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Event / できごと

チャーティスト運動

Chartist movement
AD1838年5月8日
重要度 4

概要

1832年の選挙法改正で選挙権を得たのは中産階級だけだった。労働者は「人民憲章」6か条を掲げた。男子普通選挙、秘密投票、議員の財産資格の廃止、議員の歳費、平等な選挙区、毎年の選挙。署名128万、330万、570万(1848年、偽名が多かった)。議会は3回とも拒んだ。運動は消えた。6か条のうち5つは、1918年までに実現した。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

本文

1832年の選挙法改正で、イングランドの成人男性の5分の1が選挙権を持った。年10ポンドの家に住む人。工場労働者は入らなかった。「改正法は中産階級を買収して、労働者を置き去りにした」。1834年の新救貧法は、貧しい人を救貧院(バスティーユと呼ばれた)に入れて、夫婦を分けた。

1836年、ロンドン労働者協会。1838年5月8日、ウィリアム・ラヴェットとフランシス・プレイスが起草した「人民憲章(ピープルズ・チャーター)」を発表した。6か条。21歳以上の男子の普通選挙。秘密投票。議員の財産資格の廃止。議員への歳費(貧しい人が議員になれるように)。人口の等しい選挙区。毎年の議会選挙。

「道徳的な力」(ラヴェット、請願と教育)と「物理的な力」(ファーガス・オコナー、『ノーザン・スター』紙、集会と脅し)。1839年、128万人の署名の請願を議会が235対46で拒んだ。11月、ニューポート(ウェールズ)で武装したチャーティスト数千人がホテルを襲い、兵が撃って22人が死んだ。首謀者は流刑。1842年、331万人の署名(人口の6分の1)。拒んだ。北部でゼネスト(プラグ暴動)。1848年4月10日、ケニントン・コモンの大集会。オコナーは50万人と言い、警察は1万5000と言った。570万の署名と言って、議会が数えたら197万で、「ヴィクトリア女王」「ウェリントン公」「鼻ぺちゃ」の署名が混じっていた。笑われた。運動は終わった。

6か条。1858年、財産資格の廃止。1872年、秘密投票。1885年、選挙区の均等化(ほぼ)。1911年、歳費。1918年、男子普通選挙(と30歳以上の女性)。毎年選挙だけが、実現していない。

負けた運動の要求が、70年で法律になった。

同じ時代のできごと

第三次マラーター戦争AD1818年6月3日カールスバート決議AD1819年9月20日ラッフルズのシンガポールAD1819年2月6日ムフェカネAD1820年頃伊能忠敬の日本図AD1821年チェロキー文字の完成AD1821年ギリシア独立戦争1821年ロゼッタ・ストーンの解読AD1822年9月