概要
第一次世界大戦の講和を話し合うパリの会議は、ヴェルサイユ条約の中に、労働者の暮らしを国際的に良くするための機関を作ることを書き込んだ。世界の永続する平和は、社会の正義を土台にしてこそ打ち立てられる、というのがその理由だった。ロシア革命の波及を恐れる気持ちもあった。1919年10月29日、ワシントンで最初の総会が開かれ、1日8時間・週48時間の労働時間を定める条約が採択された。ILOは、政府だけでなく、雇う側と働く側の代表も票を持つ、珍しい仕組みの機関である。国際連盟が消えたあとも生き残り、国際連合の機関になった。
場所
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国
本文
19世紀の工業化は、長い労働時間、危険な職場、子どもの労働を生んだ。各国はそれぞれに工場法などを作ったが、一国だけで労働条件を良くすると、その国の製品は高くなり、貿易の競争に負ける。労働の条件は、国際的にそろえなければならない。19世紀の末から、そう考える人々が国際的な会議を重ね、1906年には、夜に女性を働かせることや、マッチ工場での有毒な黄燐の使用を禁じる条約も結ばれていた。
第一次世界大戦は、兵士として、また軍需工場で働いた労働者たちの発言の力を強めた。ロシア革命が起き、ヨーロッパの各地でストライキと革命の動きが広がっていた。1919年、パリの講和会議は、労働の問題を話し合う委員会を設け、アメリカの労働運動の指導者サミュエル・ゴンパーズがその議長を務めた。ヴェルサイユ条約の第13編は、国際労働機関の憲章として書かれた(ヴェルサイユ条約)。
憲章の前文は、世界の永続する平和は社会の正義を基礎としてのみ確立できると述べ、多くの人々に不正と困苦と窮乏をもたらす労働の条件が、世界の平和と協調を危うくするほどの不安を生んでいると書いた。ILOは、各国の政府の代表2人、使用者の代表1人、労働者の代表1人が、それぞれ独立して票を投じる三者構成をとった。国家だけが集まる国際機関の中で、珍しい仕組みである。
1919年10月29日、ワシントンで最初の総会が開かれ、工業で働く人の労働時間を1日8時間・週48時間に限る条約などが採択された(八時間労働)。初代の事務局長には、フランスの社会主義者アルベール・トマが就いた。日本は創設のときからの加盟国で、総会には政府と使用者と労働者の代表を送った。日本の労働者の代表の選び方をめぐっては、労働組合を代表として認めない政府の態度が、総会で問題にされた。
国際連盟は第二次世界大戦の前に力を失ったが、ILOは生き延び、1946年、国際連合の最初の専門機関になった。1944年のフィラデルフィア宣言は、労働は商品ではないと宣言した。ILOは、結社の自由、強制労働の禁止、児童労働の禁止、差別の禁止などの条約を作り、各国に守らせる役割を担っている。1969年、創設50周年の年に、ノーベル平和賞を受けた。