科学的管理法
概要
フレデリック・テイラーは、製鋼所で、労働者が意図的に手を抜いていると考えた。作業を要素に分解し、ストップウォッチで測り、最も速い手順を決め、それを守らせる。銑鉄を運ぶ量が一人あたり数倍になったと彼は書いた。数字には脚色があると、後の検証が指摘している。核心は、作業の知識を職人の手から取り上げて、管理する側に移すことである。労働者は考えなくてよい、と彼は明言した。効率は上がり、そして仕事は分解された。
場所
39.95°N -75.17°E · アメリカ合衆国・ペンシルベニア州
関わった人(1)
フレデリック・テイラーAD1856年3月20日–AD1915年3月21日 · 提唱本文
フレデリック・テイラーは、1856年にフィラデルフィアの裕福な家に生まれた。名門の大学に進む道もあったが、目を悪くしたこともあって進学をやめ、町の機械工場の見習いになった。その後、ミッドヴェール製鋼所に職工として入り、やがて職長に昇った。現場の上に立った彼の目に映ったのは、労働者たちが全力で働いていないという光景だった。彼はそれを「組織的怠業」と呼んだ。
テイラーは、労働者が手を抜くのには理由があると考えた。当時の工場の多くは出来高払いで、一つ作るごとにいくら、という形で賃金が払われていた。ところが労働者がたくさん作ると、雇い主は一つあたりの単価を下げてしまう。速く働けば、自分たちの首を絞めることになる。

だから労働者たちは、仲間内で一日にどれだけ作るかを取り決め、それ以上は作らない。しかも、一日にどれだけの仕事ができるのかを本当に知っているのは、現場の職人だけで、雇う側には分からなかった。仕事の知識は、労働者の側にあったのである。
テイラーは、その知識を手に入れることから始めた。仕事を、かがむ、つかむ、持ち上げる、歩く、置く、といった小さな動作に分解し、ストップウォッチでそれぞれにかかる時間を測る。最も速い者の動きを記録し、そこから最も良いやり方を決める。道具の形、持ち方、休みを取る間隔まで、すべてを一つの「最良の方法」として定めた。

たとえば、シャベルで一度にすくう量は21ポンドあまりがいちばん能率がよいと結論し、すくう材料の重さに合わせて大きさの違うシャベルを用意させた。そして労働者には、何を、どの順番で、どの速さでやるかを書いた指示書を渡し、その通りに働かせた。決めた基準を達成すれば高い単価、達成できなければ低い単価で払う、差のついた出来高払いも組み合わせた。
彼の名を最も有名にしたのは、1899年ごろ、ペンシルヴェニアのベスレヘム製鋼での話である。一つ40キロあまりある銑鉄の塊を貨車に積み込む作業で、一人が一日に運べる量は12.5トンほどだった。テイラーはこれを、作業と休憩の配分を細かく決めることで、47トンにまで増やしたと書いている。その手本にされた労働者を、彼は本の中で「シュミット」と呼んだ。本名はヘンリー・ノルという。テイラーは、高い賃金を稼ぎたいなら、明日から指図する者の言う通りに歩き、言う通りに座り、口答えをせずに働け、と彼に言い聞かせたと書いている。

ただ、この話には後の研究者から多くの疑問が出されている。当時の記録を調べると、選ばれたのはとりわけ体の頑丈なごく少数の労働者で、ほかの多くの者はその速さでは働けなかった。47トンという数字の出し方にも疑問がある。テイラー自身も講演や著作でこの話を何度も語り直しており、そのたびに細部が違っている。
テイラーが目指したものの核心は、時間の測り方そのものよりも、仕事の知識を職人の手から取り上げ、管理する側に移すことにあった。彼は、頭を使う仕事はすべて現場から取り除き、計画を立てる部署に集めるべきだと書いた。銑鉄を運ぶのに向いている者は鈍すぎて、その仕事の科学を理解することはできない、という一節まである。この言葉は前後の文脈を省いて引用されることも多いが、彼がそう書いたことは確かである。
考える人と、手を動かす人を分ける。それが、この方法のいちばん大きな帰結だった。1911年、彼はその考えを『科学的管理法の原理』という本にまとめた。
テイラーの考えは、驚くほど広く受け入れられた。自動車の大量生産を始めたヘンリー・フォードは、テイラーの直接の弟子ではないが、仕事を細かく分けて決まった手順で繰り返させる考え方は共通していた(フォードの流れ作業)。ただしフォードの流れ作業では、人がストップウォッチで速さを決めるのではなく、動き続ける機械が仕事の速さを決めた。資本主義を批判したはずのソ連でも、レーニンは1918年の論文で、テイラーのやり方は資本家による搾取の最も洗練された形であると同時に、学ぶべき貴重な科学の成果でもある、と論じた。
ソ連は「労働の科学的組織」と名づけて、この方法を取り入れた。日本では、テイラーの本が1913年に翻訳され、心理学者の上野陽一らが「能率」という言葉とともに広めた。のちの日本の工場の改善の活動や品質管理の遠い祖先とも言える。ただし、そこには現場の労働者自身が考えて工夫するという、テイラーとは逆の要素が加わっていった(かんばん方式)。病院や学校、さらには家庭の台所にまで、「科学的管理」をうたう本があふれた。
反発も強かった。1911年、マサチューセッツのウォータータウン兵器廠で、ストップウォッチによる時間の測定に反対する労働者たちがストライキを起こした。連邦議会は特別委員会を作って調べ、やがて軍の工場で労働者の作業をストップウォッチで測ることが法律で禁じられた。この禁止は1949年まで続いた。
人間を測ることの限界も問われた。動作の時間は測れても、疲れや、やる気や、仕事の意味は測れない。1920年代から30年代にかけて、アメリカの電機会社の工場で行われた一連の実験では、照明を明るくしても暗くしても生産性が上がるという奇妙な結果が出た。働く人々が、自分たちが注目されていると感じたことが効いたのだと解釈され、職場の人間関係を重んじる考えが生まれた。この実験の解き明かし方には後に強い批判も出ているが、人を部品のように扱う見方への反省のきっかけにはなった。
同じ時代に動作の研究をしたフランクとリリアンのギルブレス夫妻は、やがてテイラーと袂を分かった。彼らが探したのは、いちばん速い動作ではなく、いちばん疲れない動作だった。映画のカメラで作業を撮影して分析し、心理学の博士号を持つリリアンは、働く人の疲れや満足そのものを研究の対象にした。夫妻は12人の子を育て、その騒がしい家庭を子どもたちが書いた本は、『一ダースなら安くなる』の題で映画にもなった。
テイラーは1915年に世を去った。いまでは「テイラー主義」という言葉は、たいてい批判の意味で使われる。だが彼の方法は、形を変えてあらゆるところに生きている。物流の倉庫で、一つの品物を棚から取るのにかかる秒数。
電話の窓口で、一件あたりにかかる通話の時間。配達員の一日の配達の件数。それを記録しているのは、もう人の手にあるストップウォッチではなく、働く人が持つ端末であり、機械が休みなく測り続けている。仕事を細かく分け、測り、考える人と動く人を分けるという設計も、百年あまりたったいまも、多くの職場の土台にある。