概要
第一次世界大戦のあと、欧米の都市には、膝の見える短いスカートをはき、髪を短く切り、化粧をして、ジャズで踊り、たばこを吸う若い女性たちが現れた。アメリカでは「フラッパー」と呼ばれた。戦争で働きに出て、選挙権を得た女性たちの、新しい生き方の表れだった。日本でも、関東大震災のあとの東京で、断髪に洋装の若い女性が銀座を歩くようになり、「モダンガール」、略して「モガ」と呼ばれた。タイピストや百貨店の店員、電話の交換手として働く女性たちだった。世間はモガを軽薄だと冷やかしたが、女性の服と暮らしは確かに変わっていった。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
第一次世界大戦の間、男たちが戦場に出たあと、欧米の女性たちは工場や事務所、病院で働いた。戦後、イギリスやアメリカなど多くの国で、女性は選挙権を得た。戦争で多くの若者が死に、古い価値観が揺らいだ時代に、若い女性たちは新しい生き方を求めた。
1920年代のアメリカの都市には、短く切った髪を帽子の中に収め、膝の見える丈のまっすぐなドレスを着て、口紅を塗り、たばこを吸い、禁酒法の時代のもぐり酒場でジャズに合わせてチャールストンを踊る若い女性たちが現れた。彼女たちは「フラッパー」と呼ばれた。コルセットで胴を締める服は消え、胸と腰の線を目立たせないまっすぐな服がはやった。作家フィッツジェラルドの小説や、ハリウッドの映画のスターが、フラッパーの姿を世界に広めた。
日本では、1923年の関東大震災のあと、東京が復興していくなかで、洋服を着て、髪を短く切った若い女性たちが、銀座の通りを闊歩するようになった。彼女たちは「モダンガール」、略して「モガ」と呼ばれ、同じく洋装の若い男たちは「モダンボーイ」、「モボ」と呼ばれた。それまでの日本の女性は、着物を着て、長い髪を結っているのが当たり前だった。
モガの多くは、職業を持つ女性たちだった。タイピスト、電話の交換手、百貨店の店員、バスの車掌、カフェの女給。都市に生まれた新しい仕事は、女性に自分で稼ぐ道を開いた。雑誌はモガを流行の先端として取り上げる一方で、軽薄で、家庭を顧みない、不良の娘として冷やかした。実際には、洋装の女性はまだ少なく、銀座を歩く女性の大半は着物だったという調査もある。
1929年の大恐慌のあと、欧米ではスカートの丈が再び長くなり、日本では戦時体制のなかで、華やかな装いは「贅沢は敵だ」として退けられた。それでも、女性が短い髪で洋服を着て、働きに出るという変化は、戦後に受け継がれていった。