できごと

ポルトラーノ海図

Portolan chart
AD1300年頃
重要度 4
シベリアの諸集団キプチャク汗国イル汗国リャザン公国マムルーク朝ノヴゴロド公国サーミノルウェー神聖ローマ帝国ハフス朝ポーランド王国フランス王国English territoryセルジューク朝スウェーデンマクリアカスティーリャ王国カネム=ボルヌハンガリー王国ハドラマウトモロッコTeutonic Knights東ローマ帝国アラゴン王国ブルガール可汗国デンマークシチリア王国ポルトガルRaškaリトアニア大公国スコットランドオスマン帝国ヴェネツィア共和国AD1300年頃ジェノヴァ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1300年頃の版図を描いています(33勢力)。

概要

羊皮紙に、海岸線と港の名を書き、そこへ32方位の線を放射状に張り巡らせた海図。内陸は空白のことが多い。船乗りが実際に測った針路と距離の集積で、地中海の形は驚くほど正確である。最古の現存は1290年頃の「ピサ図」。ジェノヴァ、マヨルカ、ヴェネツィアが作った。理論から描いた地図ではなく、航海の経験を紙にしたもの。緯度も経度もない。羅針盤とセットで働いた。

場所

ジェノヴァ
44.41°N 8.95°E · イタリア・リグーリア州

本文

13世紀の終わり、地中海に、それまでにない種類の地図が現れた。ポルトラーノ海図である。名はイタリア語で港の案内書を意味する「ポルトラーノ」から来ている。それ以前のヨーロッパの世界図は、エルサレムを中心に置き、楽園や怪物を描き込んだ、信仰と知識の図だった。船乗りが針路を決めるのに使えるものではなかった。

ポルトラーノ海図は、たいてい羊皮紙一枚に描かれた。羊一頭分の皮をそのまま使い、首の部分の張り出しが残っているものも多い。描かれるのは海岸線である。港や岬や河口の名が、海岸線から内陸へ向かって直角に、びっしりと書き込まれる。重要な港は赤、それ以外は黒で書かれた。内陸はほとんど空白で、あっても山や川や町を飾りのように置く程度である。地図の主役は、海と、海に面した線だった。

地中海のポルトラーノ海図(14世紀前半、米国議会図書館所蔵、現存最古の海図)
地中海のポルトラーノ海図(14世紀前半、米国議会図書館所蔵、現存最古の海図)Wikimedia Commons anonymous, probably Genoan · Public domain

その上を、方位の線が網のように覆う。図の中にいくつかの中心が置かれ、そこから風の方向にちなむ32の方位へ、線が放射状に伸びる。主な8方位は黒、その間の方位は緑、さらに細かい方位は赤、と色分けされることが多い。使い方は単純である。出発の港と目的の港を結び、それにいちばん近い方位線を探す。その方位が、羅針盤が海に出るで針を合わせる針路になる。距離は、図の縁に描かれた縮尺の目盛りで測る。風や潮で針路を外れたときに、どれだけ進めば元の線に戻れるかを計算する「マルテロイオ」と呼ばれる表も使われた。

驚かされるのは、その正確さである。地中海と黒海の海岸線の形は、近代の測量図に重ねても大きく崩れない。経度も緯度も、地球が丸いことさえ考慮に入れずに描かれているのに、である。どんな図法に当たるのかは研究者の間でも議論がある。一方で、大西洋側の北ヨーロッパの海岸線は、地中海に比べてずっと粗い。

アゾフ海東岸のポルトラーノ海図(1466年)
アゾフ海東岸のポルトラーノ海図(1466年)Wikimedia Commons Grazioso Benincasa · Public domain

誰が、どうやって作ったのかは、分かっていない。現存する最古のものは、フランス国立図書館にある「ピサ図(カルタ・ピサーナ)」で、1290年頃のものとされる。ところがこの図は、すでに完成された形をしている。前の段階の試作にあたる図が見つかっていないのである。有力な説明は、数え切れない船乗りの記録が積み重なった結果だというものである。ここからここへ何マイル、方位はいくつ、という港の案内書が先にあり、羅針盤が普及して方位を数で言えるようになり、それを一枚の図に起こした。学者が理論から組み立てた地図ではなく、経験をそのまま紙に写したものである。古代の地図が元にあったとする説もあるが、支持は少ない。

作った場所は、海の商人の町だった。ジェノヴァ、ヴェネツィア、ピサ、そして地中海の西のマヨルカ島である。署名と年の入った最古の海図は、ジェノヴァの人ピエトロ・ヴェスコンテが1311年に作ったもので、彼は工房で何点もの海図と地図帳を作った最初の職業的な海図作者として知られる。

マヨルカでは、ユダヤ人の工房が名高かった。1375年頃、アブラハム・クレスケスとその子ジャフダの工房の作とされる『カタルーニャ地図帳』がアラゴン王のために作られ、のちにフランス王に贈られた。地中海の部分はポルトラーノ海図そのもので、そこにマルコ・ポーロの記述などをもとにしたアジアが描き足されている。アフリカの内陸には、玉座に座って大きな金の塊を掲げる黒人の王がいる。マリのマンサ・ムーサである。添えられた文は、この王が国に産する金によってこの地方で最も富める王だと記す。マンサ・ムーサの巡礼の評判は、海図の工房にまで届いていた。

マンサ・ムーサの巡礼に関わる図版:Catalan Atlas BNF Sheet 6 Mansa Musa (cropped)
マンサ・ムーサの巡礼Wikimedia Commons attributed to Abraham Cresques · Public domain

15世紀にポルトガルの船がアフリカの西岸を南へ下り始めると、海図は変わり始める。陸の見えない大洋では、太陽や北極星の高さから緯度を測り、それを頼りに進むようになり、海図にも赤道や緯度の目盛りが加わった。エンリケ航海王子の時代の航海がその転機だった。16世紀にはメルカトルの図法が、方位を一定に保って進む針路を直線で引ける図を生み出す。それでも方位線の網は、慣習として長く海図に描かれ続けた。

いま博物館に残るポルトラーノ海図の多くは、金や色で美しく飾られた工芸品である。その多くは、贈り物や王侯の持ち物として作られたものと考えられている。実際に船に積まれて使われた図は、潮と水と手垢で傷み、ほとんど残らなかった。残ったものの美しさの陰に、使い潰された無数の海図があったことになる。

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