概要
1962年10月11日、教皇ヨハネ23世は、世界の司教二千人余りをローマに集め、教会の窓を開けて新しい風を入れる、と語った。三年あまりの会議で、ミサはラテン語ではなく、それぞれの土地の言葉で行えるようになる。イエスの死の責任をユダヤ人全体に負わせることを退け、他の宗教との対話を勧めた。信者の暮らしの中の教会の姿が大きく変わった。一方で、変わりすぎたと嘆く人びとも生み、その評価はいまも分かれている。
場所
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
本文
**窓を開ける**。
(——**1962年**10月**11日**。
〈**(1)**教皇**ヨハネ23世**は**、**世界**の**司教**二千**人**余り**を**ローマ**に**集めた**。
**(2)**そして、**教会**の**窓**を**開けて**、**新しい**風**を**入れる**、**と**語った**。〉)
**土地の言葉で**。
(——**三年**あまり**の**会議**。
〈**(1)**ミサ**は**、**ラテン**語**では**なく**、**それぞれ**の**土地**の**言葉**で**行える**ように**なった**。
**(2)**そして、**イエス**の**死**の**責任**を**、**ユダヤ**人**全体**に**負わせる**こと**を**退けた**。
**(3)さらに、**他**の**宗教**との**対話**を**勧めた**。〉)
**残ること**。
(——**信者**の**暮らし**の**中**の**教会**の**姿**が**、**大きく**変わった**。
〈**(1)**一方**で**、**変わり**すぎた**と**嘆く**人びと**も**生んだ**。
**(2)**そして、**その**評価**は**いま**も**分かれて**いる**。
**(3)さらに、**トレント公会議**以来**四百年**の**形**を**、**ここ**で**改めた**。〉)