概要
国連が定めた国際婦人年の1975年10月24日、アイスランドの女性の九割が、勤めにも家事にも出なかった。賃金の差と、女性の働きが軽く見られていることへの抗議である。レイキャヴィークの広場には、人口22万の国で二万五千人が集まった。学校や工場や銀行が止まり、父親たちは子どもを連れて職場へ行き、その日は手早く作れるソーセージが店から消えたという。翌年、男女の平等を定める法律ができ、1980年には、ヴィグディス・フィンボガドゥティルが、国民の選挙で選ばれた世界で最初の女性の大統領になった。
場所
64.15°N -21.94°E · アイスランド
本文
1975年は、国連が定めた国際婦人年だった。アイスランドの女性団体は、この年に何をするかを話し合い、女性が一日、すべての仕事をやめてみせることを決めた。「ストライキ」という言葉は、政治色が強すぎるとして「休日」と呼ぶことにした。そのほうが、勤め先から罰を受けにくく、多くの人が加われるからでもあった。
10月24日、国の女性の九割が、勤めにも家事にも出なかった。電話の交換局は止まり、新聞は印刷できず、学校や保育所は閉まり、魚の加工場も銀行も開かなかった。父親たちは、子どもを連れて職場に行くしかなかった。手早く作れて子どもが食べるソーセージが店から消えた、という話が残っている。
首都レイキャヴィークの広場には、二万五千人ほどの女性が集まった。国の人口は22万だった。演説では、同じ仕事をしても男より低い賃金、家事と育児が働きとして数えられないこと、議会に女性がほとんどいないことが語られた。
翌1976年、男女の平等を定める法律ができた。1980年、ヴィグディス・フィンボガドゥティルが大統領選挙に勝ち、国民の選挙で選ばれた世界で最初の女性の国家元首になった。彼女はのちに、あの日が自分の道を開いたと振り返っている。アイスランドの女性たちは、その後も1985年、2005年、2023年などに、同じ形の休日を繰り返している。