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Event / できごと

八時間労働

The eight-hour day
AD1817年
重要度 5
ロシア帝国大英帝国スペイン帝国ポルトガル帝国オスマン帝国デンマークスウェーデン=ノルウェーオーストリア帝国エジプトスペインフランスモロッコAlgiersグレートブリテン及びアイルランド連合王国プロイセン両シチリア王国バイエルンTunisサルデーニャ王国TripolitaniaハノーファーCyrenaicaAD1817年ニュー・ラナーク
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1817年の版図を描いています(22勢力)

概要

ロバート・オーウェンが標語を作った。八時間労働、八時間休息、八時間の自由。当時の工場は、一日14時間から16時間が普通で、子どもも同じだけ働いた。彼は自分の紡績工場で、労働時間を短縮し、子どもの就労年齢を上げ、それでも利益が出ることを示した。以後100年、この三つの八が、世界中の労働運動の要求になった。1886年5月1日のアメリカのゼネスト、そしてヘイマーケット事件。1919年、国際労働機関の第1号条約が、これを国際基準とした。

場所

ニュー・ラナーク
55.66°N -3.78°E · イギリス・スコットランド

関わった人(1)

ロバート・オーウェンAD1771年5月14日–AD1858年11月17日 · 唱えた

本文

**当時の労働時間**。

**19世紀初頭のイギリスの紡績工場**。

**一日 14時間から16時間**。

(週6日。**日曜だけが休み**。

そして——**子どもも、同じだけ働いた**。

〈**5歳、6歳の子ども**が、機械の下に潜って糸くずを拾う仕事をした。「**スカベンジャー**」。

機械は、動いたままである。〉)

**オーウェン**。

**ロバート・オーウェン**(1771〜1858)。

ウェールズの、馬具屋の子。**10歳で、奉公に出た**。

(学校教育は、ほとんどない。

——**19歳で、マンチェスターの紡績工場の支配人になった**。彼は、極めて有能な経営者だった。)

**1799年**、スコットランドの**ニュー・ラナーク**の紡績工場を、共同で買収した。

(義父デイヴィッド・デイルが作った工場である。オーウェンは、その娘と結婚し、経営を引き継いだ。)

**そこで、彼が行ったこと**。

- **労働時間を、短縮した**。当初14時間近くだったものを、**10時間半**へ。 - **10歳未満の子どもの就労を、やめた**。

(——それまで、この工場には、**グラスゴーとエディンバラの救貧院から来た、500人の児童**が働いていた。

彼は、**新しい児童の受け入れを止めた**。)

- **工場内に、学校を作った**(1816年、「**性格形成学院**」)。

**1歳から**受け入れた。

(**世界最初期の、幼児教育の施設の一つ**である。

——**体罰を、禁じた**。そして、**歌と、踊りと、地理と、自然の観察**を教えた。

〈**フレーベル**の幼稚園より、20年以上早い。〉)

- 罰金と体罰の代わりに、「**沈黙の監督者**」を使った。

(各作業台に、**四面に色の違う木片**を吊るす。前日の成績によって、見える面を変える。

白=優、黄=良、青=可、黒=不可。

——**言葉で叱らず、色で示す**。〈現代から見れば、これも一つの管理の技術である。〉)

- **社内の店**(会社が原価に近い値段で品を売る)。

(当時、多くの工場が、**トラック制度**——賃金の代わりに、会社の店でしか使えない切符を渡す——で労働者を搾取していた。

オーウェンの店は、その逆に、**利益を学校の運営に回した**。

〈これが、後の**協同組合運動**の源流の一つとされる。〉)

**そして——利益が、出た**。

(**これが、決定的である**。

彼は、**慈善としてではなく、経営として、これを行った**。

そして、それが**成り立つことを、実際に示した**。

——ニュー・ラナークは、有名になった。ヨーロッパ中から見学者が来た。

〈1815年から1825年の間に、**約2万人**が訪れた。ロシアの皇太子ニコライ〈後のニコライ1世〉も来た。〉)

**標語**。

**1817年8月**、彼は、この標語を掲げた。

**「Eight hours' labour, Eight hours' recreation, Eight hours' rest」**

**八時間の労働、八時間の休養、八時間の休息**。

(——**一日を、三等分する**。

〈日本では「八時間労働、八時間休息、八時間の自由」と訳されることが多い。〉)

(彼の主張の根拠——**機械が、生産力を上げた**。

だから、**より短い時間で、同じだけ作れる**。

**その利益を、誰が受け取るのか**。)

**運動**。

以後、**100年**、この三つの八が、世界中の労働運動の要求になった。

**(1)イギリス**。

- **1802年**、徒弟の健康と道徳に関する法(実効性が乏しかった)。 - **1833年、工場法**。

(9歳未満の就労を禁止。9〜13歳は週48時間まで。13〜18歳は週69時間まで。

そして——**工場監督官**を置いた。〈**史上初めて、実効的な検査の仕組みを持った労働立法**とされる。〉)

