概要
1975年、スペイン北西部のア・コルーニャで、アマンシオ・オルテガがZARAの1号店を開いた。オルテガは、流行をすばやく取り入れた服を、自社の工場で少量ずつ作り、数週間で店に並べ、売れ行きを見て作り直す仕組みを作った。流行の服を安く、次々に売る「ファストファッション」である。スウェーデンのH&M、日本のユニクロなども世界に店を広げ、人々は服を手軽に買い、手軽に捨てるようになった。一方で、途上国の工場の過酷な労働と、大量の服の廃棄による環境への負担が、厳しく問われるようになった。
場所
43.36°N -8.41°E · スペイン・ガリシア州
本文
20世紀の後半まで、服の流行は、パリやミラノのデザイナーが季節ごとに発表する作品から始まり、それが半年から1年かけて、既製服の会社によって町の店に届いた。服は季節の初めにまとめて作られ、売れ残れば値下げされた。
アマンシオ・オルテガは、1936年、スペインの鉄道員の家に生まれ、13歳でシャツの店の使い走りとして働き始めた。服の仕事を覚えた彼は、1963年に、部屋着を作る小さな工場を開いた。1975年5月、スペイン北西部のガリシア地方の港町ア・コルーニャに、自分の服の店「ZARA」を開いた。
オルテガは、服の作り方と売り方の流れを根本から変えた。デザインから生産、物流、販売までを自分の会社で抱え込み、工場の多くをスペインやポルトガル、モロッコなど近くに置いた。世界中の店の売れ行きの情報を毎日集め、売れる服はすぐに追加で作り、売れない服はすぐにやめる。新しい服を考えてから店に並ぶまでを、数週間に縮めた。店には少しずつ、次々に新しい服が並び、客は「次に来たときにはもう無いかもしれない」と思って買った。
こうした、流行をすばやく取り入れた服を、安い値段で大量に売る商売は、早く出てくる食べ物になぞらえて「ファストファッション」と呼ばれた。スウェーデンのH&Mは世界中に店を広げ、日本のユニクロは、1998年に東京の原宿に店を開いてフリースの大流行を起こし、ヒートテックなど素材を工夫した服で世界に進出した。人々は服を気軽に買い、数回着ただけで捨てるようになった。
一方で、安い服を支える仕組みには、厳しい目が向けられた。多くの服は、バングラデシュやカンボジアなど賃金の安い国の工場で、長い時間、低い賃金で縫われていた。2013年、バングラデシュで縫製工場の入ったビルが崩れ、千人を超える人が死んだ(縫製工場の崩落)。大量に作られ捨てられる服は、水や化学薬品の使用、ごみの山として、環境への大きな負担にもなっている。服を長く着る、古着を回す、修理するといった動きも、少しずつ広がっている。