『想像の共同体』で読む歴史

概要
国民とは、会ったこともない人を同じ仲間だと思える想像力のことだ、という本。
この物語について
会ったこともない何千万もの人を、なぜ私たちは同じ仲間だと感じられるのか。そして、その仲間のために、なぜ人は命まで差し出すことがあるのか。『想像の共同体』(ベネディクト・アンダーソン、1983年、日本語版1987年)は、国民というものを、自然にあるものではなく、歴史のある時点で人びとが思い描けるようになったものとして説明した本である。
著者は1936年に中国の昆明で生まれた。父はアイルランド系で中国の税関に勤め、母はイギリス人だった。イギリスとアメリカで学び、インドネシアの政治を研究して、アメリカのコーネル大学で長く教えた。1965年のインドネシアの政変について、軍の公式の説明に疑問を呈する分析を書いたため、スハルト政権のもとで長くインドネシアに入国できなかった。英語のほか、インドネシア語やタイ語などを読み、東南アジアの側から世界を見る研究者だった。

本の動機は、1970年代の終わりに起きた、社会主義の国どうしの戦争にあった、と著者は書く。ベトナムがカンボジアに攻め込み、中国がベトナムに攻め込んだ。国境を越えた労働者の連帯を掲げたはずの国々が、国民として互いに戦った。ナショナリズムは、マルクス主義にとっても自由主義にとっても、うまく説明できない厄介なものだった。
本は国民をこう定義する。国民とは、イメージとして心の中に描かれた、想像の政治的な共同体である。最も小さな国の国民でさえ、そのほとんどの仲間に会うことも、名前を聞くこともない。それでも、一人ひとりの心の中には、共に生きる者たちの姿がある。その共同体は、限られている。どれほど大きくても境界があり、全人類が一つの国民になることはない。そして、主権をもつ。神の定めた王朝ではなく、国民自身が国の主人だと想像される。
本の冒頭に置かれるのは、無名戦士の墓である。どの国の首都にもあるこの墓には、誰の遺骨も入っていないか、入っていても誰のものか分からない。それなのに、人びとはそこに国民の魂を見て、頭を垂れる。これほど国民という想像の力をよく表すものはない、と著者は言う。
では、なぜそれが想像できるようになったのか。本はまず、それ以前の世界を描く。中世のヨーロッパでは、人びとは、ラテン語で書かれた聖書を通じてつながるキリスト教の世界と、神に選ばれた王朝の臣下としての帰属のなかで生きていた。時間の感じ方も違った。過去と未来は、神の摂理のなかで同時に存在していた。
そこへ、印刷と市場が来る。グーテンベルクの活版印刷以後、本は商品になった。ラテン語を読める人の数には限りがあるので、出版業者は、より多くの読者を求めて、それぞれの土地の話し言葉で本を刷るようになった。1517年の95か条の論題に始まる宗教改革の論争は、ドイツ語のパンフレットとして大量に刷られ、普通の人びとに読まれた。こうして、同じ言葉で同じ印刷物を読む人びとの範囲ができあがっていった。本はこの組み合わせを「出版資本主義」と呼ぶ。

決定的だったのが、新聞と小説である。定期的に刊行される新聞は、17世紀の初めに現れた。定期刊行の新聞の始まりである。やがて毎朝、同じ新聞が何万部も刷られるようになる。読者は、自分と同じ記事を、同じ朝に、互いに知らない何万もの人が読んでいることを知っている。毎朝の新聞を読むことは、一人で行う、しかし同時に無数の人と行う儀式になった。小説もまた、互いに出会うことのない登場人物たちが、同じ社会のなかで、同じ時間を同時に生きているという感覚を読者に与えた。暦と時計で測られる均質な時間のなかを、一つの社会がまとまって進んでいく。そう思い描けるようになったとき、国民という想像が可能になった、というのが本の筋である。
本の最も意外な主張は、最初の国民主義がヨーロッパではなく、南北アメリカの植民地で生まれた、というものである。スペインの植民地で生まれた白人、つまりクレオールの役人たちは、本国生まれの者と同じ言葉を話し、同じ信仰を持っていたのに、植民地生まれだという理由で、本国の要職には就けなかった。彼らの出世の道は、一つの植民地の行政区の中で行き止まりになる。同じ行政区の中を行き来し、同じ地方紙を読む役人と有力者たちのあいだに、自分たちはこの土地の者だ、という共同体の感覚が育った。アメリカ独立宣言から、ホセ・デ・サン・マルティンらが率いた南アメリカの独立戦争までの波は、この型から出てきた、と本は言う。カリブ海では、奴隷とされた人びとが自らを解放したハイチ革命も起きている。

