概要
20世紀のはじめのアメリカでは、何十万人もの子どもが、綿の紡績工場や炭鉱、缶詰工場、街頭の新聞売りで働いていた。1908年、元教師の写真家ルイス・ハインは、全国児童労働委員会に雇われ、工場の監督の目をかいくぐって、働く子どもたちを撮り始めた。保険の外交員や聖書の売り子を装って工場に入り込み、子どもの背丈を服のボタンの位置で測り、名前と年を書き留めた。機械の前に立つ小さな女の子、石炭の粉で黒くなった少年たち。十年あまりで撮った数千枚の写真は世論を動かし、1938年、連邦の法が子どもを雇うことを厳しく制限した。
場所
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国
本文
工場の機械は、力の弱い子どもでも動かせた。イギリスでは産業革命のはじめから、子どもが紡績工場や炭鉱で長い時間働かされ、1833年の工場法などで少しずつ制限されていった(1833年工場法)。アメリカでも、19世紀の末から20世紀のはじめにかけて、工業が急に伸びるなかで、子どもの労働は増え続けた。1900年の国勢調査では、10歳から15歳の子どものおよそ6人に1人が働いていた。南部の綿の紡績工場、ペンシルヴェニアの炭鉱、東海岸の缶詰工場、都会の街角の新聞売りや靴磨き。移民の家族にとって、子どもの稼ぎは暮らしに欠かせなかった。
ルイス・ハインは、ウィスコンシン州の小さな町に生まれ、工場で働きながら学んで教師になった。ニューヨークの学校で教えていたころ、写真機を使って、エリス島に着いた移民たちを撮り始めた。1908年、彼は教師を辞め、子どもの労働をなくそうと運動していた全国児童労働委員会の調査員兼写真家になった。
工場の持ち主たちは、子どもを使っていることを隠そうとした。ハインは、火災保険の調査員や、聖書の行商、機械の写真を撮りに来た者を装って工場に入り込んだ。入れないときは、朝晩の交代の時刻に門の外で待った。子どもの背丈は、自分の上着のボタンの高さと比べて測り、ポケットの中でメモを取って、名前と年齢と働いている時間を記録した。
ハインの写真に写った子どもたちは、カメラをまっすぐに見つめている。紡績機の長い列の前に立つ裸足の少女、炭鉱で石炭から石を選り分ける、顔を黒くした少年たち、夜の街で新聞を売る幼い兄弟。ハインはこれらの写真を、講演や雑誌、ポスターに使い、統計の数字だけでは伝わらない現実を人々に見せた。彼は十年あまりで、全国の工場や農場で数千枚の写真を撮った。
子どもの労働を禁じる連邦の法は、1916年に一度作られたが、最高裁判所に憲法違反とされた。大恐慌のなかで大人の失業が深刻になると、子どもを雇うことへの批判は強まり、1938年、公正労働基準法が、16歳未満の子どもを多くの仕事で雇うことを禁じた。いまでも世界では、一億人を超える子どもが働いていると推計されている。