物語

宗教改革と科学革命

出てくるできごと AD1077 – AD1777
できごと 46人物 21国 2
この物語に出てくる図版:Schwoiser Heinrich vor Canossa
この物語に出てくるカノッサの屈辱から。Schwoiser Heinrich vor Canossa Wikimedia Commons Eduard Schwoiser (1826 — 1902) · Public domain

概要

教会が独占していた「何が正しいか」の答えが、聖書と観測に明け渡されるまで。

この物語について

信じることと、確かめること。この二つが同じ時期に揺れたのは偶然ではない。どちらも、同じ機械で刷られていた。

中世のヨーロッパで、何が正しいかの答えを最後に持っていたのはローマ教会だった。聖書はラテン語で書かれ、読めるのは聖職者と一部の学者に限られた。自然についての知識も、アリストテレスや古代の医者ガレノスの書物を、教会の教えと矛盾しない形で読み解くものだった。もちろん教会の権威は一枚岩ではない。11世紀のカノッサの屈辱では皇帝が教皇に頭を下げ、14世紀には教皇がフランス王の膝元アヴィニョンに移され、やがて二人、三人の教皇が並び立った。15世紀はじめのコンスタンツ公会議は分裂を収めたが、教会を批判したボヘミアのフスを火刑にしている。批判の声は前からあった。足りなかったのは、それを一度に遠くまで届ける手段だった。

1450年ごろ、マインツのグーテンベルクが、鉛の活字を組んで刷る印刷の仕組みを完成させた。1455年ごろには聖書が刷られている。グーテンベルクの活版印刷から半世紀ほどのあいだに、ヨーロッパ各地に印刷所ができ、刷られた本は千万冊を超えたと推計される。写本なら一冊に何か月もかかった本が、何百冊も同じ形で出回る。同じ文が同じ頁にあるので、遠く離れた読者が同じ箇所を指して議論できるようになった。

グーテンベルクの活版印刷に関わる図版:Gutenberg press
グーテンベルクの活版印刷Wikimedia Commons International Printing Museum · CC0

1517年、ヴィッテンベルク大学の神学教授マルティン・ルターは、贖宥状、いわゆる免罪符の売り方を問う95か条の論題を書いた。ローマのサン・ピエトロ大聖堂を建て替える資金集めのために、金を払えば罰が軽くなると説いて回る説教師がいたのである。ルターは学者どうしの討論を呼びかけたつもりだったが、論題はすぐにドイツ語に訳されて刷られ、数週間でドイツ中に広まったとされる。教会の扉に打ち付けたという有名な場面は、後の伝記に書かれたもので、実際にあったかどうかは議論がある。

教皇はルターを破門し、1521年、皇帝カール5世はヴォルムスの帝国議会に彼を呼んで主張の撤回を求めた。ルターは拒み、帝国から追放される。ザクセンの選帝侯にかくまわれた城で、彼は新約聖書をギリシア語からドイツ語に訳した。1522年に出たその聖書は、農民や職人も自分の言葉で読める本として広まり、ドイツ語の書き言葉の手本にもなった。答えを持っているのは教会ではなく聖書だ、というルターの考えは、聖書を誰もが読める物にすることで力を持った。

95か条の論題に関わる図版:Luther 95 Thesen
95か条の論題Wikimedia Commons Martin Luther · Public domain

ただ、聖書を各自が読めば、読み方も割れる。スイスのチューリヒではツヴィングリがルターとは別に改革を進めたが、聖餐のパンが本当にキリストの体なのかで二人は合意できなかった。ジュネーヴではカルヴァンが、神は救う者をあらかじめ決めているという教えのもとに、厳しい規律の町を作った。イングランドでは、国王ヘンリー8世が離婚を認めない教皇と縁を切り、自ら国の教会の長になった。これに従わなかった大法官トマス・モアは処刑されている。

カトリックの側も黙ってはいなかった。1545年から断続的に開かれたトレント公会議で教義を固め直し、新しくできたイエズス会が教育と海外への布教に乗り出した。だが争いは言葉にとどまらなかった。1555年のアウクスブルクの和議は、領主の宗教がその領地の宗教になるという妥協で、ドイツの諸侯の争いをいったん収めた。フランスでは1572年のサン・バルテルミの祝日に、パリでプロテスタントが大量に殺され、ナントの勅令で信仰の自由が認められるまで内戦が続いた。