この型は、やがてヨーロッパに輸入され、模倣される。フランス革命は、国民の名のもとに王を倒し、国民という考えを、すぐに真似できる一つのモデルにした。19世紀のヨーロッパでは、言葉を同じくする人びとが国民を名乗り、辞書と文法書と国語の文学が次々に作られた。
追いつめられたのは、古い王朝である。多くの言葉を話す人びとを治める王家は、国民という新しい考えに、自分のほうから乗ることで生き延びようとした。本はこれを「公定ナショナリズム」と呼ぶ。ロシアの皇帝はロシア語を帝国中に押しつけ、イギリスはインドの支配層にイギリス式の教育を施した。日本の明治政府も、その例として出てくる。天皇を中心に、国語と義務教育と徴兵を通じて、上から国民を作り上げた。大日本帝国憲法の発布と、明治天皇の姿は、その過程の一部である。

最後の波は、植民地の側から来た。植民地の学校で、宗主国の言葉で教育を受けた若い知識人たちが、その言葉と、植民地の行政区という枠を使って、自分たちの国民を想像しはじめた。著者が繰り返し引くのは、フィリピンのホセ・リサールである。スペイン語で書かれた彼の小説は、植民地の社会を一つのまとまりとして描き、読者にその全体を思い描かせた。リサールは1896年に処刑され、同じ年にフィリピン革命が始まった。著者の考えでは、植民地の国境線が、そのまま新しい国民の輪郭になる。1975年のパプアニューギニアの独立のように、数百の言葉を話す人びとが、植民地の線の内側で一つの国民になった例もある。
1991年の増補版で、著者は植民地国家が人を数え、土地を地図にし、遺跡を博物館に収めたことを論じる章を加えた。人口調査は人びとを民族の枠に分類し、地図は国の形を誰もが思い浮かべられる図柄にし、博物館は国民の古い過去を作った。植民地の統治のために作られたこれらの道具を、独立した国家はそのまま受け継いだ。
言葉と共同体の結びつきを考える例として、この物語には、本の外のできごとも並べてある。エリエゼル・ベン・イェフダーは、祈りと学問の言葉だったヘブライ語を、家族の日常の言葉として復活させようとした。ヘブライ語の復活は、言葉が国民の想像の土台になりうることを示す例である。逆に、ルドヴィコ・ザメンホフが作ったエスペラントは、どの国民にも属さない、すべての人のための言葉を目指した。
本には批判もある。印刷と言葉を重く見るあまり、ナショナリズムの暴力や、民族の対立の面を軽く扱っている、という指摘がある。インドの歴史家パルタ・チャタジーは、植民地の人びとが、ヨーロッパやアメリカが作った型を真似ることしかできなかったように描かれている、と批判した。それでも、国民を想像されたものとして見る、という本の見方は、歴史学、政治学、社会学のあらゆるところで使われる言葉になった。
この物語は、本が使ったできごとを、このデータベースの側から並べ直したものである。本文は写していない。この年表が「国」を単位に地図を色分けしていること自体が、本の言う想像の上に成り立っている。帝国が国民国家に割れていった第一次世界大戦のあと、世界の地図は国民の色で塗り分けられるようになった。その色分けは自然のものではなく、二百年ほどのあいだに人びとが思い描くようになった形なのである。
動画(1)
この物語が起きた場所
筋(18)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- グーテンベルクの活版印刷できごとAD1455年頃出版資本主義の始まり書物が手写しから機械の複製になった。考えが広がる速さが根本から変わる。

- 95か条の論題できごとAD1517年10月31日俗語で刷ることが、読者の範囲を作ったルターの問いかけが印刷術に乗って広がり、西方教会が割れた。宗教改革の始まり。ヴィッテンベルク

- 定期刊行の新聞の始まりできごとAD1605年毎朝おなじものを読む儀式毎週おなじ日に、遠くの出来事が同じ紙面に並ぶ。顔も知らない何万人が、同じ朝に同じことを読む。国民という感覚は、この習慣の上に育った。ストラスブール
- アメリカ独立宣言できごとAD1776年7月4日第4章。最初の国民主義は植民地の側で生まれた植民地が本国から離れ、人が生まれながらに権利を持つと宣言した。フィラデルフィア

