概要
20世紀、捕鯨船は船の上で鯨を解体する工場船と、銛を撃つ砲を備えて南極の海へ押し寄せ、シロナガスクジラなどの大型の鯨は、絶滅の手前まで減った。1946年に捕鯨の国際条約が結ばれ、国際捕鯨委員会が捕る数を決めることになったが、乱獲は止まらなかった。1960年代から鯨を守る運動が広がり、1982年7月23日、イギリスのブライトンで開かれた委員会は、商業捕鯨を一時やめることを決めた。日本は異議を取り下げたあと、調査の名目で捕鯨を続け、2019年に委員会から抜けて、自国の海での商業捕鯨を再開した。
場所
50.82°N -0.14°E · イギリス・イングランド
本文
人は古くから鯨を捕ってきた。日本の沿岸でも、江戸時代には網と銛で鯨を捕る組が各地にあり、肉から油、骨、ひげまで使われた。19世紀には、アメリカの捕鯨船が、灯火の油を求めて世界の海を回った(メルヴィル『白鯨』)。日本に来航したアメリカの船の多くも捕鯨船で、漂流したジョン万次郎を救ったのも捕鯨船だった。
20世紀に入ると、捕鯨は工業になった。ノルウェーで発明された、炸薬のついた銛を撃つ砲と、仕留めた鯨を船の上に引き上げて解体する工場船によって、それまで速すぎて捕れなかったシロナガスクジラやナガスクジラも、大量に捕れるようになった。南極の海には、ノルウェー、イギリス、のちに日本やソ連の船団が押し寄せた。シロナガスクジラは、もとの数のわずか数パーセントにまで減ったとされる。
1946年、国際捕鯨取締条約が結ばれ、1949年に国際捕鯨委員会が動き出した。委員会は捕る数の上限を決めたが、上限は高すぎ、捕鯨の国々の利害が優先された。鯨の数は減り続け、1960年代にはシロナガスクジラなどが次々に捕獲禁止になった。
1960年代の末から、環境を守る運動のなかで、鯨は知能が高く、守るべき生き物の象徴になった。1972年の国連の人間環境会議は、商業捕鯨の10年間の停止を求めた。捕鯨をしない国々が委員会に加わって多数を占めるようになり、1982年7月23日、ブライトンで開かれた委員会は、1986年から商業捕鯨の捕獲枠をゼロにすることを決めた。資源の状態を見直すまでの一時的な停止とされた。
日本は、はじめ異議を申し立てたが、アメリカとの漁業の交渉の中で取り下げ、1987年からは、条約が認める「調査」として南極の海などで捕鯨を続けた。これには、商業捕鯨の隠れ蓑だという強い批判が向けられ、2014年、国際司法裁判所は、日本の南極海での調査捕鯨は科学の調査とはいえないと判断した。2019年6月、日本は国際捕鯨委員会から脱退し、翌月から、自国の排他的経済水域の中で、商業捕鯨を31年ぶりに再開した。ノルウェーとアイスランドも、停止に従わずに商業捕鯨を続けている。