ヴァイキング

概要
襲撃者として現れ、交易者になり、入植者になった。北アメリカにも、ロシアにも、イングランドにも痕跡がある。
この物語について
略奪者として現れた人々が、交易路を作り、島に社会を立ち上げ、アメリカに着いていた。全部、同じ人たちになる。では、彼らはなぜ海へ出て、なぜ最後には各地に溶けて消えていったのか。
「ヴァイキング」はもともと民族の名ではない。古ノルド語で海の遠征に出ること、またそれをする者を指した言葉で、スカンディナヴィアの農民の大半は一生畑と家畜の世話をして暮らした。それでも8世紀の終わりから約300年、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの人々は、竜骨を持ち浅い川にも入れる細長い船で、北大西洋からカスピ海までを動き回った。人口の増加、王権の強まりで居場所を失った者の存在、交易で得られる銀への欲求など、理由はいくつも挙げられているが、どれか一つに決まってはいない。
ヨーロッパがその名を知ったのは、793年6月のヴァイキングの襲来だった。イングランド北東の小島にある修道院が襲われ、修道士が殺され、宝物が奪われた。カール大帝の宮廷にいた学者アルクインは、これほどの恐怖は見たことがないと手紙に書いている。修道院が狙われたのは、そこに金銀の聖具が集まり、しかも守りがなかったからだ。この島の修道士たちは少し前に、装飾の美しいリンディスファーンの福音書を作っていた。スコットランド西岸のアイオナ修道院も、その後たびたび襲われている。

9世紀に入ると、襲撃は大きくなった。845年にはセーヌ川をさかのぼった一団がパリを囲み、フランク王シャルル2世は銀7000リーヴルを払って帰らせた。この遠征を率いたのは伝説の英雄ラグナル・ロズブロークだとされることがあるが、のちのサガに描かれた蛇の穴で死ぬラグナルの姿は、どこまで実在の人物に重なるのか分かっていない。アイルランドでは841年ごろ、川の入り江の野営地がダブリンになった。名はアイルランド語の「黒い水たまり」に由来する。
イングランドでは865年、「大異教軍」と呼ばれる大軍が上陸し、四つあった王国のうち三つが十年ほどのうちに倒れるか従わされた。残ったのはウェセックスだけで、その王がアルフレッド大王だった。878年、奇襲を受けて沼地に逃れたアルフレッドは、兵を集め直してエディントンの戦いでデーン人の首領グスルムを破る。グスルムは洗礼を受け、アルフレッドがその代父になった。和約でイングランドの東半分はデーン人の法が行われる地、デーンローとなり、そこに住みついたデーン人の言葉は英語に深く入った。「彼ら(they)」「卵(egg)」「空(sky)」といった日常の語や、「-by」で終わる村の名がその跡である。

同じ頃、スウェーデンの人々は東へ向かっていた。バルト海からロシアの川をさかのぼり、陸に船を引き上げて別の川へ移り、黒海とカスピ海に出る。年代記は862年、ノヴゴロドの人々が海の向こうのリューリクを招いて支配者にしたと伝え、これがルーシの成立の伝承になった。招かれたという筋書きをどこまで信じるかは議論があり、ルーシの起源にスカンディナヴィア人がどれほど関わったかは、近代になって政治的な論争にもなった。確かなのは、彼らがビザンツやイスラム世界と取引し、大量のアラブの銀貨がスウェーデンの地面から出ていることだ。中継地ビルカの墓からは、武具とともに葬られた人物の骨がDNAで女性と判定され、これを女性の戦士とみるかどうかでいまも議論が続いている。のちのキエフの大公スヴャトスラフは、ハザールを攻め滅ぼし、出陣の前に「お前を攻めに行く」と敵に告げたと年代記にある。
西では、海の向こうの無人の島への入植が始まった。870年代に始まるアイスランド入植である。サガによれば、ハフルスフィヨルドの戦いでハーラル美髪王がノルウェーをまとめていく過程で、王に従いたくない者たちが島へ渡った。ハーラルは国を一つにするまで髪を切らないと誓ったと伝えられる。アイスランドには王がいなかった。930年、入植者たちは野外の集会アルシングを開き、各地の首長が集まって法を唱え、争いを裁いた。いまも続く議会の起こりとされる。

