概要
第二バチカン公会議が教会を現代の世界へ開いたあと、1968年、ラテンアメリカの司教たちはコロンビアのメデジンに集まり、この大陸で教会は何をすべきかを話し合った。貧困と独裁と暴力のなかで、司教たちは、貧しさを生む社会の仕組みそのものを「制度化された暴力」と呼び、教会は貧しい人々の側に立つべきだとした。ペルーの神父グスタボ・グティエレスは、この考えを『解放の神学』にまとめた。信徒は村や貧しい地区で小さな共同体を作り、聖書を自分たちの暮らしに引きつけて読んだ。軍事政権はこれを共産主義とみなして弾圧し、エルサルバドルのロメロ大司教はミサの最中に撃たれた。
場所
6.24°N -75.58°E · コロンビア・アンティオキア県
本文
20世紀の半ばのラテンアメリカでは、ひと握りの大地主と富裕な家族が土地と富の多くを握り、大多数の農民と都市の貧しい人々は、極端な貧しさの中で暮らしていた。カトリック教会は、植民地の時代から、多くの場合、支配する側に寄り添ってきた。1959年のキューバ革命のあと、各地で武装したゲリラが生まれ、軍が政権を握る国が増えていった。
1962年から1965年の第二バチカン公会議は、教会が現代の世界の喜びと苦しみに向き合うべきだとした。1968年8月、ラテンアメリカの司教たちはコロンビアのメデジンに集まり、公会議の教えをこの大陸でどう生かすかを話し合った。開会には、教皇パウロ6世が、ラテンアメリカを訪れた最初の教皇として立ち会った。
メデジンの会議の文書は、大陸の貧しさと不正を正面から取り上げた。人々を貧しさに縛りつける経済と政治の仕組みは、「制度化された暴力」だと書かれた。教会は貧しい人々とともにあり、人々が自らを解放していく歩みを支えなければならないとされた。この考えは、1979年のプエブラの会議で「貧しい人々の優先的な選択」という言葉にまとめられる。
1971年、ペルーの神父グスタボ・グティエレスは『解放の神学』を出した。神学は、貧しい人々の現実から出発し、その解放のための実践を振り返る営みであるべきだと説いた。ブラジルなどでは、農村や都市の貧しい地区で、信徒が「基礎共同体」と呼ばれる小さな集まりを作り、聖書を読みながら、水道や土地の問題を自分たちで話し合った。
軍事政権と富裕な人々は、解放の神学を共産主義の手先とみなした。多くの神父や修道女、信徒が捕らえられ、殺された。エルサルバドルのオスカル・ロメロ大司教は、軍の弾圧を説教で告発し続け、1980年3月24日、ミサの最中に狙撃されて死んだ。バチカンも、1980年代、のちの教皇ベネディクト16世となるラッツィンガー枢機卿のもとで、マルクス主義の分析を取り入れることを批判した。それでも、貧しい人々の側に立つという考えはカトリック教会に深く根を下ろし、ラテンアメリカ出身の教皇フランシスコは、2018年、ロメロを聖人とした。