概要
インド洋は、季節で風向きが反転する。夏は南西から、冬は北東から。この規則性を掴めば、帆船は往復できる。紀元1世紀の『エリュトラー海案内記』に既に書かれている。ダウ船は、板を釘でなく椰子の繊維で縫い合わせ、三角の帆(ラティーン・セイル)で風上へも切り上がった。アラビア、ペルシア、インド、東アフリカを結び、季節ごとに港で数か月を過ごした。スワヒリの都市は、その待ち時間の上に建った。
場所
-8.96°N 39.51°E · タンザニア
本文
インド洋は、他の海と違う。北を大陸に塞がれているため、季節で風向きが完全に反転する。
夏(4〜9月)、アジアの内陸が熱せられて低気圧になり、海から陸へ**南西モンスーン**が吹く。冬(11〜3月)、内陸が冷えて高気圧になり、陸から海へ**北東モンスーン**が吹く。
だから、アラビアから東アフリカやインドへ行き、そして帰ってくることができる。ただし、行きと帰りの間に、数か月、風を待たなければならない。
「モンスーン」の語源はアラビア語の mawsim(季節、定期市の時期)。
**発見**。ギリシア語の『エリュトラー海案内記』(1世紀)に、ヒッパロスという航海者がこの風を「発見」した、とある。実際には、アラブとインドの船乗りが遥か以前から使っていた。ローマ人が学んだ、というのが正しい。
**ダウ船**。インド洋西部の伝統的な帆船の総称(バグラ、ブーム、サンブーク、ザルークなど、形と用途で名が違う)。
特徴。
(1)**縫合構造**。船板を鉄の釘でなく、ココヤシの繊維(コイア)の紐で縫い合わせ、隙間に樹脂を詰める。柔らかく、座礁しても割れにくく、修理が容易。鉄が高価で、木も限られる地域の合理である(磁気の岩が釘を抜く、という伝説もあった)。16世紀以降、ポルトガル人の影響で釘打ちが増えた。
(2)**ラティーン・セイル**(三角帆)。長い斜桁に張った大きな三角の帆。真横からの風はもちろん、風上へ向かって斜めに切り上がることができる。方形帆の船が追い風しか使えないのに対し、これは航路の自由を与えた。
(3)浅い喫水と、大きな舵。
**運んだもの**。東へ——馬、なつめやし、乳香と没薬、絨毯、ガラス。西へ——胡椒とシナモン、綿布、米、木材(マングローブの丸太。アラビアには建材の木がない)、そして陶磁器。アフリカから——象牙、金、鉄、獣皮、そして奴隷。
**スワヒリの都市**。モガディシュ、ラム、マリンディ、モンバサ、**キルワ**、ザンジバル、ソファラ。東アフリカ沿岸に、珊瑚石の建物とモスクを持つ都市が並んだ。
言語スワヒリ(アラビア語の sawāḥil「岸々」から)は、バントゥー系の文法にアラビア語の語彙が大量に入った、交易の言語である。
キルワは、13〜15世紀に最盛期を迎えた。イブン・バットゥータが1331年に訪れ、「世界で最も美しい都市の一つ」と書いた。内陸のジンバブエの金が、ソファラを経てここに集まった。フサニ・クブワ宮殿、大モスクの珊瑚石のドーム。
**待ち時間の文化**。風が変わるまでの数か月、船乗りは港で暮らす。だから、港には宿があり、商館があり、通訳があり、そして現地の女性との婚姻があった。混血の商人層が、両岸を結ぶ人的な網になった。
インド西岸のグジャラート、マラバル、コロマンデル、そしてマラッカでも、同じことが起きた。
**終わり**。1498年、ヴァスコ・ダ・ガマがマリンディで水先案内人を雇い(伝説ではイブン・マージド。史実性は疑わしい)、モンスーンに乗ってカリカットへ渡った。以後、ポルトガルが武装した船で通行証(カルタス)の制度を敷き、暴力を海に持ち込んだ。
それでも、ダウ船は消えなかった。19世紀まで、いや20世紀の半ばまで、季節風に乗って往復し続けた。いまも、エンジンを積んだダウ船が、ペルシア湾と東アフリカを行き来している。