イロコイ連邦の成立(大平和の法)

概要
五つの部族が争いをやめ、一つの長屋に住むと誓った。武器を白い松の根元に埋めた、と伝承は語る。合議と氏族の母による首長の選出が、その法の中身になる。
場所
42.95°N -76.15°E · アメリカ合衆国・ニューヨーク州(連邦の会議の地)
関わった人(1)
ハイアワサ伝承の中の弁士本文
いまのニューヨーク州の北部、オンタリオ湖の南の森と湖の土地に、五つの民が住んでいた。東からモホーク、オナイダ、オノンダガ、カユガ、セネカ。トウモロコシと豆とカボチャを育て、樹皮でおおった細長い家に、母方の血でつながった家族が何組も一緒に暮らしていた。言葉は近く、暮らしも似ていた。それでも五つの民は互いに争い、殺された者の身内が報復し、その報復にまた報復が返る、という連鎖から抜け出せずにいた。
伝承は、そこに一人の男が現れたと語る。名をデガナウィダといい、敬意から多くの場合「ピースメーカー(平和をもたらす者)」とだけ呼ばれる。北の湖の向こう、ヒューロンの民の生まれで、白い石のカヌーで湖を渡ってきたとされる。彼は、争いの中で娘たちを失い、悲しみのあまり森をさまよっていたハイアワサに出会った。ピースメーカーは貝殻の玉を紐に通し、言葉を添えてハイアワサの涙をぬぐい、心を晴らした。この「弔いの儀礼」が、のちに連邦の儀式の核になる。言葉の不自由な預言者に代わって、雄弁なハイアワサが語り手になったという伝承もある。

二人は部族を回って説いた。争いをやめ、一つの大きな長屋に五つの家族として住もう、と。モホークが最初に受け入れ、ほかの民も続いた。最後まで拒んだのが、オノンダガの首長タドダホだった。髪の毛が蛇になっていて、体がねじれていたと伝承は語る。二人は彼の髪を梳いて蛇を取り除き、その心をまっすぐにした。タドダホは説得に応じ、その代わりにオノンダガが連邦の会議の火を守る役を担うことになった。いまもオノンダガの首長の筆頭はタドダホの名を継いでいる。
平和の誓いのしるしに、白い松が植えられた。四方に白い根を伸ばし、根をたどってくる者は誰でもその陰で守られる。人びとは松を引き抜いた穴に武器を投げ込み、地下の流れに流してから、もう一度松を植えた、と伝承は語る。木のてっぺんには、遠くの危険を見張る鷲がとまる。
連邦はハウデノサウニーと名乗った。「長屋の民」という意味になる。東の端のモホークが長屋の東の戸口を守り、西の端のセネカが西の戸口を守り、真ん中のオノンダガが炉の火を守る。家の形がそのまま連邦の形になっていた。フランス人は彼らをイロコイと呼び、その名で広く知られるようになる(イロコイ連邦)。
成立の年は分からない。文字の記録が無く、伝承に年は語られない。伝承の中で、会議の最中に空が暗くなったという話があり、それを日食とみて、1142年とする説と1451年とする説が立てられている。考古学では、村の大きさや防御の変化から、15世紀から16世紀にかけてと考える研究者が多い。
法の中身は、口承と、貝殻の玉で模様を織った帯(ワムパム)によって伝えられてきた。連邦の会議には、五つの民から合わせて50人の首長が出る。決めるときは、多数決ではなく、全員が合意するまで話し合う。年長の兄の民と年少の弟の民がそれぞれ協議し、意見を互いに投げ返して、最後に火を守るオノンダガがまとめる。
首長を選ぶのは、氏族の母たちだった。氏族の称号は母から娘へ受け継がれる家系に属し、その家系の年長の女性たちが、ふさわしい男を首長に推した。首長が務めを果たさなければ、母たちは三度まで警告し、それでも改めなければ、首長の印である鹿の角を取り上げて解任した。女性が政治の外に置かれていた同時代のヨーロッパから見ると、際立った仕組みだった。
18世紀、イギリスの植民地は、この連邦と同盟し、取引し、時には恐れた。1744年の会談で、オノンダガの弁士カナサテゴは、植民地の代表たちに、自分たちのように一つにまとまるべきだと説いたと記録されている。ベンジャミン・フランクリンはこの会談の記録を印刷して売り、のちに、「無知な未開人」と呼ばれる人びとにできた連合が、イギリスの植民地にできないはずがない、という趣旨の手紙を書いた。
この仕組みがアメリカ合衆国憲法の制定に影響を与えたという議論がある。1988年には、アメリカ連邦議会がその影響を認める決議を出した。一方で、憲法を作った人びとが手本にしたのは主にヨーロッパの思想とイギリスの制度で、連邦からの影響は象徴的なものにとどまる、と考える歴史家も多い。影響の大きさについては、意見が割れている。
ハウデノサウニーは、のちにタスカローラを迎えて六つの民になった。アメリカ独立戦争で連邦は割れ、土地の多くを失ったが、会議はいまも開かれ、首長はいまも氏族の母たちが選んでいる。