一方、フランスでは土地をもらって定住する道があった。911年、西フランク王シャルル3世はセーヌ河口を荒らしていた首領ロロに土地を与え、ほかの襲撃者を防がせた。これがノルマンディー公国の成立である。臣従の礼で王の足に口づけするよう求められたロロの部下が、足を持ち上げて王をひっくり返したという話は、のちの年代記作者の語る逸話で、事実かどうかは分からない。ノルマン人は一、二世代でフランス語を話すキリスト教徒になった。
10世紀の後半、北欧の王たちは改宗しはじめる。デンマークのハーラル青歯王は、イェリングのルーン石碑に「デーン人をキリスト教徒にした」と刻ませた。デンマークの名が国の名として刻まれた早い例で、彼の異名はいまの無線通信規格の名になっている。ノルウェーのオーラフ・トリグヴァソンは剣で改宗を迫ったとサガは伝え、1000年ごろ、船「長い蛇」とともにスヴォルドの海戦で倒れた。アイスランドでは同じ頃、異教徒とキリスト教徒が割れかけたとき、法の宣誓者ソルゲイルが外套をかぶって一昼夜横になったあと、全島でキリスト教を受け入れると決めた。争いを集会で決めるという島の仕組みが、改宗のしかたにまで表れている。

さらに西へ進んだ者もいた。殺人のためアイスランドを追われた赤毛のエイリークは、980年代にグリーンランドへ渡った。良い名前なら人が来るだろうと「緑の島」と名づけたと伝えられる。その息子レイフ・エリクソンは1000年ごろ、さらに西の陸地に着いた。ヴィンランド到達である。サガの話は長く伝説と思われていたが、1960年代にカナダのニューファンドランド島のランス・オ・メドーで北欧式の建物の跡が見つかった。年輪の分析では、1021年にそこで木が切られている。のちに入植を試みた一行のなかのグズリーズはこの地で子を産み、その子がアメリカ大陸で生まれた最初のヨーロッパ人として名が残る。ただし集落は数年で放棄され、先住の人々との争いもあって、この到達はその後の歴史を何も動かさなかった。
アイルランドでは1014年、上王ブライアン・ボルがクロンターフの戦いでダブリンのノルド人と同盟軍を破ったが、王自身は戦いのさなかに殺された。イングランドへは、また大軍がやって来る。991年のマルドンの戦いでは、イングランドの指揮官が敵に川を渡らせて正々堂々と戦おうとし、敗れたと古英語の詩が歌う。王はデーンゲルドと呼ばれる銀で襲撃を買い取るようになり、1013年にはデンマーク王スヴェン双叉髭王がイングランドを征服した。彼は王になって5週間ほどで死ぬが、息子のクヌートが1016年にイングランド王になり、のちにデンマークとノルウェーの王も兼ねる北海帝国を築いた。波に向かって退けと命じ、王の力の限りを廷臣に示したという話は、12世紀の年代記にある逸話である。

ノルウェーでは1030年、国を追われたオーラフ2世が戻ってきてスティクレスタッドの戦いで殺された。死後、遺体の髪と爪が伸びていたという話が広まり、彼は聖人になった。殺された王のほうが、国の守護聖人になったのである。その異父弟がハラルド苛烈王だった。若くして国を逃れ、キエフを経てコンスタンティノープルで皇帝の親衛隊に仕え、莫大な財を持ち帰ってノルウェー王になった。
1066年、ヴァイキングの時代は一つの秋で幕を下ろす。9月、ハラルドはイングランドの王位を求めて上陸したが、スタムフォード・ブリッジの戦いでイングランド王ハロルドに討たれた。その3日後、海峡の向こうからノルマンディー公ギヨームが上陸する。南北を往復して疲れきったハロルドの軍は、10月14日のヘイスティングズの戦いで敗れた。ロロの子孫であるギヨームは、イングランド王ウィリアム1世になる。北欧から出た人々の子孫が、フランス語を話す騎士としてイングランドを取ったのだ。支配層の言葉になったフランス語は英語に大量の語を流し込み、征服王は1086年に国じゅうの土地と家畜を調べ上げたドゥームズデイ・ブックを作らせた。

