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Event / できごと

国鉄の分割民営化

Privatization of Japanese National Railways
AD1987年4月1日
重要度 3
ソビエト連邦中国モンゴルチベットビルマ大英帝国タイ日本ベトナムラオスフィリピンカンボジア朝鮮民主主義人民共和国大韓民国AD1987年4月1日東京
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1987年4月1日の版図を描いています(14勢力)。

概要

日本国有鉄道は、1964年に赤字に転じてから、車と飛行機に客と貨物を奪われ、地方の赤字路線と、政治の求めで造られる新線を抱えて、借金を膨らませ続けた。労働組合とのストライキも繰り返された。中曽根内閣は、国鉄を地域ごとに分け、民間の会社にすることを決めた。1987年4月1日、国鉄は、北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州の6つの旅客の会社と、一つの貨物の会社などに分かれ、JRとして出発した。37兆円を超える借金の多くは国が引き受けた。分割の過程では、多くの国鉄の職員が新会社に採用されず、長い争いが残った。

場所

東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都

本文

戦後の1949年、国の鉄道は、日本国有鉄道という公共企業体になった。国鉄は、戦後の復興と高度成長の時代に、人と物の運び手として大きな役割を果たし、1964年には東海道新幹線を開業させた。だがその年、国鉄は初めて赤字になった。

赤字は年々膨らんだ。自家用車とトラック、飛行機の普及で、客と貨物が奪われた。地方では、乗る人の少ない路線が赤字を生み続けた。それでも、国会議員たちは選挙区に新しい線を引くよう求め、国鉄は採算の見込めない新線と新幹線を造らされた。運賃の値上げには国会の承認が要り、経営の自由は乏しかった。職員の数は多く、労働組合は、ストライキを打つ権利を求めて違法なストライキを繰り返した。1975年には8日間にわたる大規模なストライキで、全国の列車が止まった。国鉄の借金は、1980年代には30兆円を超えていた。

1981年に作られた臨時行政調査会は、国鉄の改革を行政改革の柱の一つにした。中曽根康弘内閣のもとで、国鉄再建監理委員会は1985年、国鉄を地域ごとの旅客の会社と貨物の会社に分け、民間の会社にすべきだと答申した。全国一つの組織のままでは、大きすぎて経営に目が届かず、地域の実情に合わせた経営ができないとされた。

1987年4月1日、国鉄は、JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州の6つの旅客の会社と、JR貨物などに分かれた。37兆円を超える借金のうち、新会社が引き継いだのは一部で、残りは清算事業団が引き受け、のちに国の一般会計、つまり国民の税金で返すことになった。分割の際、国鉄の職員の数は大幅に減らされ、とくに国鉄労働組合の組合員の多くが新会社に採用されず、その不当を訴える争いは20年以上続いた。

民営化のあと、本州の3社は、新幹線と大都市の路線で利益を上げ、株式を上場した。サービスは良くなり、駅は商業の施設として生まれ変わった。一方、北海道と四国の会社は、人口の減少のなかで赤字の路線を抱え、廃止される路線も増えている。民営化が成功だったのかどうかは、地域によって答えが分かれている。

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