概要
35か国。ソ連は戦後の国境の承認を得た。西側は「人権と基本的自由の尊重」を第7原則に入れた。ソ連は紙だと思った。東欧の反体制派はそれを盾にした。「ヘルシンキ・グループ」。憲章77。それが1989年につながった、と言われる。
場所
60.17°N 24.94°E · フィンランド
本文
1954年から。ソ連。「ヨーロッパ安全保障会議」。「戦後の国境を、認めてくれ」。 「オーデル・ナイセ。バルト三国」。 西側。「ドイツが、ない」。 1970年。ブラント。「東方政策」。モスクワ条約。ワルシャワ条約。 1972年。基本条約。二つのドイツ。 1973年。ヘルシンキ。「準備」。 「三つのバスケット」。 第一。安全保障。「10原則」。「国境の不可侵」。「主権」。「内政不干渉」。そして第7。「人権と基本的自由の尊重。思想、良心、宗教、信条の自由を含む」。 第二。経済、科学、技術、環境。 第三。「人道的分野」。家族の再会。情報の自由。ジャーナリスト。 1975年7月30日から8月1日。 35か国。アルバニア以外の全ヨーロッパ。アメリカ、カナダ。 フォード。ブレジネフ。シュミット。ジスカール。ウィルソン。 「フィンランディア・ホール」。 8月1日、署名。 「法的拘束力なし」。 「最終議定書」。 ブレジネフ。「勝った」。「国境が、認められた」。 「プラウダに全文」。 「ソ連の人々が、第7原則を、読んだ」。 1976年5月。「ヘルシンキ・グループ」。モスクワ。オルロフ。サハロフ。シャランスキー。 「ソ連は、自分で署名した文書に、違反している」。 「逮捕」。 1977年1月。「憲章77」。プラハ。ハヴェル。パトチカ。「ヘルシンキの第7原則」。 1978年。「ヘルシンキ・ウォッチ」。ニューヨーク。「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」。 「アメリカ。『フォードは、ソ連に、東欧を売った』。レーガン。ソルジェニーツィン」。 1976年10月。討論。フォード。「東欧は、ソ連に支配されていない」。失言。負けた。 1977年、カーター。「人権」。 「第7原則が、外交に」。 「ソ連は、紙と思った。紙は、爆弾だった」。 1989年。 1990年、パリ憲章。「冷戦の終わり」。 1995年、OSCE。「欧州安全保障協力機構」。 「ヘルシンキ」。 「ヘルシンキ・プロセス」。 「国境の不可侵」。 2014年、クリミア。 2022年。 「第1原則」。 「破られた」。 「第7原則も」。