ノルマン人はさらに南へも行った。南イタリアに傭兵として入ったオートヴィル家のロベール・ギスカールは、1072年にパレルモを取り、その甥ルッジェーロ2世は1130年にシチリア王となった。ギリシア語、アラビア語、ラテン語の役人が並び、イスラムの学者が王のために世界地図を作る、ヨーロッパで最も混ざった王国だった。
その後、北欧の人々は各地に溶けていった。ノルマンディーの子孫はフランス人に、ダブリンの人々はアイルランド人に、ルーシの支配層はスラヴ人になった。キエフの国は1240年にモンゴルに攻め落とされる。最も遠い定住地グリーンランドの集落は、寒冷化や交易の途絶えのなかで15世紀に消えていく(ノルウェー領グリーンランドの終焉)。1408年の結婚式の記録が、確かな最後の消息とされる。

彼らの世界を伝えるのは、主にアイスランドに残った書物である。13世紀の首長スノッリ・ストゥルルソンは、北欧の神話を詩の手引きとしてまとめた『エッダ』と、ノルウェー王の歴史『ヘイムスクリングラ』を書いた。これが無ければ、オーディンやトールの物語の多くは失われていたとされる。彼自身は1241年、政争のなかで自宅で殺された。ただしサガが書かれたのは出来事の200年以上後で、どこまでが事実かは一つ一つ確かめる必要がある。
「最初に着いたこと」と「歴史を変えたこと」は別だという例として、ヴィンランドはよく引かれる。一方、イングランドの地名と英語の語彙、ロシアという名、アイスランドの議会、英語で木曜日を指す語がトールの日に由来するように、溶けて消えたはずの人々の痕跡は、いまも暮らしのなかにある。
この物語が起きた場所
筋(62)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- コルンバのアイオナ修道院できごとAD563年のちにヴァイキングが三度襲う島アイルランドの王族の僧が、12人と小舟でスコットランドの小島に渡り、修道院を建てた。ピクト人を改宗させ、ここからノーサンブリアへ布教が延びる。『ケルズの書』はこの島で書かれ始めたとされる。アイオナ島
- ウィットビー教会会議できごとAD664年ヴァイキングの前のノーサンブリアノーサンブリア王が、復活祭の日付をアイルランド式にするかローマ式にするかを決めた。ローマ式。「天国の鍵はペテロが持っている」という一言で。アイオナから来た僧は島へ帰り、イングランドはローマの側についた。ウィットビー
- リンディスファーンの福音書できごとAD715年頃襲われる側が作っていたものケルトの渦巻きとゲルマンの組紐とローマの文字が一つの写本になった。一人の修道士が数年かけて書き、その名が奥書に残っている。リンディスファーン

- ヴァイキングの襲来できごとAD793年6月8日襲撃者として現れる修道院が襲われ、ヨーロッパは北からの脅威を知った。ヴァイキングはやがて交易者・入植者にもなる。リンディスファーン

- ビルカの交易できごとAD800年頃女の戦士の墓メーラレン湖の島。8世紀から10世紀、スウェーデンのヴァイキングの交易の町。東からアラブの銀貨、絹、ガラス。西から毛皮と奴隷。3000の墓。829年、宣教師アンスガルが来た。10世紀末に捨てられ、街は残らなかった。1993年、世界遺産。戦士の装備を持つ墓の主が女性だったことが2017年にDNAで確かめられた(戦士だったかは議論が続く)。ビルカ
- ダブリンの建設できごとAD841年黒い水たまりノルウェーのヴァイキングがリフィー川の河口に船を引き上げる場所を作った。ロングフォート。黒い水たまり、ドゥブ・リン。奴隷市場で栄え、アイルランドの王たちと戦い、1014年にクロンターフでブライアン・ボルに負けても残った。ノルウェー人が作ったアイルランドの首都。ダブリン
- ヴァイキングのパリ包囲できごとAD845年銀7000ポンドで帰らせた120隻がセーヌを遡り、パリを取った。禿頭王シャルルは銀7000ポンドを払って帰らせた。デーンゲルド(デーン人への金)の最初の大きな例。以後40年で、パリは4回襲われる。パリ
- アルフレッド大王人物AD849年頃 – AD899年10月26日ヴァイキングの侵入を食い止め、法を整え、学問を英語に訳させた。イングランド生まれの王で「大王」と呼ばれる唯一の人。
- ハーラル美髪王人物AD850年頃 – AD932年頃国を一つにするまで髪を切らないノルウェーの小王の一人が、「国を一つにするまで髪を切らない」と誓い、ハフルスフィヨルドで勝って切った。負けた者はアイスランドに逃げた。サガの伝えで、史実の輪郭は薄い。
- ラグナル・ロズブローク(伝承)できごとAD850年頃(伝承)蛇の穴サガの英雄。「毛のズボン」。竜を殺し、パリを略奪し、ノーサンブリアの王に蛇の穴に投げ込まれて「子豚たちが、老いた猪の死を聞いたら唸るだろう」と歌った。息子たちが大異教軍を率いた。実在したかは分からない。845年にパリを囲んだラグナルは、いた。パリ

