宮内省の鵜匠
概要
長良川では、千年以上前から鵜を使って鮎を捕ってきた。夜、舟の先で篝火を焚くと、光に寄った鮎を、首に紐を巻いた鵜が水に潜って飲み込む。紐があるので大きな鮎は喉を通らず、鵜匠が鵜を舟に引き上げて吐き出させる。鵜の喉を通った鮎は、傷がなく、一瞬で締まるので味が良いとされた。戦国の世には織田信長が鵜飼を保護し、江戸時代には鮎が将軍家に献上された。明治になって後ろ盾を失いかけた鵜匠たちを、1890年、宮内省が御料鵜飼として抱えた。長良川の鵜匠は、いまも宮内庁の職員である。
場所
35.43°N 136.76°E · 日本・岐阜県岐阜市
関わった人(1)
織田信長AD1534年–AD1582年6月21日 · 鵜飼を保護した本文
鵜飼は、鵜という水鳥に魚を捕らせる漁である。岐阜の長良川の鵜飼は、こんなふうに行われる。夏の夜、川に小さな舟を出し、舳先に吊るした鉄の籠で篝火を焚く。火の明かりに驚いた鮎が、川の中で動き回る。鵜匠が手縄でつないだ鵜を水に放つと、鵜は水に潜り、鮎を追いかけて丸のみにする。
鵜の首の付け根には、あらかじめ細い紐が結んである。紐のおかげで、小さな鮎は喉を通って鵜の腹に収まるが、大きな鮎は喉の途中で止まる。鵜の喉がふくらむと、鵜匠は手縄をたぐって鵜を舟に引き上げ、喉の鮎を吐き出させる。そしてまた水に放つ。鵜匠は一人で十羽ほどの鵜を操る。何本もの手縄が絡まないように、鵜の動きに合わせて縄をさばく手並みが、鵜匠の腕の見せどころである。

鵜飼の歴史は古い。『日本書紀』にも鵜飼をする人々が登場し、中国の歴史書『隋書』は、倭国の人々が鵜の首に輪をかけて水に入れ、魚を捕らせていると記している。奈良時代の美濃の国の戸籍には、鵜飼を思わせる名を持つ人が見え、長良川の鵜飼は千三百年ほど前にさかのぼるとも言われる。
鵜の喉を通った鮎は、体に傷がなく、一瞬で息絶えるので、身が締まって味がよいとされた。そのため、鵜で捕った鮎は、昔から特別なものとして、朝廷や権力者に献上された。

戦国の世、美濃を攻め取って岐阜に城を構えた織田信長は、長良川の鵜飼をことのほか好んだ。鵜飼をする者たちを保護し、訪ねてきた客を鵜飼の見物でもてなしたという。「鵜匠」という呼び名を与えたのも信長だった、とも伝えられるが、確かなことは分からない。
江戸時代、長良川の鵜匠たちは尾張藩の保護を受けた。捕った鮎は鮨にされ、将軍家へ献上された。岐阜から江戸まで、決まった道をたどって急いで運ばれた。鵜匠たちは、その代わりに、川で鵜飼をする特別な権利を認められていた。

元禄の初め、俳人の松尾芭蕉も、岐阜で鵜飼を見物している。そのとき詠んだ句、「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」はよく知られている。篝火に照らされた華やかな漁が終わり、火が消えて暗い川が戻ってきたときの寂しさを詠んだものである。
明治に入って藩がなくなると、鵜匠たちは大きな後ろ盾を失った。それまで認められていた漁の特別な権利も揺らぎ、鵜飼を続けていけるかどうかが危ぶまれた。1890年(明治23年)、宮内省は長良川の一部を皇室のための漁場、御料場と定めた。鵜匠たちは宮内省の職員となり、御料場で捕った鮎を皇室に納めることになった。

いまも、長良川の鵜匠は、宮内庁の式部職の職員である。身分は国家公務員で、鵜匠の家に生まれた者が代々その職を継いでいる。毎年、御料場で行われる「御料鵜飼」で捕った鮎は、皇居へ届けられ、伊勢神宮にも奉納される。長良川の鵜飼の技は、2015年に国の重要無形民俗文化財に指定された。
長良川の鵜飼で使われるのは、川の鵜ではなく、海の鵜、ウミウである。体が大きく、力が強い。鵜は、茨城県の海岸の崖で、渡りの途中に捕らえられる。全国の鵜飼で使われる鵜の多くは、そこで捕られたものである。

捕らえられた鵜は、鵜匠の家で、一羽ずつ時間をかけて慣らされる。鵜は鵜匠の家の鳥屋で暮らし、鵜匠は朝晩、鵜の体をなで、様子を見て、餌を与える。鵜と鵜匠の家族は、ほとんど一緒に暮らしているようなものだ。鵜は十年から二十年ほど働くと言われる。年をとって働けなくなった鵜も、最後まで鵜匠の家で養われることが多い。鵜の組み合わせにも気が配られ、仲のよい鵜どうしが一緒に舟に乗せられる。
人が自分で潜って魚を捕るよりも、鵜に捕らせるほうがずっとうまくいく。鳥の力を借りて狩りをするという点では、鵜飼は鷹狩りと似ている。中世ヨーロッパの皇帝が書き残した鷹狩りの書物(『鷹狩りの技術』)が示すように、鷹は王侯の狩りの道具だった。鵜は、漁の道具であると同時に、献上の品を得るための道具でもあった。そして明治に、皇室の儀礼の一部になった。

いま、長良川の鵜飼は、毎年5月から10月にかけて、夜ごとに観光の船を集める夏の風物詩になっている。1936年に来日した喜劇王チャップリンも長良川の鵜飼を見物し、すっかり気に入ったと伝えられる。川の上の篝火と、鵜匠の掛け声と、水に潜る鵜の姿は、多くの見物人を楽しませている。
鵜飼は、漁としてだけ見れば、もはや割に合うものではない。網を使えば、鮎ははるかに多く捕れる。それでも千年以上の技が絶えずに続いているのは、鮎を献上する役目が、藩から皇室へと引き継がれ、鵜匠という職が守られてきたからでもある。古い技を残すには、それを支える役目と仕組みが要る。長良川の鵜匠の歴史は、そのことを物語っている。