待ち行列の理論
概要
コペンハーゲン電話会社の技師アグナー・アーランは、交換機の回線を何本用意すべきかを問われた。多すぎれば無駄、少なければ客が繋がらない。彼は通話の発生を確率の過程として扱い、待たされる確率と、諦める確率を式にした。1909年の論文が、この分野の出発点である。以後、道路、病院、工場、そして計算機の設計に使われた。行列は、平均で足りているときでも生じる。到着がばらつくからである。それが、この理論の中心にある。
場所
55.68°N 12.57°E · デンマーク
関わった人(1)
アグナー・アーランAD1878年1月1日–AD1929年2月3日 · 定式化本文
20世紀の初め、電話は都市に急速に広がっていた。加入者どうしをつなぐのは交換局で、局と局のあいだには回線が引かれている。そこで電話会社は一つの問いに向き合った。ある地域のために、回線を何本用意すればよいのか。
加入者と同じ数だけ引けば、確かに誰も待たずに済む。しかし全員が同時に電話をかけることはまず無いので、それは途方もない無駄である。では、平均して同時に10人が話しているなら10本でよいか。これも間違いである。10本では、しょっちゅう誰かがつながらずに困る。なぜなのか。この問いに答えることが、待ち行列の理論の出発点になった。

答えを出したのは、アグナー・クラルプ・アーラン(1878〜1929年)である。デンマークのユトランド半島の村ロンボーに、村の学校の教師の子として生まれた。早くから数学の才を示し、14歳で教師の資格試験に特別に許されて合格し、しばらく父の学校で教えたという。その後コペンハーゲン大学で数学や物理、天文学を学び、卒業後は何年も学校で教えながら、数学の研究を続けた。デンマークの数学会で電話会社の技術者と知り合ったことが、彼の人生を変えた。1908年、アグナー・アーランはコペンハーゲン電話会社に入り、亡くなるまでの20年をそこで過ごした。
1909年、アーランは確率と電話の会話についての論文を発表した。電話がかかってくる回数は、一定の時間で見れば平均は決まっているが、一つ一つの呼び出しはそれぞれ勝手に、ばらばらに起きる。そうした出来事の回数は、ポアソン分布と呼ばれる決まった形の確率の分布に従う。アーランは、電話の呼び出しがこの法則に従うことを示し、実際の交換局の記録でそれを確かめた。電話がかかってくる様子を、確率で扱える現象としてとらえ直したのである。
1917年には、自動の交換機での待ち時間の問題を解いた論文を出した。そこで示された二つの式は、いまも彼の名で呼ばれている。一つは、回線がふさがっていたら、その呼び出しはあきらめられて失われる、と考える場合の式で、呼び出しが失われる割合を求める。もう一つは、呼び出しが順番を待つ場合の式で、待たされる確率と平均の待ち時間を求める。これらの式は、いまもほとんどそのまま使われている。コールセンターで、かかってきた電話の8割を20秒以内に取るには何人の係が要るか、といった計算にである。
アーランの理論の中心にあるのは、平均で足りていても行列はできる、という事実である。客は平均して10分に1人来るとしても、毎回きっちり10分おきに来るわけではない。たまたま3人が続けて来れば、そこで行列ができる。到着がばらつくかぎり、待ちは生まれる。
しかも、設備を使う割合が高まるほど、待ち時間は急に伸びる。窓口が半分の時間しか使われていないなら、ほとんど誰も待たない。8割使われるようになると待ちが目立ちはじめ、9割ではかなり待たされ、それを超えると待ち時間は爆発的に伸びる。計算の上では、使う割合が100パーセントに近づくと、待ち時間はどこまでも長くなる。あと少しで満杯という状態こそ、最も危うい。設備を目いっぱい使うのが効率がよいように見えて、実はそれが行列を生む。これは直感に強く反する。
電話の通信量は、いまもアーランという単位で測られる。1アーランは、一本の回線が休みなく使われ続けている状態を表す。そして理論は、電話の外へ広がっていった。道路の渋滞は、交通量が道路の容量の何割に達しているかで決まる。病院では、救急の待ち時間や、手術室と病床の使われ方の計算に使われる。病床がおよそ85パーセントを超えて埋まると救急の患者を受け入れにくくなる、という経験則がよく引かれるが、それもこの理論で説明がつく。工場では、在庫を減らしながら、流れのばらつきも小さくしようとする(かんばん方式)。ばらつきを抑えなければ、在庫を減らした途端に待ちが生まれるからである。計算機の中でも、処理の順番待ちや、通信網を流れるデータの混雑、サーバーの応答の遅れを考えるのに、待ち行列の理論が欠かせない。
人の並ぶ行列には、数だけでは割り切れない面もある。何もせずに待つ時間は、実際より長く感じられる。あとどれくらい待つのか分からないと、苦痛はさらに増す。だから多くの窓口で、待ち時間の目安を示すようになった。そして、割り込まれることが何より腹立たしい。銀行や空港では、窓口ごとに別々の列を作るのをやめ、一本の列から空いた窓口へ順に送るようになった。こうすると、待ち時間のばらつきが小さくなり、隣の列のほうが速く進む、という不満も消える。順番が公平に守られることへの人のこだわりは、パン屋の行列の昔から変わらない(パン屋の行列)。
アーランが確率の目で見た電話の問題は、その後の通信の発達の土台になった。電話交換手が手で回線をつないでいた時代(電話交換手)から、自動の交換機へ、そして計算機の網へと、通信の形が変わっても、限られた回線をどれだけの人で分け合えるかという問いは残り続けた。席を前もって押さえる予約の仕組み(座席予約システム)も、待つことをどう減らすかという同じ問いへの、別の答えだった。
アーラン本人は、1929年2月、手術のあとに容体が悪くなり、51歳で世を去った。生涯独身で、とても控えめな人だったと同僚が書き残している。自分の名を前に出すことはなかった。論文の多くはデンマーク語で、目立たない雑誌に載ったため、彼の仕事が英語に訳されて世界に知られるようになったのは、亡くなってから十数年たった1940年代のことである。いま、その名は通信量の単位として、世界中の技術者の口にのぼっている。