- ロロ人物AD860年頃 – AD930年頃王の足をひっくり返したノルウェーかデンマークのヴァイキングで、セーヌを遡って荒らし、西フランク王からノルマンディーを与えられ、洗礼を受けた。王の足に口づけを命じられ、部下に代わりにさせ、その部下が王の足を持ち上げてひっくり返した、と伝わる。
- ルーシの成立できごとAD862年東欧の川筋へ。交易路を作る側北欧から来た集団が東欧の川筋に拠点を作った。年代記の伝える建国譚で、どこまで史実かは分かっていない。ノヴゴロド
- 大異教軍のイングランド上陸できごとAD865年四つの王国のうち三つが5年で消えたデーン人の大軍が略奪ではなく征服に来た。ヨークを取り、四つの王国のうち三つを潰す。残ったウェセックスのアルフレッドが持ちこたえる。ヨーク
- アルフレッド大王のウェセックスできごと871年止めた側から見たヴァイキングヴァイキングの侵入を食い止め、法を整え、学問を英語に訳させた。イングランドという単位がここから見えてくる。ウィンチェスター
- ハフルスフィヨルドの戦いできごとAD872年頃負けた者がアイスランドへハーラルが西ノルウェーの小王たちを海戦で破り、ノルウェーを一つにしたとサガは言う。負けた者と、税を嫌う者が、アイスランドに渡った。アイスランドの入植は、この敗者たちの話でもある。ハフルスフィヨルド

- アイスランド入植できごとAD874年無人島に社会を一から作る無人島に人が住みはじめた。誰も住んでいなかった土地に社会が一から作られる、めずらしい例になる。レイキャヴィーク

