概要
1967年3月18日、クウェートの原油を満載した大型タンカー、トリー・キャニオン号が、イギリス南西の端の沖のセブン・ストーンズ岩礁に乗り上げた。潮の時刻に間に合わせようと、船長が近道をとったためだった。流れ出た十万トンを超える原油は、コーンウォールとフランスのブルターニュの海岸を黒く覆った。イギリス政府は、空軍と海軍の飛行機で船を爆撃し、油を燃やそうとした。油を散らすために大量にまいた洗剤は、油よりも海の生き物を殺した。大型タンカーの時代に起きた最初の大きな事故は、船による海の汚染を防ぐ国際条約づくりのきっかけになった。
場所
50.06°N -6.07°E · イギリス・コーンウォール沖(ランズ・エンドとシリー諸島の間)
本文
1950年代から60年代にかけて、中東の油田から世界へ運ばれる原油の量は急に増え、それを運ぶタンカーはどんどん大きくなった。1956年にスエズ運河が一時閉ざされると(スエズ危機)、アフリカの南を回る長い航路に耐える大きな船が求められた。トリー・キャニオン号は、アメリカの会社の持ち物で、リベリアの船籍を持ち、イタリア人の船員が乗る、12万トン近い原油を積める当時最大級のタンカーだった。
1967年3月、トリー・キャニオン号は、クウェートの原油を満載して、ウェールズのミルフォード・ヘイヴンの港へ向かっていた。港に入れる潮の時刻に間に合わせようと、船長は、イギリス南西の端のランズ・エンドとシリー諸島の間の、岩礁の多い狭い海を通る近道を選んだ。3月18日の朝、船は自動操舵のまま進路を直すのが遅れ、セブン・ストーンズの岩礁に全速で乗り上げた。
船体は裂け、原油が流れ出した。流出は十万トンを超え、コーンウォールの海岸と、海峡を渡ったフランスのブルターニュの海岸に、黒く厚い油が打ち寄せた。こうした事故に備えた計画は、どの国にも無かった。イギリスは、油を海の中に散らすため、大量の洗剤を海と海岸にまいた。だが、この洗剤は油よりも強い毒を持ち、海岸の貝や海藻、魚を広く殺した。一万五千羽を超える海鳥が油にまみれて死んだ。
3月28日から、イギリス政府は、空軍と海軍の飛行機で船を爆撃し、船に残った油に火をつけて燃やそうとした。爆弾と燃料、ナパーム弾が投下され、船はようやく沈んだ。テレビで流された爆撃の映像は、世界に衝撃を与えた。
この事故は、大型タンカーの時代の海の汚染が、一つの国の手に負えないことを示した。1969年には、油の汚染による損害について船の持ち主が責任を負う条約が結ばれ、1973年には、船から海への油や廃棄物の排出を規制する条約が結ばれた。それでも大きな流出は続き、1989年には、アラスカでエクソン・ヴァルディーズ号の原油流出の事故が起きた。