概要
明治以来、日本の政府は、神社を宗教ではなく国の祭祀だとして特別に扱い、国のお金で支え、学校や軍で参拝させてきた。1945年12月15日、占領軍の総司令部は、国家と神道を切り離すよう命じた。神社への国や地方の公金の支出をやめ、公立学校から神棚を外させ、神道の教えを国の教育に使うことを禁じた。公の文書で「大東亜戦争」や「八紘一宇」といった言葉を使うことも禁じられた。神社は、ほかの宗教と同じ一つの宗教の団体になった。翌年の元日には天皇のいわゆる人間宣言が出され、新しい憲法は政教分離を定めた。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
明治の政府は、神仏分離で神道を仏教から切り離したのち(神仏分離と廃仏毀釈)、神社を国が管理する制度を整えていった。政府は、神社への参拝は宗教ではなく、国民の道徳であり国の祭祀だとした。そうすれば、憲法が定めた信教の自由と矛盾しないという理屈だった。伊勢神宮を頂点に全国の神社が格付けされ、神職は国の役人に準じる扱いを受けた。学校では、天皇の写真と教育勅語を納めた奉安殿に礼をし、神社に参拝した。植民地の朝鮮や台湾にも神社が建てられ、人々は参拝を強いられた。この仕組みは、のちに国家神道と呼ばれた。
1945年の敗戦のあと、占領軍は、国家神道が軍国主義と、日本を特別な神の国とする考えを支えてきたとみなした。12月15日、連合国軍の総司令部は、日本の政府に「神道指令」と呼ばれる覚書を出した。
指令は、国や地方の公の機関が、神道を支え、守り、広めることを禁じた。神社への公金の支出をやめ、神社を管理してきた役所を廃止する。公立の学校から神棚や奉安殿を取り除き、教科書から神道の教えを除く。公の文書で「大東亜戦争」「八紘一宇」など、国家神道や軍国主義と結びついた言葉を使うことも禁じた。一方で、個人が神道を信じ、神社に参ることは、ほかの宗教と同じく自由とされた。
神社は国の手を離れ、一つの宗教法人として自らを支えることになった。1946年2月、全国の多くの神社をまとめる神社本庁が作られた。靖国神社も、国の施設から一つの宗教法人になった。翌1946年の元日には、天皇が自らの神格を否定する詔書を出した(人間宣言)。
1947年に施行された日本国憲法は、20条で、国とその機関は宗教の教育やその他のいかなる宗教的活動もしてはならないと定め、89条で、宗教の団体に公金を使ってはならないとした。首相の靖国神社への参拝や、地方の自治体の地鎮祭への公金の支出など、政教分離の線をどこに引くかは、その後も裁判と政治で繰り返し争われている。