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Event / できごと

『ソルフェリーノの思い出』

A Memory of Solferino
AD1859年6月24日
重要度 4
大英帝国ロシア帝国デンマークオスマン帝国Turanペルシアポルトガル帝国スウェーデン=ノルウェースペイン帝国オーストリア帝国エジプトスペインフランスNejdモロッコAlgiersグレートブリテン及びアイルランド連合王国プロイセン両シチリア王国バイエルンTunisサルデーニャ王国TripolitaniaハノーファーCyrenaicaAD1859年6月24日ソルフェリーノ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1859年6月24日の版図を描いています(25勢力)

概要

北イタリアのソルフェリーノで、フランス・サルデーニャ軍とオーストリア軍が一日戦い、死傷者は数万にのぼった。商用で通りがかったジュネーヴの実業家アンリ・デュナンは、近くの町の教会に運び込まれた負傷兵が、手当てを受けられずに死んでいくのを見た。軍の衛生隊はわずかしかいない。彼は町の女たちを集め、敵のオーストリア兵も同じように手当てした。女たちは「みな兄弟」と言ったと伝えられる。三年後、彼は自費でその光景を本にし、戦争のたびに負傷者を助ける民間の団体を、平時から各国に作っておくべきだと書いた。

場所

ソルフェリーノ
45.37°N 10.57°E · イタリア・ロンバルディア州

本文

**通りがかり**。

(——**アンリ・デュナン**(1828〜1910年)。

〈**(1)**ジュネーヴの、**信心深い家**に、**生まれた**。

**(2)**そして、**銀行で、**働いた**。

**(3)さらに、**フランス領のアルジェリア**で、**製粉の事業**を、**始めた**。

**〈——水の権利**が、**下りない**。**

**——**許可を出すのは、**フランスの皇帝**である**。〉〉**

**——**1859年6月**。

〈**——**皇帝ナポレオン三世**は、**北イタリア**で、**オーストリアと、戦っていた**。

**——**デュナンは、**皇帝に、**直接、**頼もうと、**戦場へ、**追いかけた**。

**——**戦争を、**見に行った**のではない**。

**——**商談**に、**行った**。〉)

**ソルフェリーノ**。

(——**6月24日**。

〈**(1)**フランスとサルデーニャ**の軍**、

**(2)**そして、**オーストリア**の軍**。

**(3)さらに、**合わせて、**三十万人近く**が、**一日、**ぶつかった**。〉

**——**夕方**、**オーストリア軍が、**退いた**。

〈**——**戦場に、**残された**のは、

**——**死者**と、**負傷者**、**合わせて、**数万人**。〉

**——**運ぶ手が、**無い**。

〈**(1)**軍の衛生隊**は、**わずか**である**。

**〈——兵の数に対して、**医者は、**ひと握り**。〉**

**(2)**そして、**馬の数**も、**荷車の数**も、**足りない**。

**(3)さらに、**暑い**。

**(4)そして、**水が、**無い**。〉)

**カスティリオーネ**。

(——**戦場に近い、**カスティリオーネ・デッレ・スティヴィエーレ**の町**。

〈**——**負傷兵が、**運び込まれた**。

**——**教会**に、**家々**に、**道端**に。

**——**何千人**。〉

**——**デュナンは、**翌日、**そこに、**いた**。

〈**(1)**傷口に、**蛆が、**湧いている**。

**(2)**そして、**水を、**求める声**。

**(3)さらに、**手当てを受けないまま、**死んでいく**。〉

**——**彼は、**町の女たち**を、**集めた**。

〈**(1)**水を、**運ぶ**。

**(2)**そして、**傷を、**洗う**。

**(3)さらに、**手紙を、**代わりに書く**。

**〈——死にゆく兵が、**母に、**宛てて**。〉**

**(4)そして、**自分の金で、**布や、**煙草や、**果物**を、**買ってきた**。〉

**——**そこには、**オーストリアの兵**も、**寝かされていた**。

〈**——**敵である**。

**——**女たちは、**同じように、**手当てした**。

**——**「みな、**兄弟**」(Tutti fratelli)**と、**言ったと、**伝えられる**。〉)

**本**。

(——**ジュネーヴに、**帰った**。

〈**——**忘れられなかった**。〉

**——**1862年、**『ソルフェリーノの思い出』**を、**自費で、**刷った**。

〈**(1)**戦いの様子**。

**(2)**そして、**戦いのあと**の、**町の様子**。

**(3)さらに、**最後に、**提案**。〉

**——**提案**。

〈**(1)**各国**に、**平時から、**負傷者を助ける、**民間の団体**を、**作っておく**。

**〈——戦争が始まってからでは、**間に合わない**。**

**——**訓練された、**ボランティア**を、**用意しておく**。〉**

**(2)**そして、**国どうし**が、**その団体**と、**負傷者**を、**守ることを、**約束する**。〉

**——**本は、**王侯**や、**将軍**や、**大臣**に、**配られた**。

〈**——**読まれた**。

**——**ヨーロッパの宮廷で、**話題になった**。〉)

**その後の、デュナン**。

(——**翌1863年**、**ジュネーヴで、**五人の委員会**が、**できた**。

〈**——**[[geneva-convention-1864]]**へ、**続く**。〉

**——**しかし**、

〈**(1)**アルジェリアの事業**は、**立ち行かなかった**。

**(2)**そして、**1867年、**破産した**。

**(3)さらに、**出資者**に、**迷惑をかけた**として、**ジュネーヴ**の社会**から、**締め出された**。

**(4)そして、**委員会**からも、**身を引かされた**。〉

**——**貧しく、**各地を、**転々とした**。

〈**——**忘れられた**。〉

**——**1895年、**スイス東部**の小さな町ハイデン**の、**養老院**に、**いる**ことを、**新聞記者が、**見つけた**。

〈**——**1901年、**最初の**ノーベル平和賞**を、**受けた**。

**——**賞金**は、**使わなかった**と、**言われる**。〉)

**残ること**。

(——**デュナンは、**医者ではない**。

〈**——**軍人でも、**役人でも、**ない**。

**——**商談に来た、**通りがかりの人**である**。〉

**——**だからこそ、**見えたもの**が、**ある**。

〈**——**軍にとって、**負傷兵**は、**もう、**戦えない者**である**。

**——**町にとって、**敵の兵**は、**敵である**。

**——**通りがかりの人**には、**どちらも、**ただ、**死にかけている人**に、**見えた**。〉

**——**百年前、**[[larrey-flying-ambulance]]**は、**傷の重い順**に、**診ると、**決めた**。

〈**——**デュナンの提案**は、**その先**である**。

**——**どちらの軍の、**兵か**を、**問わない**。〉)

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