最大の戦争は1618年に始まった。三十年戦争は、ボヘミアのプロテスタント貴族が皇帝の役人を城の窓から投げ落とした事件から、ドイツ全土を巻き込む戦争になった。スウェーデン王グスタフ2世アドルフがプロテスタントの側で参戦し、カトリックのフランスもハプスブルク家に対抗するためにプロテスタント側に付いた。宗教の戦争として始まったものが、国どうしの勢力争いとして終わったのである。戦場になったドイツでは、地域によって人口の三分の一以上が失われたとみられる。1648年のウェストファリア条約は、信仰はそれぞれの国が決め、他国は口を出さないという形で決着をつけた。

三十年戦争に関わる図版:Carl Friedrich Lessing - The Siege (Defense of a Church Courtyard During the Thirty Years’ War) - Google Art Project
三十年戦争Wikimedia Commons Karl Friedrich Lessing · Public domain

自然を見る目が揺れたのも同じ百年だった。1543年、ポーランドの聖職者コペルニクスは、太陽を中心に地球が回るという説を書いた『天球の回転について』を、死の直前に世に出した。同じ年、ヴェサリウスは人体を自分で解剖して描いた『ファブリカ』を出し、千年以上の権威だったガレノスの誤りを示した。天と体の地図が、同じ年に書き換えられ始めた。

とはいえ、コペルニクスの説は、出た当初は計算の便法として読まれることが多かった。決め手になったのは観測である。デンマークのティコ・ブラーエは、望遠鏡の無い時代に、それまでにない精度で星の位置を測り続けた。その記録を受け継いだヨハネス・ケプラーは、火星の軌道が円ではなく楕円だと突き止める。1609年には、イタリアのガリレオ・ガリレイが自作の望遠鏡を空に向け、月に山があること、木星のまわりを四つの衛星が回っていることを見つけた。地球以外のものを中心に回る天体が、実際にあったのである。

教会は警戒を強めていた。1600年、宇宙は無限で世界は無数にあると説いた修道士ジョルダーノ・ブルーノが、ローマで火刑に処された。罪とされたのは天文学の説だけではなく、キリストの神性を否定したことなど神学上の主張が中心だったとされる。ガリレオは1616年に地動説を説かないよう警告を受け、1632年に二つの説を対話の形で比べる本を出した。翌年のガリレオの異端審問で彼は説の撤回を誓わされ、残りの生涯を自宅で監視されて過ごした。「それでも地球は動く」とつぶやいたという話は、後に作られたものとされる。

ガリレオの異端審問に関わる図版:Galileo before the Holy Office - Joseph-Nicolas Robert-Fleury, 1847
ガリレオの異端審問Wikimedia Commons Joseph-Nicolas Robert-Fleury · Public domain

だが、撤回させられたのは説であって、方法ではなかった。イングランドのフランシス・ベーコンは、権威の言葉ではなく観察と実験から知識を積み上げよと説き、フランスのデカルトは、疑えるものをすべて疑うところから考え直した。ハーヴェイは血液が体を巡っていることを、心臓が送り出す血の量を見積もって示した。1660年の王立協会の設立でロンドンに集まった学者たちは、「誰の言葉も鵜呑みにしない」を標語に掲げ、実験を人前で再現して確かめ、その結果を刷って公開した。

1687年、アイザック・ニュートンは『プリンキピア』を出した。リンゴを落とす力と月を地球のまわりに引き留める力が同じ一つの力であり、その強さは距離の二乗に反比例する。ケプラーが観測から見つけた惑星の動きは、この式から導けた。天と地に別々の法則があるという、古代から続いた考えがここで終わった。権威が言うからではなく、観測と計算が合うから正しい、という考え方が根づいていく。

『プリンキピア』に関わる図版:Russell, Whitehead - Principia Mathematica to 56
『プリンキピア』Wikimedia Commons Nick Dillinger · Public domain

二つの革命は、どちらも「答えを持っているのは誰か」を問い直した。ルターは教会から聖書へ、ガリレオやニュートンは古代の書物から観測へと、答えのありかを移した。どちらも、刷られた紙が多くの人の手に渡らなければ広がらなかった。ただ、ルター自身は地動説を聖書に反すると退けたとも伝えられ、ニュートンは錬金術と聖書の年代の研究に長い時間を費やした。新しい答えを出した人びとが、古い問いから自由だったわけではない。

その後、宗教の違いで人を殺すことは少しずつ減り、教会と国家、信仰と学問は別の場所に分けられていった。いま私たちが、論文は誰でも読めるように公開し、他人が再現できなければ認めないという約束事を当たり前だと思っているのは、この時代に始まった習慣である。そして、刷られたものが一気に広まり、何が正しいかの答えが割れていく光景は、手にする道具が変わっただけで、いまも続いている。

