概要
同じ日に2隻がニューヨークに着いた。小型のシリウス号(石炭が尽き、家具と予備の帆桁を焚いたと伝わる)と、ブルネル設計のグレート・ウェスタン号。石炭を積むほど船体は大きくなければならず、大きな船ほど効率がよい(体積は三乗、抵抗は二乗で増える)。ブルネルはそれを見抜いていた。風待ちが消え、航海が時刻表になった。1840年、キュナードが定期便を始めた。
場所
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国
本文
蒸気機関を船に載せる試みは18世紀からあった。1807年、フルトンのクラーモント号がハドソン川を遡った。しかし、それは川と沿岸の話である。
**外洋の壁**。石炭を積まなければならない。積めば貨物が減る。長い航海ほど石炭が要る。だから「蒸気船は大西洋を渡れない」と考えられていた。
1836年、ロンドンの著名な科学者ディオニシウス・ラードナーが講演で、リヴァプールからニューヨークへの蒸気航行は「不可能である。月へ行こうとするようなものだ」と述べた、と伝えられる(彼の実際の主張はもう少し限定的だったが、この形で広まった)。
聴衆の中に、**イザムバード・キングダム・ブルネル**がいた。
**ブルネルの洞察**。彼はグレート・ウェスタン鉄道の技師だった。ロンドンからブリストルへ鉄道を敷いている。「その先に、船を出して、ニューヨークまで繋げばよい」。
そして、彼は寸法の理屈を掴んでいた。
船を大きくすると、**容積は長さの3乗**で増える(積める石炭と貨物)。しかし**水の抵抗は、およそ表面積、つまり2乗**で増える。だから、船は大きいほど、単位貨物あたりの燃料が少なくて済む。
「不可能」の議論は、当時の小さな船を前提にしていた。大きくすれば解ける。
**1838年4月23日、ニューヨーク**。
同じ日に、2隻が着いた。
**シリウス号**。もともとアイルランド海の沿岸船(703トン)。ブルネルのグレート・ウェスタン号の完成が遅れているのを見て、競争相手の会社が「先を越す」ためだけに急遽チャーターした。4月4日、コークを出港。19日と数時間。
石炭が尽きた。予備の帆桁と、船室の家具と、子供の人形まで焚いた、と伝えられる(脚色されている可能性が高い)。船員が引き返そうとしたのを、船長がピストルで抑えた、という話も伝わる。
**グレート・ウェスタン号**。1340トン。ブルネル設計の木造外輪船。4月8日、ブリストル出港(火災事故で4日遅れた)。15日と5時間。到着はシリウスの数時間後。
石炭は、まだ200トン残っていた。
つまり、記録は「先着」がシリウス、「実証」がグレート・ウェスタンだった。後者は、その後8年で64回大西洋を渡った。
**その後の速度**。
1839年、サミュエル・キュナードがイギリス政府の郵便契約を取り、1840年、ブリタニア号ほか4隻で定期便を開始した。**時刻表**が生まれた。それまで、帆船は風を待って出港した。
(ディケンズが1842年にブリタニア号で渡り、船室を「棺桶のよう」と書いた。)
ブルネルは、さらに二隻を作った。
**グレート・ブリテン号**(1843年)。世界初の、**鉄製・スクリュープロペラ**の外洋大型船。外輪は波で水面から出ると空回りする。スクリューは水中にある。以後の船の形を決めた。現在、ブリストルで保存されている。
**グレート・イースタン号**(1858年)。全長211m、1万8915トン。当時の他の船の6倍。乗客4000人を乗せ、石炭を補給せずにオーストラリアまで行ける設計。40年以上、この大きさを超える船は現れなかった。
商業的には破滅的な失敗だった。進水に3か月かかり(横向きに進水させる必要があり、何度も途中で止まった)、ブルネルは進水の直後に脳卒中で倒れ、処女航海の前に53歳で死んだ。
しかし、この巨船は、別の仕事を得る。大西洋横断電信ケーブルを積める、唯一の船だった。
**帰結**。
移民。1840年代から、蒸気船が大西洋を渡る移民を運び始めた。帆船で6〜8週間かかっていたのが、10日になった。19世紀後半、5000万人以上がヨーロッパを出た。
貿易。穀物と肉が、アメリカとアルゼンチンとオーストラリアからヨーロッパへ、安く運ばれるようになった。1870年代、ヨーロッパの農業が打撃を受けた(「穀物危機」)。
そして、帆船は消えなかった。むしろ19世紀後半、鉄の船体と鋼のマストで、最盛期を迎えた。石炭のいらない帆船は、価値の低い嵩張る貨物(硝石、穀物、羊毛)で、20世紀の初めまで蒸気船と競争し続けた。