概要
オランダの法学者フーゴー・グロティウスは、国内の宗教の争いに巻き込まれて終身刑を言い渡されたが、妻の手引きで本を運ぶ箱に隠れて城から逃げ、パリに亡命した。三十年戦争のさなかの1625年、そこで出したのが『戦争と平和の法』である。国と国の間にも、人の理性から導かれる法がある。戦争には正しい理由が要り、戦争の最中にも守るべき決まりがある。グロティウスは、神がいないと仮定しても、この法は成り立つとまで書いた。王も宗派も超えて国々を縛る法を考えたこの本は、国際法の出発点とされる。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
フーゴー・グロティウスは、1583年、オランダのデルフトに生まれた。11歳で大学に入った神童で、若くして法律家、外交官として名を上げた。20代の半ば、オランダの船がポルトガルの船を拿捕したことを弁護するため、海は誰のものでもなく、すべての国が自由に航海し交易できると説く『自由海論』を書いた。この考えは、のちの海の国際法の土台になる(国連海洋法条約)。
オランダでは、カルヴァン派の中で、神の救いの教えをめぐる争いが政治の争いと重なっていた。グロティウスは穏健な側に立ったが、1618年、対立する側が権力を握ると捕らえられ、終身刑を言い渡されて、ルーフェステイン城に閉じ込められた。差し入れの本を運ぶ大きな箱が出入りするのを見て、妻マリアは、夫をその箱に入れて運び出す計画を立てた。1621年、グロティウスは箱に隠れて城を脱け出し、パリへ逃れた。
ヨーロッパでは、三十年戦争が始まっていた。宗派の違いを掲げた戦争で、兵士は町を略奪し、住民を殺した。グロティウスは、戦争には、それを始めるときにも、戦っている最中にも、守るべき法があるはずだと考えた。1625年、彼はパリで『戦争と平和の法』を出し、フランス王ルイ13世に献じた。
グロティウスによれば、人には生まれつき、社会の中で他人と共に生きようとする性質がある。そこから理性によって導かれる法、すなわち自然法は、国と国の間にも及ぶ。彼は、神が存在しないと仮定しても、この法は成り立つと書いた。宗派の違いで殺し合う時代に、どの宗派にも頼らない法を考えようとしたのである。正しい戦争の理由は、身を守ること、奪われたものを取り戻すこと、罪を罰することなどに限られる。戦争の最中にも、女性や子ども、農民や商人など戦わない人々を殺さず、降伏した者を助けるべきだと説いた。
スウェーデン王グスタフ・アドルフは、戦場にもこの本を持ち歩いたと伝えられる。グロティウス自身はのちにスウェーデンの大使としてパリに勤めた。三十年戦争を終わらせた1648年のウェストファリア条約は、主権を持つ国々が並び立つ秩序を作り、グロティウスの考えた国と国の間の法は、その秩序の決まりとして育っていった。彼は「国際法の父」と呼ばれる。