ユトランド沖海戦
概要
イギリス151隻、ドイツ99隻。史上最大の戦艦の戦い。イギリスの巡洋戦艦が3隻爆発した。「今日は我々の忌々しい艦に何か問題があるようだ」。ドイツの艦隊は、二度と決戦を挑まなかった。戦術で勝ち、戦略で負けた。海の封鎖は続いた。
場所
56.50°N 5.50°E · 北海
本文
1906年、イギリスは大きな砲を10門そろえ、蒸気タービンで速く走る新しい戦艦を進水させた(ドレッドノートの進水)。この一隻で、それまでの戦艦はすべて旧式になった。ドイツは同じ型の艦を造って追い、両国は十年近く建艦の競争を続けた。海軍は国の誇りであり、国家予算の大きな部分を食った。
第一次世界大戦が始まっても、両国の艦隊はなかなか正面からぶつからなかった。イギリスの大艦隊は北の果てのスカパ・フローに構え、北海の出口をふさいでドイツへの海上輸送を断った。数で劣るドイツの大洋艦隊は、イギリス艦隊の一部だけをおびき出して叩き、数の差を縮めようとした。大艦隊を率いるジェリコー提督について、海軍大臣だったチャーチルは、一日の午後で戦争に負けることのできる、ただ一人の男だと書いている。艦隊を失えば、イギリスは海を失い、島国は飢える。

1916年5月31日、ドイツの新しい司令長官シェーアは、ヒッパー提督の巡洋戦艦5隻を先に立て、イギリスの艦隊を誘い出そうとした。だが、イギリスはドイツの無線を傍受して解読しており、大艦隊はその前夜にすでに港を出ていた。ビーティー提督の巡洋戦艦部隊が先行し、ジェリコーの戦艦部隊がその後ろにいた。合わせてイギリス151隻、ドイツ99隻。戦艦と巡洋戦艦だけで60隻を超える、史上最大の戦艦の戦いになる。
午後3時48分ごろ、デンマークのユトランド半島の沖で、ビーティーとヒッパーの巡洋戦艦が砲火を交えた。巡洋戦艦は、装甲を薄くして速さを得た艦である。まもなく、イギリスのインディファティガブルが砲弾を受けて爆発し、千人余りの乗員のうち助かったのは2人だけだった。さらにクイーン・メリーが爆発し、1200人以上が死んだ。旗艦の艦橋でそれを見たビーティーは、今日は我々の忌々しい艦はどこかおかしいようだ、と言ったと、そばにいた艦長が回想している。

やがてシェーアの戦艦部隊が姿を現すと、ビーティーは向きを変えて北へ走った。今度はドイツの艦隊を、まだ見えていないジェリコーの戦艦部隊の方へ誘い込むためである。午後6時半ごろ、霧と煙の向こうから、ジェリコーの戦艦24隻が横一列に並んで現れ、ドイツ艦隊の頭を押さえる形になった。この砲撃戦のなかで、イギリスの巡洋戦艦インヴィンシブルが爆発して真っ二つに割れ、千人以上の乗員のうち生き残ったのは6人だった。
シェーアは艦隊全体を一斉に180度回頭させ、霧の中へ消えた。いったんは戻ってきたが、再びジェリコーの戦艦の列に頭を押さえられると、もう一度回頭して退いた。このとき退却を隠すため、ヒッパーの傷ついた巡洋戦艦と駆逐艦に、敵へ突撃するよう命じている。のちに死の騎行と呼ばれる突撃である。

日が沈むと、ジェリコーは夜戦を避けた。暗闇で駆逐艦の魚雷にさらされる危険を冒さず、朝に決着をつけるつもりだった。ドイツ艦隊はその夜、イギリス艦隊の後ろを横切って、混乱した小さな戦いを繰り返しながら母港の方へ抜けた。6月1日の朝、イギリス艦隊の前の海には、もう敵はいなかった。
損害はイギリスの方が大きかった。沈んだ艦はイギリス14隻、ドイツ11隻。死者はイギリス6000人余り、ドイツ2500人余り。ドイツは勝利を宣伝し、皇帝は艦隊をたたえた。だが、北海の支配は何も変わらなかった。イギリスの大艦隊は数日のうちに再び出撃できる状態に戻り、ドイツの側は傷んだ艦の修理に何か月もかかった。戦術ではドイツが勝ち、戦略ではイギリスが勝った、とよく言われる。
シェーア自身が、皇帝への報告で、艦隊同士の戦いではイギリスを屈服させられない、潜水艦で通商を断つしかない、と進言している。大洋艦隊はその後も何度か出撃したが、大艦隊との決戦を挑むことは二度となかった。イギリスの海上封鎖は続き、ドイツでは食料が不足して、1916年から翌年の冬は蕪で飢えをしのいだ蕪の冬として記憶された。1917年、ドイツは無制限潜水艦作戦に踏み切り、それがアメリカを参戦させる。1918年10月の末、敗戦の迫るなかで海軍の首脳が艦隊に最後の出撃を命じると、水兵たちは命令に背いた。キール軍港の水兵反乱から始まる反乱が、ドイツの帝政を倒すことになる。

イギリスの巡洋戦艦がなぜ次々に爆発したのかは、戦後も論じられた。装甲の薄さに加えて、発射用の火薬の扱いが問題だったとされる。射撃を速くするため、砲塔から弾薬庫までの防火の扉を開け放ち、火薬を多く積み置いていたので、砲塔に入った火が弾薬庫まで届いたのである。ビーティーの旗艦ライオンも砲塔に直撃を受けたが、致命傷を負った砲塔の指揮官が弾薬庫に水を入れるよう命じたため、爆発を免れた。
25隻の艦が、8600人を超える乗員とともに、いまもユトランドの沖の海底に眠っている。100年を迎えた2016年には、金属を目当てに沈没艦を勝手に引き揚げる業者の存在が問題になった。戦艦同士が全力でぶつかり合った戦いは、これが最初で最後に近かった。日本海海戦からわずか11年、第二次世界大戦では、海の主役は空母と航空機に移っていく。