ヨハネ・パウロ2世のポーランド訪問
概要
1978年、ポーランドのクラクフの大司教カロル・ヴォイティワが、455年ぶりのイタリア人でない教皇に選ばれ、ヨハネ・パウロ2世となった。翌年6月、教皇は共産党が治める祖国を訪れた。ワルシャワの広場で開かれたミサで、教皇は、聖霊よ降りて地の面を新たにしてください、この地の面を、と祈り、群衆は何分も歌い続けた。9日間の訪問で、国民のおよそ三分の一が教皇を直に見た。人々は、国が許さなくても、これほど多くの仲間がいることを知った。翌年の夏、造船所のストライキから自主管理の労働組合「連帯」が生まれた。
場所
52.23°N 21.01°E · ポーランド
本文
第二次世界大戦のあと、ポーランドはソ連の影響下で共産党が治める国になった。共産党は宗教を抑えようとしたが、ポーランドの人々の多くは熱心なカトリックの信徒で、教会は、国の外から押しつけられた政権に対して、民族の誇りと良心を守るよりどころであり続けた。
カロル・ヴォイティワは、1920年、クラクフの近くの町に生まれた。ナチ・ドイツの占領下では、石切り場や化学工場で働きながら、ひそかに神学を学び、地下の劇団で演じた。戦後は司祭になり、哲学者として、また若者と山歩きやカヤックを楽しむ司祭として知られた。1964年にクラクフの大司教となり、共産党の政権と粘り強く渡り合った。
1978年10月16日、ヴォイティワは58歳で教皇に選ばれ、ヨハネ・パウロ2世を名乗った。イタリア人でない教皇は455年ぶりで、共産主義の国から教皇が出たのは初めてだった。ポーランドの人々は熱狂し、共産党の指導者たちは困惑した。
1979年6月2日、教皇はワルシャワに降り立った。勝利広場で開かれたミサには、数十万の人々が集まった。教皇は説教の終わりに、聖霊よ、降りてきて、地の面を新たにしてください、と祈り、少し間を置いて、この地の面を、と付け加えた。群衆は、それが自分たちの国のことだと分かり、十分以上も拍手し、歌い続けた。
9日間の訪問で、教皇はワルシャワ、グニェズノ、チェンストホヴァ、アウシュヴィッツ、クラクフを回り、国民のおよそ三分の一が、どこかで直に教皇を見たといわれる。政府の警察ではなく、教会の奉仕の人々が、何百万人の群衆を整然と導いた。人々は、自分たちが孤立した個人ではなく、同じ思いを持つ巨大な仲間であることを知った。
1年後の1980年8月、グダニスクの造船所のストライキから、共産圏で初めての自主管理の労働組合「連帯」が生まれた(連帯の結成)。指導者のレフ・ワレサは、教皇の肖像を掲げていた。教皇の訪問から10年後、ポーランドでは自由な選挙が行われ、東欧の共産党の政権は次々に倒れた(ベルリンの壁の崩壊)。