- ホセ・デ・サン・マルティン人物AD1778年2月25日 – AD1850年8月17日クレオールの独立運動アンデスを越えてチリとペルーを解放した。ボリバルと会談した後、すべてを譲って身を引く。
- フランス革命できごと1789年第5章。型が輸入され、模倣される身分制を壊し、国民が主権を持つという考えを現実にした。恐怖政治も同じ革命が生んだ。パリ

- ハイチ革命できごと1791年奴隷が蜂起して独立を勝ち取った、史上唯一の例。人権の理念を掲げた本国が、それを植民地に認めなかった矛盾を突いた。ポルトープランス

- 明治天皇人物1852年 – 1912年15歳で即位し、王政復古から近代国家の成立までを名において担った。
- インド大反乱できごと1857年第6章。数え、地図にし、博物館に入れる鎮圧の後、ムガル帝国は名実ともに消え、インドは英国の直接統治下に入る。デリー

- エリエゼル・ベン・イェフダー人物AD1858年1月7日 – AD1922年12月16日リトアニアの生まれ。本名はペレルマン。イェシーバーで学び、そこで世俗の書に触れて追い出された。パリで医学を志し、結核で断念する。1881年、妻とともにエルサレムへ移り、家庭でヘブライ語しか使わないと決めた。長男イタマルは、その言語の最初の母語話者である。新聞を出し、語を作り、辞書の編纂に生涯を費やした。正統派の一部は、聖なる言葉を日常に落とすことに強く反対した。辞書は死後、十七巻で完成した。
- ルドヴィコ・ザメンホフ人物AD1859年12月15日 – AD1917年4月14日ビャウィストクの生まれ。ユダヤ人で、家庭ではイディッシュ語とロシア語を話した。父は語学教師である。町では四つの言語集団が反目しており、その原因を言葉に見た。学生のころから人工言語を作り始め、眼科医として開業しながら完成させた。1887年、妻の持参金で小冊子を出版する。運動が広がると、彼はその指導者であることを避け、言語は誰のものでもないと述べた。三人の子は、後にナチスによって殺されている。
- ホセ・リサール人物AD1861年6月19日 – AD1896年12月30日本が繰り返し引く小説を書いた人医師であり小説家。武装闘争には反対しながら、反乱を扇動した罪で銃殺された。その死が革命を広げる。
- ヘブライ語の復活できごとAD1881年典礼と学問には使われ続けたが、日常の話し言葉としては千数百年、誰も使っていなかった。エリエゼル・ベン・イェフダーは、パレスチナへ移り、家庭で息子にヘブライ語だけで話しかけた。近代の生活に必要な語が無い。彼は古い文献から掘り出し、アラビア語の語根から作り、辞書を編んだ。息子イタマルは、数年間、話し相手が父しかいなかった。学校での教授が広がり、二世代で話者が生まれる。死んだ言語が日常語に戻った、唯一の例である。エルサレム
- エスペラントできごとAD1887年7月26日ビャウィストクは、ポーランド語、ロシア語、ドイツ語、イディッシュ語が入り混じる町だった。眼科医ザメンホフは、諍いの根に言葉の壁があると考えた。誰の母語でもない、学びやすい共通語を作る。文法は十六の規則で、例外が無い。語彙は主にロマンス語とゲルマン語から採った。ドクトーロ・エスペラント、希望する者、という筆名で出した小冊子が、書名ではなく言語の名になった。話者は数十万から二百万と推定が割れる。国家に採用されたことは、一度も無い。ワルシャワ
- 大日本帝国憲法の発布できごと1889年2月11日(明治22年2月11日)第6章。王朝が生き延びるために国民を作るアジアで最初の近代的な成文憲法。天皇が定めて国民に与える形をとり、議会には限られた権限が置かれた。江戸

- フィリピン革命できごと1896年第7章。最後の波アジアで最初に植民地からの独立を宣言した。だが直後にアメリカが来て、統治する側が入れ替わる。マニラ

- 第一次世界大戦できごと1914年帝国が国民国家に割れるサラエヴォの一発から、同盟の連鎖で世界が巻き込まれた。塹壕と機関銃と毒ガスで1000万人が死ぬ。サラエヴォ

- パプアニューギニアの独立できごとAD1975年9月16日植民地の線が、そのまま国民の輪郭になる800を超える言語が話される土地が、一つの国として独立した。植民地の境界線がそのまま国境になった例で、統合はいまも課題として残る。ポートモレスビー
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