概要
日本国有鉄道は、1964年に赤字に転じてから、車と飛行機に客と貨物を奪われ、地方の赤字路線と、政治の求めで造られる新線を抱えて、借金を膨らませ続けた。労働組合とのストライキも繰り返された。中曽根内閣は、国鉄を地域ごとに分け、民間の会社にすることを決めた。1987年4月1日、国鉄は、北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州の6つの旅客の会社と、一つの貨物の会社などに分かれ、JRとして出発した。37兆円を超える借金の多くは国が引き受けた。分割の過程では、多くの国鉄の職員が新会社に採用されず、長い争いが残った。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
戦後の1949年、国の鉄道は、日本国有鉄道という公共企業体になった。国鉄は、戦後の復興と高度成長の時代に、人と物の運び手として大きな役割を果たし、1964年には東海道新幹線を開業させた。だがその年、国鉄は初めて赤字になった。
赤字は年々膨らんだ。自家用車とトラック、飛行機の普及で、客と貨物が奪われた。地方では、乗る人の少ない路線が赤字を生み続けた。それでも、国会議員たちは選挙区に新しい線を引くよう求め、国鉄は採算の見込めない新線と新幹線を造らされた。運賃の値上げには国会の承認が要り、経営の自由は乏しかった。職員の数は多く、労働組合は、ストライキを打つ権利を求めて違法なストライキを繰り返した。1975年には8日間にわたる大規模なストライキで、全国の列車が止まった。国鉄の借金は、1980年代には30兆円を超えていた。
1981年に作られた臨時行政調査会は、国鉄の改革を行政改革の柱の一つにした。中曽根康弘内閣のもとで、国鉄再建監理委員会は1985年、国鉄を地域ごとの旅客の会社と貨物の会社に分け、民間の会社にすべきだと答申した。全国一つの組織のままでは、大きすぎて経営に目が届かず、地域の実情に合わせた経営ができないとされた。
1987年4月1日、国鉄は、JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州の6つの旅客の会社と、JR貨物などに分かれた。37兆円を超える借金のうち、新会社が引き継いだのは一部で、残りは清算事業団が引き受け、のちに国の一般会計、つまり国民の税金で返すことになった。分割の際、国鉄の職員の数は大幅に減らされ、とくに国鉄労働組合の組合員の多くが新会社に採用されず、その不当を訴える争いは20年以上続いた。
民営化のあと、本州の3社は、新幹線と大都市の路線で利益を上げ、株式を上場した。サービスは良くなり、駅は商業の施設として生まれ変わった。一方、北海道と四国の会社は、人口の減少のなかで赤字の路線を抱え、廃止される路線も増えている。民営化が成功だったのかどうかは、地域によって答えが分かれている。