できごと

サフルへの渡海

Crossing to Sahul
約6万5000年前(5万〜7万年前と幅がある)
年に諸説あり重要度 5
約6万5000年前(5万〜7万年前と幅がある)マジェドベベ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っている約6万5000年前(5万〜7万年前と幅がある)の版図を描いています。

概要

氷期でも、この海は陸続きにならない。最低でも数十kmを船で渡ったことになる。人類が意図して外洋を越えた、最も古い証拠になる。

場所

マジェドベベ
-12.45°N 132.92°E · オーストラリア・北部準州

本文

最終氷期のあいだ、地球の海面はいまより最大で120メートルほど低かった。浅い大陸棚は干上がり、オーストラリアとニューギニアとタスマニアは陸続きになって、一つの大陸を作っていた。これをサフルと呼ぶ。東南アジアの側でも、マレー半島とスマトラ、ジャワ、ボルネオが陸でつながり、スンダと呼ばれる陸地になっていた。

だが、その二つの陸地のあいだには、海面が最も下がったときでも干上がらない深い海が残った。いまのインドネシア東部の、スラウェシ島や小スンダ列島の島々が浮かぶ海域である。19世紀にこの海域を調べた博物学者ウォーレスは、東と西で動物相がはっきり変わることに気づいた。西にはトラやサルがいるが、東にはカンガルーのような有袋類がいる。動物がこの海を越えられなかったからである。人類がサフルに着くためにも、この海を渡るほかなかった。

島から島へ渡る経路はいくつか考えられている。北のスラウェシを経てニューギニアへ渡る道と、南の小スンダ列島からティモールを経てオーストラリアの北西へ渡る道である。どの道をとっても、いくつもの海峡を越えねばならず、最後の一渡りは、海面が低い時代でも数十キロから100キロ近くになったと見積もられている。陸の見えない海を進む区間もあったかもしれない。

偶然の漂流では説明しにくい。嵐で流された数人がたまたま流れ着いただけなら、集団は育たない。子孫を残し、病気や事故で数が減っても絶えない集団を作るには、相当な人数が渡る必要がある。人口の模型を使った研究には、数百人から千数百人の規模が、何度かに分けて計画的に渡ったはずだと見積もるものもある。

船そのものは見つかっていない。竹や木を組んだいかだか、丸木舟のようなものだったと考えられているが、腐りやすい材料は残らない。陸から立ちのぼる煙や、島の上にかかる雲が、まだ見えない陸地の存在を教えていたのではないかという推測もある。いずれにせよ、海の向こうに何かがあると考え、そこへ向かって家族ごと漕ぎ出す行動が、ここに現れている。

到達の時期を示す遺跡の一つが、オーストラリア北部、アーネムランドの縁にある岩陰の遺跡マジェドベベである。先住民のミラー人の土地にあり、発掘は彼らとの取り決めのもとで行われた。2017年に発表された調査では、最も深い層から、数千点の石器、すり減らした赤い顔料の塊、刃を研いで仕上げた石斧などが見つかり、光ルミネッセンス法と呼ばれる測定で、約6万5000年前という年代が示された。研いだ刃を持つ斧としては、世界で最も古い部類に入る。

この年代には異論がある。砂の地層の中では、上の層の遺物が、虫の巣穴や水の動きで下へ沈み込むことがある。そのため、最も古い遺物の年代が実際より古く出ているのではないかという指摘がなされ、議論が続いている。ほかの証拠と合わせても、人類の到達は少なくとも5万年前より前だったことは、多くの研究者が認めている。南東部のマンゴ湖の人骨はおよそ4万年前、ニューギニアの高地でも、4万年以上前の石の道具が見つかっている。

人類がこうした海を越えたのは、これが初めてではなかったかもしれない。インドネシアのフローレス島には、ホモ・サピエンスが来るはるか前から、小柄な別種の人類が暮らしていた。短い海峡であれば、古い人類も何らかの方法で渡っていたことになる。ただ、サフルへの渡海は距離も回数もそれを大きく上回り、しかも集団が根づくだけの人数が渡っている点で、性質の違うものだと考えられている。

遺伝学からも、似た時期が浮かび上がる。オーストラリアの先住民とニューギニアの人々の祖先は、アフリカを出たホモ・サピエンスの最も早い移動の波の一つに連なり、数万年にわたって他の地域の集団から隔てられてきたことが、DNAの分析で示されている。その遺伝子には、アジアのどこかで交わったデニソワ人の痕跡が、他のどの地域の人々よりも多く残っている。

この渡海は、ホモ・サピエンスの出現以後の人類の歩みの中でも、特別な意味を持つ。アフリカからユーラシアへの広がりは、陸を歩いて進むことができた。サフルへ行くには、意図して外洋に出なければならない。舟を作り、水と食料を用意し、海を渡る計画を立てるという能力を、人類がこの時代までに身につけていたことの、最も古い証拠になる。

渡った人々は、それまで人類のいなかった大陸に暮らしを広げた。やがて大陸の大型の動物たちが姿を消していくが、オーストラリアの大型動物の絶滅に人類がどこまで関わったのかは、気候の変化との兼ね合いで今も論争がある。人々は数万年をかけて大陸の砂漠から熱帯の森、南のタスマニアまでに住み、オーストラリア先住民の岩絵に見られるような豊かな文化を育てた。その子孫が、いまのオーストラリアの先住民とニューギニアの人々である。世界で最も長く途切れずに続いてきた文化の一つと言われるのは、そのためである。

氷期が終わると、海面は再び上がった。タスマニアはおよそ1万年余り前に本土から切り離され、ニューギニアとオーストラリアのあいだのトレス海峡も、8000年ほど前には海に沈んだ。かつて一つだったサフル大陸は三つに分かれ、それぞれの土地で人々は独自の暮らしを続けた。最初の渡海の跡を示す海岸の遺跡の多くは、いまは海の底にあると考えられている。

出典(2)

ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳) 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』第4章 史上最も危険な種
ジャレド・ダイアモンド(倉骨彰 訳) 『銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』第15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー

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