概要
一発で都市が消えた。人類が自らを絶滅させうる力を持ったことが、この日から前提になる。
場所
広島
34.39°N 132.46°E · 日本・広島県
34.39°N 132.46°E · 日本・広島県
関わった人(1)
昭和天皇AD1901年4月29日–AD1989年1月7日 · 玉音放送で終戦を告げる本文
広島に8月6日、長崎に9日。 その年のうちに死んだ人は、広島で約14万人、 長崎で約7万人と推計される。幅が大きいのは、 戸籍も病院も同時に失われたためになる。
爆発の熱と衝撃で死んだ人と、 放射線の影響で後から死んだ人がいる。 後者は数え終わりが無い。
投下の判断をめぐる議論は、いまも決着していない。 本土侵攻の犠牲を避けたという説明と、 ソ連への政治的な意味を重く見る説がある。 どちらか一方だけでは説明しきれない。
この二発以降、核兵器は実戦で使われていない。 使えば同じことが自分に返るという計算が、 80年のあいだ使用を止めている。
出典(3)
ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳) 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和
ルース・ベネディクト(長谷川松治 訳) 『菊と刀 日本文化の型』第12章(子供は学ぶ)以降の、降伏をめぐる分析
戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎 『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』第3章(終わり方を決められない組織)