この物語が起きた場所

ロシア帝国大英帝国スペイン帝国ポルトガル帝国オスマン帝国中央アジアの諸ハン国ムガル帝国カザフ・ハン国ネーデルラント連邦共和国ヒヴァ・ハン国ポーランド・リトアニア共和国デンマーク=ノルウェー神聖ローマ帝国エジプトオーストリア帝国フランス王国スペインポーランド・リトアニア共和国モロッコノガイ・オルダAlgiersイギリスアイルランド王国TunisBrandenburgヴェネツィア共和国NaplesTripolitaniaCyrenaicaプロイセン教皇領Sardinia-Piedmontオーストリア領ネーデルラントスイス誓約者同盟ロンドン(11件) エラスムス『愚神礼賛』 トマス・モア『ユートピア』 国王至上法 トマス・モアの処刑 『ノヴム・オルガヌム』 ハーヴェイの血液循環 王立協会の設立 ボイルの法則 ほか3件11ローマ(4件) ピコ『人間の尊厳について』 サン・ピエトロ大聖堂の建て替え ジョルダーノ・ブルーノの火刑 ガリレオの異端審問4パドヴァ(3件) ヴェサリウス『ファブリカ』 大学の植物園 『星界の報告』3パリ(3件) サン・バルテルミの虐殺 パスカル『パンセ』 燃焼と酸素3ヴィッテンベルク(2件) 95か条の論題 ルターのドイツ語訳聖書2プラハ(2件) ケプラーの法則 三十年戦争2カノッサ(1件) カノッサの屈辱ボローニャ(1件) ボローニャ大学の創立マラーガ(1件) マラーガ天文台アヴィニョン(1件) 教皇のアヴィニョン捕囚コンスタンツ(1件) コンスタンツ公会議フィレンツェ(1件) 虚栄の焼却チューリヒ(1件) ツヴィングリのチューリヒ改革バーゼル(1件) パラケルススのガレノス焼却ミュンスター(1件) ミュンスターの再洗礼派ジュネーヴ(宗教改革期)(1件) カルヴァンのジュネーヴニュルンベルク(1件) 『天球の回転について』トレント(1件) トレント公会議アウクスブルク(1件) アウクスブルクの和議ヴェン島(1件) ティコの新星ナント(1件) ナントの勅令リュッツェン(1件) リュッツェンの戦いエゲル(ヘプ)(1件) ヴァレンシュタインの暗殺ライデン(1件) デカルト『方法序説』デルフト(1件) レーウェンフックの微生物

できごと44件が起きた25か所。 同じ場所で何度も起きていれば、その数だけ大きくなります。国境はAD1777の版図(この枠に大きく入る34勢力)。 物語は何百年にもまたがるので、最後のできごとの年で描いています。人物・国と、場所の分かっていないできごと25件は出ていません。押すと、この物語だけに絞った地図が開きます。

筋(69)

