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Event / できごと

フォードの流れ作業

Ford's moving assembly line
AD1913年
重要度 5

概要

ハイランドパーク工場。シカゴの食肉工場の「解体の流れ」を逆にした。組み立てる物が動き、人は動かない。T型フォード1台の組み立てが12時間半から93分に。値段は850ドルから260ドルへ。1914年、日給5ドル(当時の倍)と8時間労働。「私の工場の労働者が、自分の作る車を買えるように」。単純な動作の繰り返し。チャップリンが『モダン・タイムス』で笑った。

場所

ハイランドパーク(デトロイト)
42.41°N -83.10°E · アメリカ・ミシガン州

関わった人(1)

ヘンリー・フォードAD1863年7月30日–AD1947年4月7日 · 作った

本文

1908年10月1日、T型フォード。850ドル。頑丈で、修理しやすく、悪路に強い。1913年までに、フォードはアメリカの自動車の半分近くを作っていた。それでも足りなかった。

それまでの組み立ては、1台ずつ、床に置いて、職人の組が部品を運んできて、囲んで作った。1台12時間半。

1913年4月1日、ハイランドパーク工場の、フライホイール・マグネトー(発電機)の組み立てから始めた。29人が1台ずつ作ると1台20分。それを29人が一列に並んで、部品が目の前を流れ、1人が1つの動作だけをすると、1台13分。腰の高さを8インチ上げると、7分。

夏に、エンジン、トランスミッション。8月、車体。10月7日、シャシー全体。ロープとウィンチで引いた。1台の組み立てが12時間28分から2時間38分へ。1914年1月、動力で動くベルト。93分。

着想。シカゴの食肉工場(1860年代から、天井のレールで枝肉を吊って動かし、職人が定位置で切る「解体の流れ」)を、副社長ソレンセンが見ていた。それを逆にした。バラして流すのでなく、組み立てて流す。それに、19世紀のアメリカの互換式部品(銃と時計とミシン。「アメリカ式製造法」)と、テイラーの動作研究が合わさった。

結果。1913年に20万台、1916年に58万台、1923年に200万台。値段は1914年に490ドル、1925年に260ドル(労働者の3か月分の給料)。1927年までに1500万台。アメリカの道が舗装され、郊外ができ、モーテルができ、農民が町へ日帰りするようになった。

代償。同じ動作を、1日9時間、繰り返す。1913年、ハイランドパークの離職率は年380%(100人を保つのに380人雇う)。1913年の労働者の平均勤続は数か月。

1914年1月5日、日給5ドル、8時間、3交代。当時の相場の倍以上。新聞が一面で報じ、翌朝、工場の門に1万人が並んだ(寒さの中、消防が放水した)。フォードは言った。「自分の作る車を買えない人間に、車は売れない」。それは半分本当で、半分は離職率を下げるためだった。5ドルは「賃金」でなく「利益分配」で、受け取るには条件があった。「社会部」の調査員が家庭を訪問し、酒を飲まないか、家が清潔か、貯金しているか、英語を学んでいるか、妻が働いていないかを調べた。移民の労働者は「アメリカ化」の学校に通わされた。

フォードは、労働組合を、1941年まで、暴力(「サービス部」のハリー・ベネットと、その私兵)で拒み続けた。1932年、失業者の行進に発砲して4人が死んだ。1937年、「歩道橋の戦い」でUAWの組織者が殴られた。

チャップリン『モダン・タイムス』(1936年)。ベルトコンベアのボルトを締め続けて、体が痙攣し、歯車に巻き込まれる。フォードの工場を念頭に置いている。

「フォーディズム」。大量生産、大量消費、高賃金、標準化。20世紀の工業の型。グラムシが獄中でその言葉を使い、ハックスリー『すばらしい新世界』(1932年)では、暦が「フォード紀元」で、人々が「わがフォードよ」と言う。

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