概要
イギリス国教会の牧師ジョン・ウェスレーは、オックスフォードの学生のころ、弟チャールズらと規則正しい祈りと奉仕の会を作り、きちょうめんなやり方から「メソジスト」とからかわれた。1738年5月24日、ロンドンのアルダーズゲート通りの集まりで、ルターの書いた文章の朗読を聞いていたとき、彼は心が不思議に温まるのを感じたと日記に書いた。翌年から、教会の外の野原や炭鉱の入口で、労働者に向けて説教を始める。馬で国じゅうを回り、信徒を小さな組に分けて互いに支え合わせた。産業革命で教会から取り残された人々の信仰になり、のちに国教会から分かれた。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
18世紀のはじめ、イギリス国教会は国の制度に深く組み込まれていたが、多くの聖職者は信仰より地位や収入に心を向けていた。急に膨らんだ工業の町や炭鉱の村には教会が足りず、貧しい労働者の多くは、教会とほとんど縁が無かった。
ジョン・ウェスレーは、国教会の牧師の家に生まれた。オックスフォードの学生だった1729年ごろ、弟チャールズや仲間とともに、聖書を読み、決まった時間に祈り、監獄の囚人や貧しい人を訪ねる会を作った。決まりどおりに生きる彼らを、学生たちは「メソジスト(きちょうめん屋)」とからかった。その後、ウェスレーはアメリカのジョージアへ宣教に渡ったが、うまくいかずに帰国し、自分の信仰に自信を失っていた。
1738年5月24日の夜、ロンドンのアルダーズゲート通りの小さな集まりで、誰かがルターの書いた「ローマの信徒への手紙」の序文を読み上げていた。ウェスレーは日記に、そのとき心が不思議に温まるのを感じ、自分の罪が取り去られたという確信を得たと書いている。
翌1739年、ウェスレーは、友人ホワイトフィールドにならって、教会の外で説教を始めた。ブリストルの郊外の炭鉱の入口で、煤にまみれた坑夫たちが涙を流して聞き入った。ウェスレーはそれから50年あまり、馬に乗ってイギリスじゅうを回り、生涯に四万回を超える説教をしたといわれる。信徒を小さな組に分け、毎週集まって互いの暮らしと信仰を確かめ合わせた。弟チャールズは六千を超える賛美歌を書いた。
メソジストの運動は、酒におぼれず、働き、蓄え、助け合う暮らしを労働者に広めた。ウェスレーは奴隷制を厳しく批判する文章も書いている。彼自身は最後まで国教会の牧師のつもりだったが、運動は彼の死後、国教会から分かれて独立の教会になった。アメリカでは独立のあとに教会が作られ、開拓地を回る説教師たちによって、19世紀に最大級のプロテスタントの教会の一つに育った。