年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。

  1. カノッサの屈辱できごとAD1077年王と教会がどちらが上かを争った、その前史皇帝が雪のなか三日間立ち、教皇に赦しを乞うた。世俗の権力と教会の力関係を示す場面として残る。カノッサ
  2. ボローニャ大学の創立できごとAD1088年現存する最古の大学。学生が教師を雇う組合として始まり、法学の研究から発展した。ボローニャ
  3. マラーガ天文台できごとAD1259年コペルニクスと同じ図フレグがバグダードを焼いた翌年、捕虜だった学者ナスィールッディーン・トゥースィーの進言で、モンゴルの費用で建てられた。半径4メートルの壁面四分儀、蔵書40万巻、中国とアンダルスから来た学者。惑星の運動を、プトレマイオスのエカントなしで説明する「トゥースィーの対」が作られた。コペルニクスの本に、同じ図と同じ文字が並んでいる(経路はまだ分かっていない)。マラーガ
  4. 教皇のアヴィニョン捕囚できごと1309年教皇庁がフランス王の影響下に移った。教会の権威が世俗の力に押される。アヴィニョン
  5. グーテンベルク人物AD1400年頃 – AD1468年金属活字による印刷を実用にした。考えが広がる速さが、この一手で変わる。
  6. コンスタンツ公会議できごとAD1414年11月5日フスが焼かれた教皇が三人いた。皇帝ジギスムントが公会議を開かせ、三人とも辞めさせて一人を選んだ。フスは安全通行証を持って来て、焼かれた。「公会議は教皇の上」。ボヘミアが15年燃えた。コンスタンツ
  7. レオナルド・ダ・ヴィンチ人物AD1452年4月15日 – AD1519年5月2日分野を分けずに観察した先例絵、解剖、水利、飛行。分野を分けずに世界を観察し、大半を未完のまま残した。
  8. サヴォナローラ人物AD1452年9月21日 – AD1498年5月23日同じ広場でフェラーラの医者の孫。ドミニコ会。サン・マルコ。「剣が来る」。ロレンツォの死と、フランス軍の到来を「予言」した。メディチが逃げ、彼の共和国。教皇アレクサンデル6世を「偽の教皇」と呼び、破門された。火の試練。拷問。絞首刑と火刑。同じ広場。
  9. グーテンベルクの活版印刷できごとAD1455年頃両方の下地。これが無ければどちらも広がらない書物が手写しから機械の複製になった。考えが広がる速さが根本から変わる。
  10. エラスムス人物AD1466年頃 – AD1536年7月12日卵を産んだ司祭の私生児で、修道院を嫌って出た。ギリシア語の新約聖書を印刷し、教会を笑い、ルターに「あなたは正しいが、やり方が」と言い、両方から裏切り者と呼ばれた。「ヨーロッパ最初の知識人」。「エラスムスが卵を産み、ルターが孵した」。
  11. コペルニクス人物AD1473年2月19日 – AD1543年5月24日地球が動いていると説いた。死の年に本が出て、宇宙の中心から人間が外れはじめる。
  12. ミケランジェロ人物AD1475年3月6日 – AD1564年2月18日自分は彫刻家だと言い張りながら、天井画を4年かけて描いた。石の中に像が既にあると考えていた。
  13. トマス・モア人物AD1478年2月7日 – AD1535年7月6日すべての季節の男法律家、下院議長、大法官。娘たちにギリシア語を教え、エラスムスの友人で、『ユートピア』を書き、異端者を焼かせた。王の離婚と教会首長を認めず、ロンドン塔で15か月、斧で死んだ。「髭は反逆をしていない」と髭をよけた。
  14. マルティン・ルター人物AD1483年11月10日 – AD1546年2月18日免罪符を問うた一修道士の文書が、印刷術に乗って西方教会を割った。聖書をドイツ語に訳す。
  15. フルドリッヒ・ツヴィングリ人物AD1484年1月1日 – AD1531年10月11日「である」で握手しなかった農家の子、エラスムスの弟子、傭兵の従軍司祭。チューリヒの大聖堂でマタイ福音書の最初から順に説教を始めて、改革になった。ルターと聖餐で決裂し、「これは私の体である」の「である」をめぐって握手しなかった。カッペルで戦死し、体は四つ裂きにされて焼かれた。
  16. ピコ『人間の尊厳について』できごとAD1486年900の命題23歳の伯爵が900の命題を掲げ、ヨーロッパ中の学者を討論に呼んだ。教皇が13を異端として禁じた。序文の演説。「神は人間に定まった場所も形も与えなかった。あなたは自分で自分を作る」。討論は開かれず、演説だけ残った。「ルネサンスの宣言」。ローマ
