← 地図で見る
Event / できごと

神の平和

Peace and Truce of God
AD989年
重要度 3
北極圏の海獣狩猟民フィン・ウゴル系タイガの狩猟採集民トゥアレグハザールキエフ・ルーシベドウィンベルベル系の人びとファーティマ朝サーミキエフ・ルーシ東ローマ帝国神聖ローマ帝国スラヴの諸部族アグラブ朝マクリア後ウマイヤ朝東フランク王国イドリース朝カロリング朝フランク王国西フランク王国ノルウェー王国第一次ブルガリア帝国アヴァールMagyarsバルトの諸部族Swedes and Gothsクロアチア王国デーン人IrlandaMerciaアストゥリアス王国セルビアChudsPechenegsフランス王国Lombard duchiesAD989年シャルー
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD989年の版図を描いています(36勢力)。

概要

10世紀の末、王の力が衰えたフランスでは、城を構えた騎士たちが互いに争い、教会や農民の家畜を奪った。989年、フランス西部のシャルーの修道院に司教たちが集まり、教会を襲う者、農民や貧しい者から家畜を奪う者、武器を持たない聖職者を打つ者を、教会から締め出すと宣言した。聖人の遺物が野に運び出され、大勢の民衆の前で騎士たちが誓わされた。11世紀には、決まった曜日や祭りの季節には戦ってはならないという「神の休戦」が加わる。戦いそのものをなくすのではなく、戦ってよい相手と時を限る試みだった。

場所

シャルー
46.14°N 0.40°E · フランス・ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ヴィエンヌ県

本文

カロリング朝が分裂したあと、10世紀のフランスでは、王の力は都のまわりにしか及ばなかった。地方では、伯や城主が自分の城を拠点に兵を養い、隣と争った。戦いの犠牲になったのは、武器を持たない人々だった。騎士たちは、敵の領地の農民の家畜を奪い、畑を焼き、教会や修道院の財産にも手を出した。

989年、フランス西部、ポワトゥーの地方のシャルー修道院で、ボルドーの大司教のもとに司教たちが集まった。会議は三つのことを決めた。教会に押し入って物を奪う者、農民や貧しい者から牛や羊などの家畜を奪う者、武器を持たない聖職者を襲う者は、教会から破門する。破門された者は、ミサにも出られず、死んでも教会の墓地に葬られない。信仰が暮らしのすみずみに行き渡っていた時代には、重い罰だった。

この「神の平和」の運動は、フランスの南と中部に広がった。会議のたびに、近くの教会から聖人の遺物が野原に運び出され、大勢の民衆が集まった。騎士たちは遺物の前で、平和を守ると誓わされた。民衆の熱気が、騎士たちへの圧力になった。

11世紀に入ると、運動は「神の休戦」へと進んだ。1027年、南フランスの会議は、土曜の夕方から月曜の朝までは戦ってはならないと定めた。のちに休戦の日は木曜から月曜の朝までに広がり、待降節や四旬節などの祭りの季節も加えられた。戦ってよい日は、年の半分にも満たなくなった。

1095年、教皇ウルバヌス2世は、フランスのクレルモンの会議で、神の休戦をキリスト教世界全体に広げると宣言した。同じ会議で、教皇は、キリスト教徒どうしで争うのをやめ、その力を東の聖地へ向けよと呼びかけた(十字軍の呼びかけ)。内での暴力を抑える運動は、外への暴力を生み出すことにもなった。

同じ時代のできごと

サモアとトンガの海の交流AD9〜15世紀カジュラーホーの寺院群AD10〜11世紀安和の変AD969年(安和2年)3月アズハル学院の創設AD972年『蜻蛉日記』AD974年(天延2年)頃南唐の滅亡AD975年ノルウェー人のグリーンランド入植AD985年頃ヴィンランド到達AD1000年頃
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD989年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります
中世のできごと一覧 →人物一覧 →
歴史データベースとは? →