の産物である。
場所
19.43°N -99.13°E · メキシコ
本文
最後の氷河期が終わり、アジアと北アメリカをつないでいたベーリング陸橋が海に沈んだのは、1万年あまり前のことである。それ以来、アメリカ大陸と、ユーラシア・アフリカの大陸は、生き物の上でほとんど切り離されていた。紀元1000年ごろ、ヴァイキングが北アメリカの東岸に短いあいだ住みついたが、この隔たりを破るほどのことは起きなかった。その長い時間のうちに、二つの世界ではそれぞれ別の作物が育てられ、別の家畜が飼われ、別の病原体が人々の間に住みついていった。
1492年、コロンブスがカリブ海の島に着いた(コロンブスの到達)。この日を境に、二つの世界の作物と家畜と人と病が、大西洋を渡って行き交い始めた。アメリカの歴史家アルフレッド・クロスビーは、1972年の著書でこの現象を「コロンブス交換」と名づけた。それは、人類の歴史でもっとも大きな生き物の入れ替わりの一つだった。

アメリカから旧世界へは、多くの作物が渡った。メキシコで生まれたトウモロコシ(トウモロコシの栽培化)は、広さのわりに多くの実をつけ、南ヨーロッパではポレンタになり、アフリカでは多くの地域の主食になり、中国では山がちな土地を畑に変えた。ただ、トウモロコシばかりを食べると、ビタミンの一種が足りなくなってペラグラという病にかかる。メキシコでは、トウモロコシを灰を溶かした水で煮て、この病を防いでいた。その調理の知恵は作物と一緒には伝わらず、18世紀から20世紀にかけて、イタリア北部やアメリカ南部でペラグラが広がった。
アンデスで生まれたジャガイモは、寒くてやせた土地でも育ち、同じ広さの畑から麦の何倍もの栄養を生む。北ヨーロッパの人口の伸びを支えたのは、この芋だった。経済学者の研究には、1700年から1900年にかけての旧世界の人口の伸びのおよそ4分の1は、ジャガイモの広がりで説明できるとするものがある。だが、ジャガイモに頼りすぎたアイルランドでは、1840年代に病気で芋が全滅し、大飢饉が起きた(アイルランドのジャガイモ飢饉)。
サツマイモは、中国やアフリカ、そして日本に渡った。日本では、江戸時代の中ごろから飢饉のときに人々の命をつなぐ作物として広められた。キャッサバは、乾燥とやせた土に強く、熟しても土の中に置いておけるので、戦乱のときにも奪われにくい作物としてアフリカに広まった。トマトは、毒のあるナス科の仲間だとして長く観賞用にされたが、18世紀ごろからナポリなどで料理に使われ始めた。そのほか、唐辛子(唐辛子の伝播)、カカオ、落花生、カボチャ、インゲン豆、パイナップル、バニラ、タバコ、そしてマラリアの薬になるキナの木の皮が、旧世界へ渡った。
逆向きに、旧世界からアメリカへも、多くのものが渡った。小麦、大麦、米、サトウキビ、コーヒー、バナナ、柑橘、オリーブ、ブドウ。とりわけサトウキビは、カリブ海やブラジルの大農園で大規模に育てられ、世界の歴史を動かす商品になった(カリブの砂糖プランテーション)。家畜も渡った。馬、牛、豚、羊、山羊、鶏。北アメリカの大平原の先住民は、野生化した馬を手に入れて、馬に乗ってバイソンを追う暮らしを作り上げた。馬に乗る大平原の民という姿は、ヨーロッパ人が来たあとに生まれたものである。放たれた豚や牛は増えすぎて畑や森を荒らし、羊の放牧はメキシコの高原の土を削った。

そして、病が渡った。天然痘、はしか、インフルエンザ、チフス、ジフテリア、百日咳。のちには、アフリカから蚊とともにマラリアと黄熱病が持ち込まれた。アメリカの先住民は、これらの病にかかったことがなく、免疫を持っていなかった。ユーラシアの疫病の多くは、もとは牛や豚や鶏やアヒルなどの家畜から人にうつったものだと考えられている。アメリカには、リャマやアルパカのほかに大きな家畜がほとんどおらず、その種の病も育たなかった。
1518年、天然痘はカリブ海のイスパニョーラ島に達し、1520年にはメキシコに上陸した(天然痘のアメリカ大陸上陸)。翌年、アステカの都テノチティトランが少数のスペイン人とその同盟者の前に落ちたのは、天然痘が都の人々をなぎ倒したあとだった(テノチティトランの陥落)。1492年のアメリカ大陸の人口は、研究者によって4000万人とも1億人を超えたとも推計され、大きな幅がある。しかし、そこから100年ほどのうちに、8割から9割が失われたという見方が広く受け入れられている。その大半は、戦いではなく病による死だった。

この人口の激減は、地球の気候にまで影を落としたという説もある。耕す人がいなくなった広大な畑が森に戻り、木々が大気の二酸化炭素を吸い込んだ。南極の氷に閉じ込められた空気を調べると、1610年ごろに二酸化炭素がわずかに減っていることが分かる。2019年のイギリスの研究は、この森の回復が、17世紀の寒い時期をいくらか強めた可能性を論じた。
病は逆向きにも渡ったとされる。コロンブスの帰還からまもない1495年、イタリアのナポリで梅毒が大流行した(梅毒の流行)。梅毒がアメリカから来たのかどうかには長い論争があるが、遺伝子の研究は、アメリカ起源の説を支える方向にある。

いま「その国の伝統の料理」と思われているものの多くは、この交換のあとに生まれた。イタリアのトマトのソース、四川や韓国の唐辛子の赤、ハンガリーのパプリカ、スイスのチョコレート、アイルランドのジャガイモ、アルゼンチンの牛肉。日本の食卓にも、サツマイモやカボチャ、唐辛子がある。
ただ、クロスビー自身が強調したのは、この交換が釣り合ったものではなかったということである。旧世界は新しい作物を得て人口を増やした。新世界は病で人口を失い、その空白に、旧世界の人と家畜と作物と制度が入り込んだ。大農園で働く人手が足りなくなると、アフリカから1200万人を超える人々が奴隷として運ばれた(大西洋奴隷貿易)。生き物の交換が、そのまま、大陸どうしの力の差を決めていったのである。