  17. パラケルスス人物AD1493年 – AD1541年9月24日量が毒を決めるテオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム。医者で錬金術師で占星術師。鉱山で働き、ヨーロッパ中を歩き、居酒屋で講義し、水銀で梅毒を治し、「毒でないものはない、量が毒を決める」と言った。48歳でザルツブルクの宿で死んだ。
  18. 虚栄の焼却できごとAD1497年2月7日鏡と化粧と本メディチを追ったフィレンツェで、ドミニコ会の説教師が街を「神の共和国」にした。謝肉祭の日、シニョリーア広場で鏡、化粧、本、絵、楽器を積んで焼いた。ボッティチェリは自分の絵を投げ入れたと伝える。翌年、同じ広場で彼が焼かれた。フィレンツェ
  19. サン・ピエトロ大聖堂の建て替えできごとAD1506年使徒ペテロの墓の上に建つとされたローマの古い聖堂は、千年以上たって傷んでいた。1506年、教皇ユリウス2世は、これを壊して、世界で最も大きな聖堂を建てることにした。ブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロと、設計者は次々に代わり、完成まで百二十年かかる。巨額の費用の一部は、罪の償いを金で軽くする免罪符の売り上げでまかなわれた。その売り方に怒ったドイツの修道士の抗議から、宗教改革が始まる。ローマ
  20. エラスムス『愚神礼賛』できごとAD1511年ルターの6年前に教会を笑った愚かさの女神が自分を讃える演説をする。神学者、修道士、教皇、みな愚かさで生きている。トマス・モアの家で1週間で書いた。ラテン語で40版を重ね、教会を笑った本として、ルターの6年前に読まれた。ロンドン
  21. アンドレアス・ヴェサリウス人物AD1514年12月31日 – AD1564年10月絞首台から死体を盗んだブリュッセルの薬剤師の子。パリで学び、パドヴァで教え、23歳で教授。絞首台から死体を盗み、自分で切った。28歳で『ファブリカ』。皇帝の侍医になって解剖をやめ、エルサレム巡礼の帰りに難破してザキントス島で死んだ。
  22. トマス・モア『ユートピア』できごとAD1516年どこにもない場所「どこにもない場所」。私有財産がなく、6時間働き、金を便器に使う島。羊が人を食うイングランドの囲い込みを、その島から批判した。書いた人は王の大法官になり、王に首を斬られた。ロンドン
  23. 95か条の論題できごとAD1517年10月31日ルターの問いかけが印刷術に乗って広がり、西方教会が割れた。宗教改革の始まり。ヴィッテンベルク
  24. ルターのドイツ語訳聖書できごと1522年9月誰もが自分の言葉で聖書を1521年、ヴォルムスの帝国議会で教えを撤回せず、帝国から追放されたルターは、ザクセン選帝侯にかくまわれ、ヴァルトブルク城に身を隠した。そこで彼は、新約聖書をギリシア語の原典から、わずか11週間ほどでドイツ語に訳した。1522年9月に出版された訳は、数か月で売り切れた。ルターは、学者の言葉ではなく、家の母親や路地の子どもや市場の庶民の口ぶりに耳を傾けて訳したと書いている。1534年には旧約を含む聖書の全訳が出た。誰もが自分の言葉で聖書を読めるようになり、ルターの訳は、方言に分かれていたドイツ語の書き言葉をまとめる土台になった。ヴィッテンベルク
  25. ツヴィングリのチューリヒ改革できごとAD1523年ルターとは別に始まったルターと同じ頃、別に始まった。市の説教師が聖書に無いものを退け、市参事会が公開討論で決め、教会から像とオルガンと祭壇を出した。ルターとは聖餐で合わず、カトリックの州との戦いで戦死した。チューリヒ
  26. パラケルススのガレノス焼却できごとAD1527年古典を焚き火にバーゼル大学の医学教授が、聖ヨハネの日の焚き火に古典の医学書を投げ込み、ラテン語でなくドイツ語で講義した。病気は体液の不均衡ではなく外から来る、と。1年で追われ、放浪して死んだ。バーゼル
  27. ミュンスターの再洗礼派できごとAD1534年檻はいまも塔に再洗礼派が市を取り、財産を共有し、一夫多妻にし、仕立屋のヤンが「新しいエルサレム」の王になった。16か月の包囲のあと、王は鉄の檻に入れられて広場で殺され、檻は教会の塔に吊るされた。いまも吊るしてある。ミュンスター
  28. 国王至上法できごとAD1534年変えたのは、誰が上に立つかだけ議会が国王をイングランド教会の首長と定めた。離婚を認めない教皇から切れるためで、教義はほとんど変えていない。変えたのは、誰が上に立つかだった。ロンドン
  29. トマス・モアの処刑できごとAD1535年7月6日髭は反逆をしていない王を教会の首長と認める宣誓を拒んだ。「私は王のよい僕だが、神の僕がその前にある」。首は橋に晒され、娘が引き取った。400年後に聖人になり、「すべての季節の男」と映画になった。ロンドン