- **1847年、十時間法**。女性と若年者の労働を、一日10時間に制限した。 - そして、**成人男性の8時間**は、20世紀まで、待たねばならなかった。

**(2)オーストラリア**。

**1856年4月21日**、メルボルン。

**石工たち**が、道具を置いて、議事堂まで行進した。

**そして、8時間労働を勝ち取った**。**賃金を下げずに**。

(——**世界で最初に、8時間労働が実現した例の一つ**とされる。

彼らの旗に、「**888**」の数字があった。)

**(3)アメリカ**。

**1886年5月1日**。

**全米でゼネスト**。**推定35万人**が参加した。

**5月4日、シカゴ、ヘイマーケット広場**。

集会の終盤、警官隊が解散を命じたとき、**何者かが爆弾を投げた**。

(警官7人と、市民4人以上が死んだ。

——**誰が投げたかは、いまも分かっていない**。)

**8人の無政府主義者が起訴された**。

(**爆弾を投げた証拠は、示されなかった**。演説と、思想が、証拠とされた。

**7人に死刑判決**。**4人が絞首刑**〈1887年11月11日〉。1人は獄中で自殺した。

**1893年**、イリノイ州知事**ジョン・ピーター・アルトゲルド**が、残る3人を**恩赦**した。

——**彼は、判決そのものを不当と断じた**。

〈この決定によって、彼は政治的に破滅した。〉)

**1889年**、第二インターナショナルが、**5月1日を、労働者の国際的な行動の日**と定めた。

**メーデー**。

(——アメリカ発の事件が、ヨーロッパで記念日になった。

そして、**アメリカ自身は、5月1日を労働者の日としていない**。9月の第1月曜が、レイバー・デーである。

〈1894年、クリーヴランド大統領が、あえて5月1日を避けて制定したとされる。〉)

**(4)そして、ロシア**。

**1917年11月11日**(革命の直後)、ソヴィエト政権が、**8時間労働を法令で定めた**。

(——**世界で最初の、国家による全面的な8時間労働の法制化**である。

**これが、他国に圧力をかけた**。)

**(5)1919年、ILO**。

**国際労働機関**の、**第1号条約**。

「**工業的企業における労働時間を、一日8時間、週48時間に制限する条約**」。

(——**国際労働機関が、最初に採択した条約が、これである**。

〈ヴェルサイユ条約の一部として設立された。**革命の波及への対応**という側面が、明確にあった。〉)

**(6)日本**。

- 1911年、**工場法**(施行は1916年)。12時間制。適用の範囲が狭く、例外が多かった。 - **1919年**、**川崎造船所**の争議で、8時間制が実現した(日本で最初期の例)。 - **1947年**、**労働基準法**。一日8時間、週48時間(後に40時間)。

**そして、いま**。

**8時間は、達成されたか**。

(OECDの統計で、年間の平均労働時間。

——**多くの先進国で、年1,300〜1,700時間**。週にすれば、30〜35時間である。

**数字の上では、8時間を下回っている**。

〈パートタイムを含む平均である。フルタイムの労働者だけを見れば、より長い。〉)

**しかし**。

- **サービス残業**、そして統計に現れない労働。 - **持ち帰り**、そして**通勤**。 - **常時接続**——電子メールと、通知。

(**「つながらない権利」**——勤務時間外に業務の連絡に応じない権利——が、2017年、**フランス**で法制化された。以後、いくつかの国が続いている。)

- そして、**8時間の「休養」と「休息」**。

(オーウェンの標語の、**残りの二つの八**が、どうなっているか。)

**オーウェン**。

彼は、その後、より遠くへ行った。

- **協同組合**の運動。 - **1825年**、アメリカ、インディアナ州に、共同体**ニュー・ハーモニー**を建設した。

(——**2年で、崩壊した**。彼は財産の大半を失った。)

- **労働時間紙幣**(労働の時間を単位とする交換の券)。**失敗した**。 - 1834年、**全国労働組合大連合**(Grand National Consolidated Trades Union)。短命に終わった。 - そして、晩年は**心霊主義**に傾倒した。

(——彼は、しばしば「**空想的社会主義者**」と呼ばれる。〈エンゲルスの分類による。〉)

**1858年**、故郷ウェールズのニュータウンで死んだ。87歳。

**ニュー・ラナーク**は、いま、**世界遺産**である。

そして、彼が1817年に書いた三つの八は、**いまも、労働組合の旗に描かれている**。

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