概要
1914年のクリスマス・イヴ、ベルギーのイーペルのまわりなど西部戦線の各地で、ドイツ軍の塹壕の縁に、ろうそくを灯したクリスマス・ツリーが並んだ。「きよしこの夜」の歌声が聞こえ、向かいのイギリス兵も歌で応えた。翌日、両軍の兵士たちは誰の命令もなく塹壕を出て、敵味方の間の無人地帯で握手し、たばこや食べ物、軍服のボタンを交換し、倒れたままの仲間を一緒に葬った。サッカーをしたという話も残る。司令部はこれを嫌い、翌年からは厳しく禁じた。戦争はこのあと4年近く続いた。
場所
50.85°N 2.89°E · ベルギー・西フランドル州
本文
1914年8月に第一次世界大戦が始まったとき、多くの兵士は、クリスマスまでには家に帰れると信じていた。だが秋になると、西部戦線では両軍が塹壕を掘って向かい合い、戦いは動かなくなった。場所によっては、敵の塹壕までの距離は数十メートルしかなかった。12月、塹壕は雨と泥で水浸しになり、兵士たちは寒さに震えていた。
教皇ベネディクトゥス15世は、せめてクリスマスの間だけでも戦いを止めるよう各国に呼びかけたが、どの政府も応じなかった。前線には、家族や国から、手紙と贈り物の包みが山のように届いた。ドイツ軍には、小さなクリスマス・ツリーも送られていた。
12月24日の夜、ベルギーのイーペルの南などで、ドイツ兵が塹壕の縁にろうそくを灯したツリーを並べ、「きよしこの夜」を歌い始めた。イギリス兵は驚いたが、やがて自分たちの歌で応え、拍手や呼びかけが行き交った。どちらからともなく、撃たないという約束が交わされた。
クリスマスの朝、兵士たちは武器を置いて塹壕から出て、両軍の間の無人地帯で顔を合わせた。握手をし、たばこや酒、チョコレート、軍服のボタンや帽子を交換し、家族の写真を見せ合った。何週間も放置されていた戦友の遺体を、一緒に運んで葬り、合同の礼拝を開いた場所もあった。何か所かでは、缶詰の缶や布の球でサッカーをしたという記録も残っている。休戦は、場所によっては数日、長いところでは年明けまで続いた。
両軍の司令部はこれを危険とみなした。敵が同じ人間だと知った兵士は、撃てなくなるかもしれない。翌1915年のクリスマスには、休戦を禁じる命令が厳しく出され、砲撃で邪魔をした場所もあった。毒ガスと大量の死が戦争を変えていくなかで、あのような休戦は二度と広くは起きなかった。戦争はさらに4年近く続き、一千万人に近い兵士が死んだ。