  30. カルヴァンのジュネーヴできごとAD1541年長老会が市民の生活を監督する町を作った。救われる者は初めから決まっている、だから与えられた仕事に励む。その考えが商人と職人に広がる。ジュネーヴ(宗教改革期)
  31. 『天球の回転について』できごとAD1543年地球が動くと説いた書が、著者の死の年に世に出た。宇宙の中心から人間が外れはじめる。ニュルンベルク
  32. ヴェサリウス『ファブリカ』できごとAD1543年天と体が同じ年に書き換えられたパドヴァ大学の28歳の解剖学教授が、自分の手で人体を解剖して、見たままを描かせた。7巻、663ページ、木版画300点以上。ガレノスの記述が、実は猿と豚の解剖に基づくもので、200か所以上、人体と違うことを示した。骨格が思索する姿、筋肉が皮を剥がれて立つ姿。コペルニクスの『天球の回転について』と同じ年。権威でなく、見ることを基準にした。パドヴァ
  33. トレント公会議できごとAD1545年12月13日カトリックの答えルターから28年遅れて、カトリックが答えを出した。18年、3期、25回の会議。義認は信仰と行いで、聖書とともに伝統も、ウルガタが正典、七つの秘蹟、司教は自分の教区に住め。以後400年、カトリックの形はこれだった。トレント
  34. 大学の植物園できごとAD1545年それまで薬草の知識は、古代の書物の写しと、薬草売りの経験にあった。書かれた名と、目の前の草が同じものかを、誰も確かめていない。ヴェネツィア共和国は、パドヴァ大学に、生きた植物を集めて栽培する園を作らせた。学生が実物を見て、記述と照らす。円形の敷地が四つに区切られ、世界の四方から集めた植物が植えられた。ピサとフィレンツェが数年先行するが、当初の場所に残るのはここだけである。ゲーテが訪れ、そこで植物の変態という着想を得たと書いている。パドヴァ
  35. ティコ・ブラーエ人物AD1546年12月14日 – AD1601年10月24日真鍮の鼻デンマークの貴族。決闘で鼻を失い、真鍮の鼻をつけた。王から島をもらい、天文台を建て、20年、肉眼で星の位置を1分角で測った。飼い慣らしたヘラジカがビールを飲んで階段から落ちて死んだ。王と喧嘩してプラハへ移り、ケプラーを助手にして死んだ。データはケプラーが取った。
  36. ジョルダーノ・ブルーノ人物AD1548年 – AD1600年2月17日無限宇宙ナポリのドミニコ会士。異端を疑われて修道院を出て、ジュネーヴ、パリ、オックスフォード、ヴィッテンベルク、プラハ、フランクフルトを渡り歩いた。記憶術を教え、無限宇宙を説き、どこでも喧嘩した。ヴェネツィアで密告され、8年の獄。花の広場に像が立ち、その足元で毎年2月17日に集会がある。
  37. アウクスブルクの和議できごとAD1555年9月25日領主の宗教が領地の宗教「領主の宗教がその領地の宗教」。諸侯がカトリックかルター派かを選び、領民は従うか出ていく。カルヴァン派は数に入らなかった。60年の平和のあと、その穴から三十年戦争が始まる。アウクスブルク
  38. ガリレオ・ガリレイ人物AD1564年2月15日 – AD1642年1月8日望遠鏡を空へ向け、観測で世界を確かめる方法を示した。異端審問で説の撤回を強いられる。
  39. ヨハネス・ケプラー人物AD1571年12月27日 – AD1630年11月15日惑星の軌道が円ではなく楕円だと突き止めた。占星術の依頼で生計を立て、母を魔女裁判から救い出すのに6年を費やしている。
  40. ティコの新星できごとAD1572年11月11日天は変わったカシオペヤ座に金星より明るい星が現れ、16か月ほどで見えなくなった。月より遠いことを視差で示した。アリストテレスの「天は変わらない」が観測で崩れた。王は島を与え、20年、望遠鏡なしで星の位置を測り続けた。ヴェン島
  41. サン・バルテルミの虐殺できごとAD1572年8月24日教皇は感謝のミサをした王妹とプロテスタントの王子の結婚式に集まったユグノーの貴族が、夜明けの鐘で殺された。パリで3000人、地方で数万。教皇は感謝のミサをし、メダルを打った。国王が自分の臣民を殺した、と歴史は書く。パリ
  42. ウィリアム・ハーヴェイ人物AD1578年4月1日 – AD1657年6月3日患者が減ったケントの農家の長男。パドヴァでファブリキウスに静脈の弁を学び、ロンドンで王の侍医。血が回っていると言って、患者が減った。「私の血の流れの発見のあと、開業は落ち込んだ」。内戦で王の側にいて、実験ノートを兵に焼かれた。
