国際連合の成立
概要
二度の大戦を経て、戦争を防ぐ枠組みが作られた。安保理の拒否権が、その限界も最初から抱え込む。
場所
46.20°N 6.14°E · スイス(CERN・国際機関)
本文
国際連合は、戦争のさなかに設計された。1941年8月、アメリカのフランクリン・ローズヴェルト大統領とイギリスのチャーチル首相が大西洋上の軍艦で会い、戦後の世界について原則を掲げた。大西洋憲章である。翌1942年の元日には、枢軸国と戦う26か国が共同宣言に署名した。このとき使われた「連合国(ユナイテッド・ネーションズ)」という呼び名が、そのまま新しい機構の名前になる。日本語では戦後の組織を「国際連合」と訳し分けたが、英語では同じ言葉である。
手本と反面教師は、1920年に発足した国際連盟の発足だった。連盟には大きな弱点が二つあった。一つは、提唱したアメリカ自身が、上院の反対で加盟しなかったこと。もう一つは、総会でも理事会でも原則として全会一致を求めたため、強い措置をほとんど決められなかったことである。1930年代、日本、ドイツ、イタリアが相次いで脱退し、侵略を止められないまま、連盟は第二次世界大戦を迎えた。
新しい機構の原案は、1944年の夏から秋にかけて、ワシントン郊外のダンバートン・オークスでアメリカ、イギリス、ソ連、中国の代表が練った。中心に置かれたのは、少数の大国が平和の維持に責任を負う安全保障理事会である。最後まで残った難題、つまり大国がどこまで決定を止められるかは、1945年2月のヤルタ会談で、ローズヴェルト、チャーチル、ヨシフ・スターリンの三人が詰めた。

1945年4月25日、サンフランシスコに50か国の代表が集まった。ドイツの降伏はまだで、日本との戦争も続いていた。開会の直前、4月12日にローズヴェルトが急死している。会議は2か月続き、中小国は大国の特権に強く反発したが、大国は拒否権なしには参加しないという立場を崩さなかった。6月26日、国際連合憲章が署名された。後から署名したポーランドを加え、原加盟国は51か国になる。そして10月24日、常任理事国5か国と署名国の過半数が批准を終え、憲章が発効した。この日が国連デーになっている。
連盟との違いは、仕組みに表れている。安保理は、11か国(のちに15か国)のうち多数の賛成で決めることができ、その決定は加盟国を拘束する。経済制裁も、軍事行動も、理屈の上では命じられる。その代わり、アメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中国の5常任理事国は、手続き以外の決定について一国でも反対すれば決議を止められる。これが拒否権である。

拒否権は、大国を機構の中に引き留めておくための仕掛けだった。自分が反対することは決して通らないと分かっていれば、大国は脱退する理由を持たない。連盟が大国に去られて力を失ったことへの答えである。だが同じ仕掛けが、そのまま国連の限界になった。常任理事国そのものや、その同盟国が当事者になった紛争では、安保理は動けない。
その姿は、すぐに物語「冷戦」の中で現れた。ソ連は発足直後から拒否権を繰り返し使い、のちにはアメリカも使うようになる。1950年の朝鮮戦争で安保理が国連軍の派遣を決められたのは、ソ連が中国の代表権問題に抗議して会議を欠席していたためだった。その後、安保理が行き詰まったときに総会が勧告できるよう「平和のための結集」決議が作られた。

憲章に書かれていない工夫も生まれた。1956年のスエズ危機では、停戦を見守るために、武器を控えめに持った各国の部隊が派遣された。のちに平和維持活動と呼ばれるものの、本格的な始まりである。戦争をやめさせる力は持たなくても、止まった戦争をもう一度始めさせない役割なら果たせる、という考え方だった。
国連は安全保障だけの機構ではない。1948年には総会で世界人権宣言が採択され、ユネスコの設立をはじめとする専門機関が、教育、保健、食糧、難民の支援を担った。スイスのジュネーヴには、かつての国際連盟の本部だった建物が国連の欧州本部として引き継がれ、多くの機関がそこに置かれている。

本部はニューヨークに置かれた。イースト川沿いの土地は、ロックフェラー家の寄付で手に入ったものである。機構を代表する事務総長は、憲章では行政の長にすぎないが、2代目のスウェーデン人ダグ・ハマーショルドは、大国の間に立って紛争の調停に動く役割を自ら作り出した。ハマーショルドは1961年、コンゴ動乱の調停に向かう途中、飛行機の墜落で死亡している。
加盟国は、植民地の独立とともに増えた。アフリカの年には17か国が独立し、総会の多数派の顔ぶれが変わっていく。日本は1956年12月、ソ連との国交回復を経て80番目の加盟国になった。いまの加盟国は193にのぼる。

一方で、安保理の顔ぶれは1945年の戦勝国のまま変わっていない。常任理事国を増やすべきだという議論は何十年も続いているが、改正には常任理事国すべての同意が要り、実現していない。大国を引き留めるために作った仕掛けが、大国の都合で動けなくなる。その矛盾は、設計図の段階から抱え込まれていた。