- エディントンの戦いできごとAD878年5月沼から出てアルフレッドは冬に沼地のアセルニーに隠れていた。伝説では農婦のパンを焦がした。5月、ウェセックスの兵を集めてグスルムのデーン人を破り、チッペナムに囲んだ。グスルムは洗礼を受け、アルフレッドが代父になった。イングランドが残った戦い。エディントン
- キエフ・ルーシ国AD882年(オレグのキエフ占領) – AD1240年(モンゴルによるキエフ陥落)東へ向かったヴァイキングが作ったヴァリャーグ(北欧人)が水運を握り、スラヴの地に諸公国のゆるい連合ができた。988年にビザンツからキリスト教を受け入れる。ロシア・ウクライナ・ベラルーシがそろって自分の起点と見なしている。
- ダーンローの成立できごとAD886年頃theyとeggとskyアルフレッドとグスルムの条約。テムズ川からリー川、ベドフォード、ウォトリング街道。東と北はデーン人の法、西と南はイングランド人の法。ヨーク、リンカン、ノッティンガム、ダービー、レスター。地名の -by と -thorpe、英語の they と egg と sky が、この線の向こうから来た。ウェドモア
- グスルム人物? – AD890年代父はアルフレッド大異教軍の王。ウェセックスを冬に奇襲してアルフレッドを沼に追い、エディントンで負けた。洗礼名エセルスタン。アルフレッドが代父。イースト・アングリアの王として10年治め、ダーンローの東を持った。イングランドで硬貨を打った最初のデーン人の王。
- エギル・スカラグリムソン人物AD910年頃 – AD990年頃首の贖い醜く、暴れ、詩を作った。7歳で人を殺した。ノルウェー王エイリーク血斧と争い、ヨークで捕えられて、一晩で王を讃える詩を作って命を買った。「首の贖い」。息子を海で失って『息子の喪失』。老いて盲目になり、銀を隠して死んだ。『エギルのサガ』。
- ノルマンディー公国の成立できごとAD911年土地をもらって定住する側襲撃者に土地を与えて定住させた。155年後、その子孫がイングランドを征服する。ルーアン
- ハーラル青歯王人物AD911年頃 – AD986年頃ブルートゥースデンマークを一つにし、キリスト教にし、ノルウェーの一部を取り、環状の要塞を各地に建てた。息子スヴェンに反乱されて、逃げた先で死んだ。青い歯は虫歯か、黒い髪か、分からない。1996年、二つの機器を「つなぐ」規格の名になった。
- アルシングの開設できごとAD930年野外に集まって法を読み上げる集会。いまも続く議会のうち、最も古い部類に入る。シングヴェトリル
- ブライアン・ボル人物AD941年頃 – AD1014年4月23日アイルランドの皇帝マンスターの小王から、ヴァイキングと他の王を一つずつ倒して上王になった。「アイルランドの皇帝」とアーマーの書に自分で書かせた。クロンターフで勝った日に、天幕で殺された。オブライエン家の祖。
- スヴャトスラフ人物AD943年 – AD972年私はあなたを攻めに行くイーゴリとオリガの子。母は改宗し、彼は「従士が笑う」と拒んだ。ハザールを滅ぼし、ブルガリアを取り、ビザンツと戦って和し、帰り道でペチェネグに殺された。頭蓋骨が杯になった。長い口髭と剃った頭、片耳のリング。「私はあなたを攻めに行く」と先に伝えた。
- 赤毛のエイリーク人物AD950年頃 – AD1003年頃良い名前なら人が来る父の殺人でノルウェーからアイスランドへ渡り、自分の殺人でアイスランドから西の島へ追われた。その島を「緑の地」と名づけて入植者を集めた。「良い名前なら人が来る」と。息子のレイフがさらに西へ行く。
- オーラフ・トリグヴァソン人物AD960年代 – AD1000年剣で改宗させた幼いとき奴隷として売られ、ルーシで育ち、ヴァイキングとしてイングランドを荒らし、洗礼を受けて帰り、5年ノルウェーを剣で改宗させた。拒む者は拷問した。スヴォルドで海に消えた。トロンハイムを建てた。
- イェリングのルーン石碑できごとAD965年頃デンマークの名が刻まれた最初デンマーク王ハーラル青歯王が、両親のために立てた石に「デンマーク人をキリスト教徒にした」と刻んだ。「デンマーク」という国の名が刻まれた最初。ブルートゥースの名とロゴは、この王の名とルーン文字から取った。イェリング
- ハザールの滅亡できごとAD965年スヴャトスラフユダヤ教に改宗した草原の帝国を、キエフのスヴャトスラフが攻めた。サルケル、イティル。「ハザールはブドウ園があったが、いまは一房もない」。300年、ビザンツとカリフとルーシの間に立った国が消え、草原の道が開いて、ペチェネグとクマンが来た。イティル
- レイフ・エリクソン人物AD970年頃 – AD1020年頃グリーンランドから西へ渡り、北アメリカに足をつけた。コロンブスの約500年前。
- ノルウェー人のグリーンランド入植できごとAD985年頃ヴァイキングの最も遠い定住地アイスランドを追われた赤毛のエイリークが、氷の島に「緑の土地」と名を付けて人を呼んだ。最盛期で数千人が牧畜で暮らす。ブラッタリーズ
- クヌート人物AD990年頃 – AD1035年11月12日19年の帝国スヴェンの息子。父の死後イングランドを取り直し、王エドマンドの死で全部を得た。デーンとイングランド人を同じ法で治め、ローマへ巡礼し、皇帝と並んで歩いた。ノルウェーも取った。40代で死んで、帝国は10年で消えた。
- マルドンの戦いできごとAD991年8月10日公平に、と許して負けたヴァイキングが潮の引いた堤道を渡らせてくれと頼み、エセックスの太守が「公平に」と許して、負けて死んだ。古英語の詩に残る。「心は強く、勇気は大きく」。イングランドは初めて銀を払って帰らせた。デーンゲルド。マルドン

