概要
1956年秋、エジプトがスエズ運河を国有化すると、イギリス、フランス、イスラエルがエジプトに攻め込んだ。アメリカもソ連もこれを非難し、事態は大国どうしの対立に広がりかねなかった。カナダの外相レスター・ピアソンは、国際連合の部隊を送り、攻め込んだ軍の撤退を見届け、両者の間に立たせることを提案した。1956年11月5日、国連の総会は国連緊急軍を作ることを決め、事務総長ハマーショルドは、受け入れ国の同意、どちらにも肩入れしないこと、自衛のほかは武器を使わないことを原則に定めた。兵士たちは、ヘルメットを国連の青に塗った。平和維持活動の始まりである。
場所
29.50°N 33.80°E · エジプト・シナイ半島
本文
国際連合の憲章は、平和を脅かす国に対して、安全保障理事会が軍事的な措置をとれると定めていた。だが冷戦のなかで、アメリカとソ連が互いに拒否権を使い、理事会は身動きが取れなかった。1948年には、イスラエルとアラブの国々の停戦を見張るため、武器を持たない軍人の監視団が送られていたが、部隊を送って戦いを止める仕組みは無かった。
1956年7月、エジプトのナセル大統領は、スエズ運河の国有化を宣言した(スエズ危機)。10月末、イスラエルがシナイ半島に攻め込み、イギリスとフランスは、運河を守ると称して運河の地帯に兵を降ろした。アメリカは同盟国の行動を強く非難し、ソ連は英仏に核兵器の使用さえほのめかして脅した。
イギリスとフランスが拒否権を使ったため、安全保障理事会は動けず、問題は総会に移された。カナダの外相レスター・ピアソンは、英仏とイスラエルが面子を保ったまま兵を引けるよう、国際連合の部隊を送り、撤退を見届け、エジプトとイスラエルの間に立たせることを提案した。11月5日、総会は国連緊急軍を作ることを決めた。
国連の事務総長ダグ・ハマーショルドは、わずか数日で部隊の仕組みを組み立てた。部隊は、受け入れる国の同意を得て送られる。どちらの側にも肩入れしない。自分の身を守るとき以外は武器を使わない。大国の兵は加えず、カナダ、インド、ブラジル、ユーゴスラヴィア、北欧の国々など中小の国から兵を集めた。兵士たちが国の軍のものと見分けられるよう、ヘルメットは国連の色の青に塗られた。11月15日、最初の部隊がエジプトに着いた。英仏軍は年末までに撤退し、イスラエル軍も翌年までにシナイ半島から引いた。1957年、ピアソンはノーベル平和賞を受けた。
国連緊急軍は、エジプトとイスラエルの境に10年あまりとどまった。だが1967年5月、ナセルが撤退を求めると、同意の原則に従って部隊は引き揚げ、その直後に第三次中東戦争が起きた。それでも、この部隊で形作られた平和維持活動は、その後、キプロス、レバノン、カンボジア、旧ユーゴスラヴィア、アフリカの各地などに広がり、70を超える活動が行われてきた。日本は1992年に国際平和協力法を作り、カンボジアに自衛隊を送った。