概要
1865年7月、メソジストの説教師ウィリアム・ブースは、ロンドンの貧しい東の地区ホワイトチャペルで、天幕を張って伝道を始めた。酒と貧しさにまみれた人々は、立派な教会には足を運ばなかった。ブースは彼らのもとへ出向き、スープと石けんと救いを差し出した。1878年、会は「救世軍」と名を変え、軍隊にならって制服と階級を持ち、楽隊を連れて街を行進した。妻キャサリンをはじめ女性も説教に立った。救世軍は世界に広がり、日本では山室軍平らが、遊郭から逃れたい女性を助ける廃娼の運動に取り組んだ。年末の社会鍋も救世軍に始まる。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
19世紀の半ばのロンドンの東の地区は、工場や港で働く貧しい人々がひしめく町だった。家は狭く不潔で、酒場が至るところにあり、子どもたちは路上で暮らしていた。立派な服を着た人々が集まる教会に、ここの人々が足を運ぶことはなかった。
ウィリアム・ブースは、質屋の見習いをしながらメソジストの説教師になった人だった。1865年7月、彼はホワイトチャペルの空き地の墓地に天幕を張り、貧しい人々に向けて伝道を始めた。教会に来ない人々のところへ、こちらから出向いて説教する。腹をすかせた者にはまず食べ物を、汚れた者には石けんを、そして救いを。のちに救世軍は、この順番を「スープ、石けん、救い」と言い表した。
1878年、ブースは会の名を「救世軍」と改めた。罪と貧しさとの戦争を戦う軍隊だとして、ブースは「大将」を名乗り、伝道者には制服と階級を与えた。金管の楽隊が街を行進し、酒場の前で賛美歌を演奏した。酒造業者に雇われた暴徒に襲われることもあった。妻キャサリン・ブースは、女性が説教することを正面から認めさせ、救世軍では女性も男性と同じ地位に就いた。
1890年、ブースは『最暗黒の英国とその出路』を出し、失業者に仕事を与える農場や、移民の斡旋、救済の施設などの計画を示して、社会の福祉に乗り出した。救世軍は世界の国々に広がった。年末に街角で募金を集める社会鍋は、1891年にサンフランシスコで始まったものである。
日本には1895年に伝わり、山室軍平が日本人として初めての士官になった。山室は平易な言葉で教えを説いた『平民之福音』を書き、遊郭で働かされていた女性たちが自由に廃業できるよう助ける運動に力を注いだ。1900年には、娼妓が自らの意思で廃業できることが認められる。救世軍はいまも、世界の百を超える国と地域で、炊き出しや災害の救援、依存症からの回復の支援などを続けている。