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Event / できごと

東京裁判

International Military Tribunal for the Far East
AD1946年5月3日
重要度 5

概要

市ヶ谷の旧陸軍省。11か国の判事。A級戦犯28人。「平和に対する罪」。2年半。7人が絞首刑。東条英機、広田弘毅。インドのパル判事は全員無罪の意見書を書いた。天皇は訴追されなかった。「勝者の裁き」か「文明の裁き」か、日本ではいまも二つの答えがある。

場所

東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都

関わった人(2)

東条英機AD1884年12月30日–AD1948年12月23日 · 絞首刑マッカーサーAD1880年1月26日–AD1964年4月5日 · 設置

本文

1945年9月11日。東条。逮捕に来たとき、ピストルで胸を撃った。心臓を外した。「一発で死ねなかった」。アメリカの血で助けられた。 1946年1月19日、マッカーサーが裁判所条例。 「A級」。平和に対する罪。「B級」。通例の戦争犯罪。「C級」。人道に対する罪。 11か国。米英ソ中仏蘭加豪NZ印比。判事11人。 ウェッブ裁判長。オーストラリア。キーナン首席検察官。アメリカ。 被告28人。東条、広田、板垣、土肥原、木村、松井、武藤、松岡、大川、平沼、梅津、荒木、橋本、畑、星野、賀屋、木戸、小磯、南、嶋田、白鳥、鈴木、東郷、重光、佐藤、大島、岡、永野。 5月3日、市ヶ谷。旧陸軍省の講堂。 大川周明が東条の頭を叩いた。精神鑑定で外された。 松岡と永野が死んだ。 2年半。818回。証人419人。 「天皇」。訴追しない。マッカーサーの決定。「占領に必要」。 東条が証言で「天皇の意思に反して日本の臣民が行動することはない」と言い、翌日、訂正した。木戸を通して「天皇は平和を望んでいた」と。 「東条が天皇を守った」。 「アメリカが天皇を守った」。 1948年11月12日、判決。 死刑7。東条、広田、板垣、土肥原、木村、松井、武藤。 終身16。禁錮20年、7年。 広田。文官で唯一。 12月23日、巣鴨。皇太子の誕生日。 パル判事。インド。「全員無罪」。「事後法」。「平和に対する罪は、当時、罪ではなかった」。「原爆は、ナチの行為に匹敵する」。1235ページ。読まれなかった。 レーリンク判事。オランダ。「広田ら5人は無罪」。 「勝者の裁き」。「文明の裁き」。 1952年、サンフランシスコ講和条約11条。「日本は裁判を受諾する」。 1978年、靖国。A級戦犯14人を合祀。松平永芳宮司。 1985年、中曽根が参拝。中国が抗議。 1975年以来、天皇は参拝していない。 2006年、富田メモ。昭和天皇「だから私はあれ以来参拝していない」。 「東京裁判史観」。「自虐」。 「東京裁判を認めなければ、講和条約もない」。 市ヶ谷の講堂は、いま防衛省の中。「市ヶ谷記念館」。移築。 見学できる。 ウェッブが座った席がある。

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