  43. ネーデルラント連邦共和国国AD1581年(廃位布告) – AD1795年(フランス軍の侵入による崩壊)他所で出せない本がここで出た王を戴かない共和国が、80年戦ってスペインから独立した。人口200万の国が、17世紀の世界の海運の半分を握る。株式会社と証券取引所と中央銀行が、ここでほぼ同時に生まれた。
  44. グスタフ2世アドルフ人物AD1594年12月9日 – AD1632年11月16日三十年戦争の戦い方を変えた軽い大砲と横に薄い隊列で、三十年戦争の戦い方を変えた。「北方の獅子」と呼ばれ、リュッツェンの霧の中で死ぬ。
  45. ルネ・デカルト人物AD1596年3月31日 – AD1650年2月11日朝はベッドで考えたイエズス会の学校で朝寝を許され、生涯朝はベッドで考えた。三十年戦争の軍に入り、暖炉の部屋で三つの夢を見た。オランダに20年隠れて書いた。ガリレオの裁判を聞いて『世界論』を出さなかった。スウェーデン女王に朝5時に呼ばれて、肺炎で死んだ。
  46. ナントの勅令できごとAD1598年4月13日パリはミサに値するプロテスタントからカトリックに改宗した王が、プロテスタントに信仰と礼拝と武装した都市を認めた。36年の宗教戦争を止めた。「パリはミサに値する」。87年後、孫がこれを取り消して、20万人が国を出る。ナント
  47. ジョルダーノ・ブルーノの火刑できごとAD1600年2月17日舌を木で止められて宇宙は無限で、星は太陽で、その周りに世界がある、と言った元ドミニコ会士が、8年の裁判のあと花の広場で焼かれた。舌を木で止められて。「判決を受ける私より、下すあなたたちのほうが恐れている」。ローマ
  48. ケプラーの法則できごとAD1609年惑星の軌道は円ではなく楕円だった。円でなければならないという2000年の前提が、ティコ・ブラーエの観測記録に合わないという理由だけで崩れる。プラハ
  49. 『星界の報告』できごとAD1610年3月13日地球以外を中心に回る天体オランダで作られた覗き眼鏡の噂を聞いて、ガリレオは自分で作り、倍率を20倍以上に上げた。そして、空へ向けた。月に山と谷があった。天の川は無数の星の集まりだった。木星に、四つの星が付き従っていた。それらは、木星の周りを回っていた。地球以外のものを中心に回る天体が、確かに存在する。24ページの小冊子を、彼は数か月で書いて出した。550部は、すぐ売り切れた。道具が、宇宙の見え方を変えた最初の例である。パドヴァ
  50. スウェーデン帝国国AD1611年(グスタフ2世アドルフの即位) – AD1721年(ニスタット条約)三十年戦争でプロテスタント側の主役になった人口100万の国が、三十年戦争でヨーロッパの主役になった。バルト海を内海にし、100年で失う。ポルタヴァで敗れた王は、オスマンへ逃げて5年帰らなかった。
  51. 三十年戦争できごと1618年宗教戦争として始まり、国家間の戦争として終わった宗教戦争として始まり、国家どうしの戦争として終わった。ドイツでは地域によって人口が3分の1減ったとされる。プラハ
  52. 『ノヴム・オルガヌム』できごとAD1620年知識は力なり。古い書物の権威ではなく、観察と実験を積み重ねて自然を問えと説いた。知らないと認めるところから近代科学が始まる。ロンドン
  53. ブレーズ・パスカル人物AD1623年6月19日 – AD1662年8月19日火の夜16歳で円錐曲線の定理、19歳で計算機、23歳で真空の実験、31歳で確率論と「火の夜」。ジャンセニストになり、イエズス会を『プロヴァンシアル』で笑い、乗合馬車を発明し、39歳で死んだ。上着に縫い込んだ紙に「火。アブラハムの神、哲学者の神ではなく」。
  54. ロバート・ボイル人物AD1627年1月25日 – AD1691年12月31日錬金術を続けた化学者コーク伯の14番目の子。イートンを出て、姉の家で実験室を持ち、フックを助手にして真空ポンプを作った。王立協会の創立会員で、会長を宣誓が嫌で断った。独身で、聖書をアイルランド語に訳させ、錬金術で金を作ろうとし続けた。
  55. ハーヴェイの血液循環できごとAD1628年1500年のガレノスが終わった心臓は1時間で体重より多い血を送る。肝臓がそれだけ作れるはずがない。だから血は回っている。72頁の本で、1500年のガレノスが終わった。毛細血管は見えず、30年後に顕微鏡で見つかった。ロンドン
  56. リュッツェンの戦いできごとAD1632年11月16日霧の中で王を失った三十年戦争の主役だったスウェーデン王が、霧の中で味方から離れて撃たれた。軍は勝ったが、王を失った。リュッツェン
