概要
1730年代から40年代にかけて、イギリス領の北アメリカの植民地を、激しい信仰の復興の波が覆った。マサチューセッツの牧師ジョナサン・エドワーズの教会では、罪と地獄を説く説教に、町の人々が次々に回心した。イギリスから来た説教師ジョージ・ホワイトフィールドは、植民地を縦断して野外で説教し、数万人を集めた。信仰は教会の儀式ではなく、一人ひとりが心で体験するものだとされた。教会は新しい流れと古い流れに割れ、新しい大学がいくつも生まれた。植民地を超えて人々が同じ体験を分かち合ったことは、のちの独立への下地の一つになったともいわれる。
場所
42.33°N -72.64°E · アメリカ・マサチューセッツ州
本文
17世紀にピューリタンが築いたニューイングランドの教会は、100年もたつと熱を失っていた。親から受け継いだ信仰は形だけのものになり、牧師たちは、若い世代が教会から離れていくことを嘆いていた。
1734年の冬、マサチューセッツのノーサンプトンの牧師ジョナサン・エドワーズの説教をきっかけに、町の若者たちの間で回心が相次いだ。神の怒りと人の罪深さを突きつけられた人々は、泣き、震え、やがて救いの確信を得て喜んだ。町のほとんどの人が教会に通うようになったと、エドワーズは報告している。1741年の説教「怒れる神の御手の中にある罪人」は、地獄の火の上に蜘蛛のように吊るされた人間を描き、聴く者たちを恐怖させた。
1739年、イギリスの若い説教師ジョージ・ホワイトフィールドが植民地にやってきた。彼はジョージアからニューイングランドまでを回り、教会に入りきらない群衆に、野外で説教した。よく通る声と劇的な話しぶりで、数万人を集めた。フィラデルフィアで彼の説教を聞いたベンジャミン・フランクリンは、信仰には加わらなかったが、群衆の大きさに驚き、ホワイトフィールドと生涯の友になった(ベンジャミン・フランクリン)。
信仰の復興は、教会を二つに割った。感情を伴う個人の回心を重んじる「新しい光」の人々と、それを熱狂として退ける「古い光」の人々である。新しい流れは、牧師を育てる大学をいくつも作った。のちのプリンストン大学、ブラウン大学、ダートマス大学などである。説教は奴隷にされたアフリカの人々にも届き、黒人の間にキリスト教が広がるきっかけにもなった。
大覚醒は、教会の権威より一人ひとりの体験を重んじ、身分に関わりなく誰もが神の前に立てると教えた。13の植民地の人々が、同じ説教師の言葉を聞き、同じ体験を語り合ったことは、植民地の境を越えた一体の感覚を育てた。そのことが、一世代後のアメリカの独立の下地の一つになったと考える歴史家もいる。19世紀のはじめには、第二の大覚醒と呼ばれる波が西部の開拓地を覆うことになる。