概要
1953年12月、アメリカのアイゼンハワー大統領は国際連合の総会で、核の技術を兵器ではなく、電力や医療など平和のために使おうと呼びかけ、そのための国際機関を作ることを提案した。「平和のための原子力」と呼ばれる演説である。1957年7月29日、国際原子力機関、IAEAがウィーンに生まれた。原子力の平和な利用を広めると同時に、核の物質が兵器に回されていないかを確かめる査察を担う。核拡散防止条約ができると、その査察の役目はさらに重くなった。2005年、IAEAと事務局長エルバラダイはノーベル平和賞を受けた。
場所
48.21°N 16.37°E · オーストリア
本文
1945年の広島・長崎への原爆投下で、核の力は兵器として世界に姿を現した。戦後、アメリカは核の技術を独り占めしようとしたが、1949年にソ連が原爆を持ち、核兵器の競争が始まった。一方で、原子炉の熱で電気を起こし、放射線を医療や農業に使う研究も進んでいた。
1953年12月8日、アメリカのアイゼンハワー大統領は、国際連合の総会で演説した。核の技術を、人類を滅ぼす道具ではなく、平和のために使うべきだ。核兵器を持つ国が、核分裂の物質を国際的な機関に預け、その機関が、それを電力や医療に役立てる。この「平和のための原子力」の演説は、核の技術を広めることで、同盟国と中立の国々を引きつける冷戦の戦略でもあった。
交渉には数年かかった。1956年10月、80を超える国が国際原子力機関の憲章を採択し、1957年7月29日、憲章が発効して、IAEAがウィーンに生まれた。機関は、原子力の平和な利用を助けると同時に、各国に渡った核の物質や施設が、兵器に回されていないかを確かめる「保障措置」を担うことになった。
1970年に核拡散防止条約が発効すると、核兵器を持たない加盟国は、国内のすべての核の物質についてIAEAの査察を受けることを義務づけられた。IAEAの査察官は、原子力の施設を訪れて、核の物質の量を記録と照らし合わせ、監視カメラや封印で見張った。1990年代、イラクと北朝鮮がひそかに核兵器の開発を進めていたことが分かると、抜き打ちで査察できる追加の議定書が作られた。
2003年、IAEAは、イラクが核兵器の開発を再開した証拠は見つからないと報告したが、アメリカはイラクに攻め込んだ。2005年、IAEAと事務局長モハメド・エルバラダイは、核の拡散を防ぐ努力が認められ、ノーベル平和賞を受けた。IAEAは、原子力の事故の安全にも関わり、1986年のチェルノブイリ、2011年の福島の事故のあとに調査団を送った。2022年からは、ロシアの軍に占領されたウクライナのザポリージャ原子力発電所に職員を置き続けている。