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Event / できごと

ドレッドノートの進水

HMS Dreadnought (1906)
AD1906年2月10日
重要度 3
大英帝国ロシア帝国グリーンランドオスマン帝国ドイツ帝国アラビアポルトガル帝国エジプトスウェーデン=ノルウェーオーストリア=ハンガリー帝国フランススペイングレートブリテン及びアイルランド連合王国アルジェリアモロッコイタリアルーマニアアイスランドチュニジアブルガリアギリシャデンマークセルビアボスニア・ヘルツェゴビナAD1906年2月10日ポーツマス(イギリス)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1906年2月10日の版図を描いています(24勢力)。

概要

1906年2月10日、イギリスのポーツマスの造船所で、新しい戦艦ドレッドノートが国王エドワード7世の手で進水した。それまでの戦艦は、大きさの違う砲をいくつも積んでいたが、ドレッドノートは同じ大口径の砲を10門そろえ、蒸気タービンで当時としては速い21ノットを出した。起工からおよそ1年で就役している。この一隻で、世界のすべての戦艦が一度に古くなった。ドイツはすぐに同じ型の戦艦を造り始め、英独の建艦の競争は第一次世界大戦へとつながる。日本語の「弩級」「超弩級」は、この艦の名の頭の音から来ている。

場所

ポーツマス(イギリス)
50.82°N -1.09°E · イギリス・ハンプシャー

本文

19世紀の末から20世紀のはじめ、戦艦は国の力の象徴だった。当時の戦艦は、大口径の主砲を4門ほどと、それより小さい砲をたくさん積んでいた。だが砲の性能が上がり、遠くから撃ち合うようになると、大きさの違う砲が混じっていては、水柱を見て狙いを直すのが難しくなった。同じ大きさの大口径の砲だけをそろえれば、遠くの敵にもまとめて正確に撃てる。1905年の日本海海戦も、そうした考えを後押しした。

イギリス海軍の第一海軍卿ジョン・フィッシャーは、この考えを形にした戦艦の建造を急がせた。1905年10月に起工したドレッドノートは、驚くほどの速さで造られ、1906年2月10日に進水し、同じ年の12月に就役した。12インチの主砲を10門そろえ、そのうち8門を片側に向けられた。軍艦として初めて蒸気タービンを主機に使い、それまでの戦艦より速い21ノットを出した。

ドレッドノートが就役すると、世界のすべての戦艦は「前ド級艦」として一度に時代遅れになった。イギリス自身が持っていた多くの戦艦も例外ではなかった。それは、イギリスの海の上での優位がいったんゼロに戻ることでもあった。ドイツの海軍を率いるティルピッツは、すぐに同じ型の戦艦の建造に乗り出し、英独の建艦の競争は激しさを増した。イギリスでは「8隻よこせ、待てないぞ」という言葉が流行した。この競争は、両国の対立を深め、第一次世界大戦の背景の一つになった。

日本語では、ドレッドノートの頭の音をとって、同じ型の戦艦を「弩級艦」、それを上回る戦艦を「超弩級艦」と呼んだ。並外れて大きいものを「超ド級」と言うのは、ここから来ている。

当のドレッドノートは、1915年、北海でドイツの潜水艦に体当たりして沈めた。潜水艦を沈めた唯一の戦艦とされる。だが翌年のユトランド沖海戦には、修理中で加わらなかった。より大きく強い戦艦が次々に現れるなか、ドレッドノートは1921年に売られて解体された。艦の名だけが、一つの時代を表す言葉として残った。

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