  57. ガリレオの異端審問できごとAD1633年撤回させられたが、方法は残った観測から出た結論を、教義の名で撤回させられた。それでも地球は動く、と伝えられる。ローマ
  58. ヴァレンシュタインの暗殺できごとAD1634年2月25日戟で刺された皇帝の総司令官が、自分の金で10万の軍を養い、自分で敵と交渉し始めた。皇帝は「反逆者」と布告して、暗殺を認めた。エゲルの城で、部下の将校が宴会で殺され、ヴァレンシュタインは寝室でアイルランド人の大尉に戟で刺された。カトリックの皇帝の、プロテスタント出身の、占星術を信じた将軍。シラーが三部作の劇に書いた。エゲル(ヘプ)
  59. デカルト『方法序説』できごとAD1637年我思う、ゆえに我あり「我思う、ゆえに我あり」。すべてを疑って、疑っている自分だけが残った。ラテン語でなくフランス語で、匿名で、屈折光学と幾何学の序文として。座標も、この本の付録から始まる。ライデン
  60. アイザック・ニュートン人物AD1643年 – AD1727年天体の運行と落ちる林檎を同じ式で説明した。世界が法則で書けると示す。
  61. ウェストファリア条約できごとAD1648年信仰の争いに、国家どうしの妥協で決着をつけた30年戦争を終わらせ、国が互いの内政に干渉しないという原則を置いた。主権国家の体系が始まる。
  62. 王立協会の設立できごとAD1660年実験で確かめたことだけを認める「誰の言葉も鵜呑みにしない」を掲げ、実験で確かめたことだけを認める場を作った。学会という仕組みの原型。ロンドン
  63. ボイルの法則できごとAD1662年測って書いて公開した気体の圧力と体積は反比例する。J字のガラス管に水銀を入れて測った。伯爵の息子が実験室を持ち、測って書いて、公開した。「懐疑的化学者」。錬金術から化学へ、と教科書は書くが、本人は錬金術を続けた。ロンドン
  64. 『ミクログラフィア』できごとAD1665年ありふれた物の中の、小さな世界王立協会の実験係ロバート・フックは、自分で改良した顕微鏡で、ノミやシラミ、針の先、布の目を覗き、見たものを大きな銅版画にして1665年に出版した。ノミは紙いっぱいの怪物のように描かれ、読者を驚かせる。コルクの薄片に並ぶ小さな部屋を、修道院の小部屋になぞらえてセルと呼んだ。いまの細胞という言葉の始まりである。目に見えないほど小さな世界が、身の回りのありふれたものの中に広がっていることを、絵で示した本だった。ロンドン
  65. パスカル『パンセ』できごとAD1670年考える葦「人間は考える葦である」。キリスト教の弁護のために書き溜めた紙片を、死後に姉と友人が綴じた。賭け、二つの無限、気晴らし、クレオパトラの鼻。順序は本人が決めていない。パリ
  66. レーウェンフックの微生物できごとAD1676年デルフトの織物商が、自分で磨いた玉のようなレンズ(倍率270倍)で、雨水と、歯垢と、精液と、胡椒水を覗いた。「小さな動物(ディールケンス)」が泳いでいた。ロンドンの王立協会に、オランダ語の手紙で報告した。誰も信じず、フックが確かめて、認められた。細菌、原生動物、精子、赤血球、筋肉の横紋。レンズの作り方は誰にも教えず、死んだ。細菌がもう一度見られるまで100年かかった。デルフト
  67. 骨まで柔らかく煮る鍋できごとAD1679年台所の鍋と工場の機関は、同じ原理フランスの物理学者ドニ・パパンは、ロンドンで、蓋を固く締めた鍋で水を熱すると、ふつうより高い温度で煮えることを確かめた。1679年、骨まで柔らかく煮られる鍋を王立協会で披露する。破裂を防ぐため、圧力が高くなりすぎると重りが持ち上がって蒸気を逃がす弁を付けた。この安全弁は、のちの蒸気機関に欠かせない部品になる。パパン自身も、蒸気でピストンを動かす考えを書き残している。台所の鍋と、工場の機関は、同じ原理でつながっていた。ロンドン
  68. 『プリンキピア』できごとAD1687年天体の運行と落ちる林檎を同じ式で説明した。世界が法則で書けると示す。ロンドン
  69. 燃焼と酸素できごとAD1777年ものが燃えるのは、フロギストンという物質が抜けていくからだと説明されていた。だが金属を焼くと、灰は元より重くなる。抜けるのに重くなるので、負の重さを持つと言い繕われた。ラヴォアジエは密閉した容器の中で燃やし、前後の重さを測った。全体は変わらない。減ったのは空気のほうで、その一部が金属と結びついていた。彼はそれを酸素と名づけた。燃焼は、失うことではなく、結びつくことである。同じ天秤の使い方が、呼吸も、錆も、同じ反応だと示した。パリ

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