- オーラフ2世(聖オーラフ)人物AD995年頃 – AD1030年7月29日髪と爪が伸びていたヴァイキングとして育ち、ノルウェーを取って、力で改宗させた。クヌートに追われて逃げ、戻ってスティクレスタで農民に殺された。1年後に棺を開けたら髪と爪が伸びていたとされ、聖人になった。ノルウェーの永遠の王。
- ヴィンランド到達できごとAD1000年頃北アメリカに到達。ただし何も動かなかったヨーロッパ人が北アメリカに着いた。集落は数年で放棄され、この到達は大陸の歴史を動かさなかった。ランス・オ・メドー
- スヴォルドの海戦できごとAD1000年長い蛇ノルウェー王オーラフ・トリグヴァソンが、デンマークとスウェーデンの王と裏切ったノルウェー人に海で囲まれた。船「長い蛇」で最後まで戦い、海に飛び込んで消えた。生きて戻るという噂が、何十年も続いた。スヴォルド

- アイスランドのキリスト教受容できごとAD1000年外套をかぶって一日一晩アルシングで異教徒とキリスト教徒が別々の法を持つと言い出し、法の語り手ソルゲイルが一日一晩、外套をかぶって考えて、「一つの法、一つの信仰」と告げた。キリスト教。ただし馬肉を食べることと子捨てと、隠れて神々に供えることは許す。戦争なしで宗教が変わった。シングヴェトリル

- 『ベーオウルフ』の写本できごとAD1000年頃素手で怪物と古英語で3182行。デンマークの王の館を襲う怪物グレンデル、その母、そして50年後の竜。イェーアト族の英雄ベーオウルフが、素手で、剣で、そして竜と相打ちで死ぬ。異教の話を、キリスト教徒の詩人が書いた。写本は一つだけ(ノウェル写本)。1731年、コットン家の図書館の火事で縁が焦げた。1936年、トールキンが「怪物と批評家」で、これは歴史の史料でなく詩だ、と言った。ロンドン
- ヴィンランドへの入植できごとAD1000年頃コロンブスの500年前に北米に住んだコロンブスの500年前に、ノース人が北米に住んだ。ニューファンドランドで鉄の鍛冶場と建物の跡が出た。数年で引き上げている。ランス・オ・メドー
- スヴェンのイングランド征服できごとAD1013年5週間の王デンマーク王が、1002年に妹を殺されたことと、毎年のデーンゲルドの味を覚えて、全軍で来た。ノーサンブリアとダーンローがすぐ降り、ロンドンが最後に降った。エセルレッドはノルマンディーへ。5週間で死んだ。息子クヌートが仕事を継いだ。ゲインズバラ
- クロンターフの戦いできごとAD1014年4月23日勝った側の王が死んだアイルランド上王ブライアン・ボルが、ダブリンのヴァイキングとレンスターの連合を破った。73歳の王は天幕で祈っているところを逃げてきたヴァイキングに殺された。勝った側の王が死に、アイルランドは統一されないまま残った。ダブリン

- スヴェン1世(双叉髭王)人物? – AD1014年2月3日双叉髭ハーラル青歯王の子。父を追って王に。オーラフ・トリグヴァソンをスヴォルドで沈め、イングランドから金を取り続け、1013年に征服した。5週間で死んだ。伝説では聖エドマンドの幻に槍で刺された。息子クヌートが北海帝国を作った。
- ハラルド苛烈王人物AD1015年 – AD1066年9月25日コンスタンティノープルの親衛隊長15歳でスティクレスタから逃げ、キエフでヴァリャーグになり、コンスタンティノープルの親衛隊長として地中海で戦い、金を持って帰ってノルウェー王になった。デンマークと15年戦い、イングランドを取りに行って、橋の向こうで死んだ。最後のヴァイキング。
- ロベール・ギスカール人物AD1015年頃 – AD1085年7月17日狡猾オートヴィル家の12人兄弟の6番目。南イタリアで山賊から始め、教皇を捕えて味方にし、ビザンツを追い出し、シチリアを取り、皇帝に破門された教皇を救ってローマを焼いた。「狡猾」のあだ名。ケファロニアで熱病で死んだ。
- クヌートの北海帝国できごとAD1016年波よ戻れデンマーク王の息子がイングランドを征服し、デンマークとノルウェーも継いで、北海を囲む帝国を作った。19年で消えた。「波よ戻れ」と命じて濡れた話は、王の力の限界を見せるためだったと伝わる。ロンドン
- ウィリアム1世人物AD1028年頃 – AD1087年ノルマンディー公としてイングランドを征服した。以後この島の言葉と支配層が塗り替わる。
- スティクレスタッドの戦いできごとAD1030年7月29日殺した側が聖人にノルウェーを無理にキリスト教にした王が、豪族に追われ、ルーシから戻って農民の軍に殺された。日食の日と伝わるが、日食は1か月後だった。翌年、遺体が腐っておらず、聖人になった。殺した側が、彼の名で国をまとめた。永遠の王。スティクレスタッド

