できごと

ポリネシア人の太平洋拡散

Polynesian expansion
BC1000年頃〜AD1300年頃 – AD1300年頃
期間を持つできごと重要度 5
BC1000年頃〜AD1300年頃ラピタ(トンガ)(位置は特定されていない)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているBC1000年頃〜AD1300年頃の版図を描いています。

概要

星と波とうねりを読んで、地球の3分の1に及ぶ海域に渡った。地図も羅針盤も無しに、人類最大級の移住をやってのけた。

場所

ラピタ(トンガ)位置は特定されていない(誤差 ±200km)
-21.13°N -175.20°E · トンガ周辺(ラピタ文化の広がり)

本文

太平洋のまん中に、北のハワイ、東南のラパヌイ(イースター島)、西南のニュージーランドを結ぶ巨大な三角形がある。この中の島々に住む人々は、互いに近い言葉を話し、似た神話と社会の仕組みを持つ。それがポリネシアで、その海域は地球の表面の3分の1近くにもなる。人々はこの海を、地図も羅針盤も金属の道具も無しに渡った。

祖先をたどると、東南アジアの島々へ行き着く。言葉の系統と遺伝子の研究から、台湾周辺から南へ広がったオーストロネシア語族の人々の一部だと考えられている。紀元前1500年ごろ、ニューギニアの北東のビスマルク諸島に、模様を押した独特の土器を作る人々が現れた。その土器の分布をたどったのがラピタ土器の広がりで、人々の足跡を示している。

オークランド大学のジャック・ゴルソン (Jack Golson) とサモア人一家、サモア、ウポル島バイレレ村の発掘現場にて。1957年。
オークランド大学のジャック・ゴルソン (Jack Golson) とサモア人一家、サモア、ウポル島バイレレ村の発掘現場にて。1957年。Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

ラピタの人々は、それまで人が住んでいなかったメラネシアの東の島々へ、驚くほどの速さで広がった。紀元前900年から800年ごろには、フィジー、トンガ、サモアに達している。このトンガとサモアのあたりで、ポリネシアの文化の原型が形作られたとされる。その後もこの海域では、サモアとトンガの海の交流が続いた。

その後、拡散はしばらく止まる。どれくらい止まっていたかは、年代測定をどう解釈するかで変わる。2011年ごろから、より確かな試料だけを使った放射性炭素年代の見直しが進み、東ポリネシアへの移住は長い休止の後、11世紀から13世紀にかけて一気に進んだとする説が有力になっている。ソサエティ諸島などを足場に、ハワイへの到達、ラパヌイ、そして13世紀後半のアオテアロアへの到達へと、数百年のうちに広がった。到達の年代にはなお議論があり、幅を持って考える必要がある。

ハワイへの到達に関わる図版:Na mokupuni o Hawaii nei LOC 98680907
ハワイへの到達Wikimedia Commons Kalama, Simona P.; Lahainaluna Seminary · Public domain

使った船は、二つの船体を板でつないだダブルカヌーだった。帆を張り、20メートルを超えるものもあった。新しい島へ移る船には、水と保存食に加えて、豚、鶏、犬、そしてタロイモやパンノキ、ヤムイモの苗が積まれた。着いた先で暮らしを始めるための荷だった。これらの動植物の分布そのものが、移住の道筋を物語っている。

人と一緒に船に乗ってきた小さなネズミ、ナンヨウネズミの遺伝子も、移住の道筋を調べる手がかりになっている。島ごとのネズミの遺伝子の近さから、どの島からどの島へ人が渡ったかが推定されている。

ラピタ人の土器片の型取り(20世紀中頃の発掘)
ラピタ人の土器片の型取り(20世紀中頃の発掘)Wikimedia Commons CC0

航海の手がかりは自然の中にあった。特定の星が水平線から昇る位置と沈む位置を覚え、方角の目印にした。島から遠く離れても続くうねりの向きを読み、島に当たって乱れたり跳ね返ったりする波の変化を、船の揺れで感じ取った。陸地の上にかかる雲、夕方に陸へ帰る鳥の飛ぶ方向、海の色の変化も使った。

風上へ向かって出たことにも理由があったとする見方がある。卓越風に逆らって進めば、何も見つからなかったときに風に乗って戻りやすい。偶然に流されたのではなく、計画を立てた探検だったことをうかがわせる。

こうした知識は文字に書かれず、航海者の家系の中で、歌や語りとして受け継がれた。たどり着いた島々で、人々は首長を中心とする社会を作り、聖なる力マナと、触れてはならない禁忌タプ(タブー)の考えを共有した。ラパヌイでは巨大な石像が建てられた。モアイの造営である。人が入ったことで、島の自然も大きく変わった。ニュージーランドでは、飛べない巨大な鳥モアが、人が住み始めてから200年ほどのうちに姿を消した。モアの絶滅は、人の到来がもたらした変化の一つだ。

ヨーロッパ人は長く、これを信じなかった。18世紀に太平洋を航海したジェームズ・クックは、遠く離れた島々の人々が同じ言葉を話すことに驚き、クックの太平洋航海ではタヒチの航海者トゥパイアを船に乗せて、その知識を借りている。それでも20世紀の半ばまで、島々への到達は漂流による偶然だとする説が根強かった。1947年には、南米から筏で渡れることを示そうとした実験も行われた。

流れを変えたのは1976年のホクレア号のタヒチ航海だった。伝統的な形に復元したダブルカヌーが、ミクロネシアの航海者マウ・ピアイルグの導きで、計器を使わずにハワイからタヒチまで約4000キロを渡った。この航海はハワイの人々が自分たちの文化に誇りを取り戻すきっかけにもなり、その後ホクレア号は太平洋を何度も行き来している。

南米との接触があったことも分かってきた。南米原産のサツマイモが、ヨーロッパ人が来る前からポリネシアで栽培されていたからだ。ポリネシア人が南米まで行って持ち帰ったとする見方がある。種が海を漂って自然に渡ったとする説もあるが、2020年には、ポリネシアの一部の人々の遺伝子に、12世紀ごろの南米の人々との混血の痕跡があるという研究も発表された。

最後に人が住んだ大きな陸地の一つが、ニュージーランドだった。ヨーロッパ人が初めてこの島を見たタスマンのタスマニア・ニュージーランド到達より、300年あまり前のことになる。ポリネシアの拡散は、人類が地球の居住できる場所に広がっていった長い歩みの、最後の大きな一章でもある。

動画(1)

How did Polynesian wayfinders navigate the Pacific Ocean? - Alan Tamayose and Shantell De SilvaTED-Ed星・うねり・鳥をどう読むのか、航海術の中身が図で説明される

出典(1)

ジャレド・ダイアモンド(倉骨彰 訳) 『銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』第17章 太平洋に広がっていった人々

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