- ヘイスティングズの戦いできごとAD1066年10月14日定住した子孫がイングランドを取る。英語がここで変わるノルマンディー公がイングランドを征服した。英語にフランス語が大量に流れ込む。ヘイスティングズ

- スタムフォード・ブリッジの戦いできごとAD1066年9月25日最後のヴァイキングノルウェー王ハラルド苛烈王が1万でヨークに上陸し、イングランド王ハロルドが4日で300キロ北上して奇襲した。橋の上で一人のノルウェー人が斧で40人を止めた。苛烈王は喉に矢を受けて死に、300隻のうち24隻が帰った。ヴァイキング時代の終わり。19日後、ヘイスティングス。スタムフォード・ブリッジ

- ノルマンのパレルモ征服できごとAD1072年1月10日傭兵から王へノルマンディーの小貴族の息子たちが、南イタリアの傭兵から始めて、イスラームのシチリアを取った。ギスカールと弟ルッジェーロ。5か月の包囲。アラブ人、ギリシア人、ノルマン人が同じ街に住み、その孫がシチリア王になる。パレルモ
- ドゥームズデイ・ブックできごとAD1086年牛一頭、豚一匹も征服王が、イングランドの全部の土地と家畜と人を数えさせた。「牛一頭、豚一匹も漏らさず」。1万3000の地名。ラテン語で2冊。「最後の審判の日」のように、異議を言えないから、その名がついた。いまも国立公文書館にある。ウィンチェスター

- ルッジェーロ2世人物AD1095年12月22日 – AD1154年2月26日アラビア語を話す王ノルマンのオートヴィル家。ルッジェーロ1世の子。パレルモで育ち、アラビア語を話した。南イタリアとシチリアを一つの王国に。教皇と戦い、認めさせた。アフリカの海岸を取った。ギリシア人の提督、アラブ人の学者、ラテン人の司教。パラティーナ礼拝堂の天井はアラブの職人。
- ルッジェーロ2世のシチリア王国できごとAD1130年12月25日最も混ざった王国ノルマンの傭兵の孫が、対立教皇から王冠を得て、パレルモでシチリア王になった。ギリシア人、アラブ人、ノルマン人、ユダヤ人の役人。アラビア語とギリシア語とラテン語の文書。イドリーシーに世界地図を作らせた。ヨーロッパで最も豊かで最も混ざった王国。パレルモ

- スノッリ・ストゥルルソン人物AD1179年 – AD1241年9月23日斬るなアイスランドで最も豊かな族長で、二度法の語り手になった。『エッダ』『ヘイムスクリングラ』を書き、『エギルのサガ』も彼だとされる。ノルウェー王に臣従して、裏切って、王の命令で自宅で殺された。「斬るな」が最後の言葉。
- スノッリ『エッダ』できごとAD1220年頃これがなければ神話は消えていたアイスランドの族長が、キリスト教から200年後に、北欧の神々の話を若い詩人のために書いた。オーディン、トール、ロキ、世界樹、ラグナロク。これがなければ、神話のほとんどが消えていた。書いた人は、ノルウェー王の命令で自宅の地下室で斬られた。レイクホルト

- スノッリ『ヘイムスクリングラ』できごとAD1230年頃詩は嘘をつけないアイスランドの族長が、ノルウェーの王たちの歴史を、神話の時代から1177年まで書いた。「世界の輪」。詩人の詩を証拠にした。「詩は嘘をつけない。韻が壊れるから」。ハーラル美髪王も、オーラフ聖王も、ハラルド苛烈王も、彼の書いた姿で残っている。レイクホルト

- バトゥの西征できごとAD1237年ルーシの諸公国が潰されたモンゴル軍が凍った川を道にして冬に進み、ルーシの諸公国を次々に落とした。ハンガリーとポーランドまで達し、大ハーンの死で引き返す。キーウ
- シチリアの晩祷できごとAD1282年3月30日アンジューが島を失った復活祭の月曜、パレルモの教会の前でフランス兵が女に触れた。晩祷の鐘で、街のフランス人が全部殺された。6週間で島中。シャルル・ダンジューは島を失い、アラゴンが取った。20年の戦争。ビザンツの皇帝が金を出していた。「シチリアの晩祷」はそれ以来、外国支配への一斉蜂起の名。パレルモ
- ノルウェー領グリーンランドの終焉できごとAD15世紀半ば500年続いて、消えた500年続いた入植地が、誰にも気づかれずに消えた。最後の記録は1408年の結婚式。寒冷化、交易の途絶、イヌイットとの関係。理由は一つではない。ブラッタリーズ
- ラグナル・ロズブローク人物子豚たちが唸る「毛のズボン」。サガと詩の英雄。妻はアスラウグ、シグルドとブリュンヒルドの娘。息子はイーヴァル骨無し、ビョルン鉄脇、シグルド蛇眼、ハーフダン、ウッバ。ノーサンブリアのエラが蛇の穴に投げた。「子豚たちが唸る」。息子たちが865年に来た。実在の何人かのラグナルが一人にまとめられた。
- グズリーズ・ソルビャルナルドッティル人物遠くまで行った女アイスランドからグリーンランドへ。夫が死に、レイフの弟に嫁ぎ、また死に、ソルフィン・カールセフニと組んでヴィンランドへ。そこで息子スノッリを産んだ。アメリカで生まれた最初のヨーロッパ人。帰ってローマに巡礼し、修道女になった。「遠くまで行った女」。
重なっているストーリー
同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。
キリスト教のひろがり7件を共有 / 迫害される小集団が、300年で帝国の宗教になり、そこから何度も割れながら世界へ出ていった。民族移動の時代6件を共有 / 4〜6世紀、ユーラシアの東西で同時に人が動いた。ローマだけの話ではない。誰が書き残したか5件を共有 / 残っているものが全部ではない。誰の筆によるかで、同じ出来事が違って見える。『文明崩壊』で読む歴史4件を共有 / イースター島、マヤ、グリーンランドのノルウェー人。環境を使い尽くした社会と、そうしなかった社会。草原の帝国3件を共有 / 匈奴からジュンガルまで、2500年のあいだ農耕世界の北にいた人たちの側から歴史を並べる。主権はだれのものか3件を共有 / 王が決めるのか、議会が決めるのか、国民が決めるのか。800年かけて答えが動いた。イスラム世界2件を共有 / 一世紀でイベリアからインダスまで。学問を受け継ぎ、育て、そして西へ返した。探検と発見2件を共有 / 地平線の向こうに何があるかを、確かめに行った人たちの記録。表現の歴史2件を共有 / 書いた人、描いた人、作った人。政治と戦争のあいだに、ずっと別の営みがあった。女性の権利1件を共有 / 人口の半分が、参政権を得るまでに文明の歴史のほとんどを要した。都市の歴史1件を共有 / 人が密集して住むという異常な選択が、文明のほとんどを生んだ。東ローマ千年1件を共有 / ローマの西半分が消えたあと、東半分は1000年続いた。その中身をローマの続きとして並べる。帝国と独立1件を共有 / 数十年で世界の大半が数か国のものになり、また数十年で戻った。交易路とお金1件を共有 / 運ぶ/両替する/貸す。人と物が動くところには、いつも同じ仕組みが生えてくる。接触前のアメリカ1件を共有 / 旧大陸と行き来のないまま、農耕も都市も国家も別々に生まれた。3000年ぶんの、独立した実験。海の歴史1件を共有 / 海は人と物と病と戦争を運び、人はその海を測り、守り、汚してきた。中田敦彦のYouTube大学で学ぶ歴史1件を共有 / 「中田敦彦のYouTube大学」が講義した世界史・日本史・偉人伝の人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。ムンディ先生の講義で学ぶ歴史1件を共有 / 高校の先生「ムンディ先生」が、世界史と日本史を200講ずつで通した授業の動画。ここに並ぶ項目には、その講の動画が付いている。