概要
1925年、テネシー州は、公立学校で、人が下等な動物から生じたという説を教えることを禁じる法を作った。自由人権協会が、この法を法廷で争う教師を探していると知ったデイトンの町の人々は、町の名を売るために、若い教師ジョン・スコープスを説き伏せ、わざと訴えさせた。7月、小さな郡の裁判所に全国から記者が押し寄せ、裁判はラジオで中継された。検察には三度大統領選挙に出た政治家ブライアン、弁護には名高い弁護士ダロウ。ダロウはブライアンを証人に呼び、聖書を文字どおりに読むことの矛盾を問い詰めた。スコープスは有罪になり、罰金100ドルを科された。
場所
35.49°N -85.01°E · アメリカ・テネシー州(レイ郡の郡庁舎)
本文
19世紀の後半、『種の起源』が説いた進化の考えは、アメリカの大学や教科書にも入っていた。一方、南部の農村を中心に、聖書を一字一句そのまま信じるべきだと考える人々の運動が力を強めていた。人が猿の仲間から生じたという話を、公立の学校で子どもに教えることは、彼らには信仰への攻撃に見えた。
1925年3月、テネシー州は、公立の学校で、聖書が教える人の創造を否定し、人が下等な動物から生じたとする説を教えることを禁じる法を作った。アメリカ自由人権協会は、この法が言論の自由に反するとして、法廷で争うために、法を破ったとして訴えられる教師を新聞広告で探した。
人口二千人ほどの町デイトンの実業家たちは、ドラッグストアに集まって、これを町を有名にする好機だと考えた。彼らは、24歳の臨時の生物の教師で、フットボールの指導もしていたジョン・スコープスを説き伏せ、進化を教えたとして訴えさせた。スコープス自身、本当に進化の授業をしたのかはっきり覚えていなかったという。
7月10日に始まった裁判には、全国から二百人ほどの記者が集まり、シカゴのラジオ局が法廷から中継した。検察を手伝ったのは、三度大統領選挙に出た民主党の政治家で、信仰を守る運動の旗手ウィリアム・ジェニングス・ブライアン。弁護には、名高い刑事弁護士クラレンス・ダロウが立った。暑さで法廷の床が抜けるのを恐れ、審理の一部は郡庁舎の庭で行われた。ダロウは、聖書の専門家としてブライアン本人を証人台に呼び、世界は本当に六日で造られたのか、ヨナは本当に魚に呑まれたのかと問い詰めた。
7月21日、陪審は9分ほどで有罪を決め、スコープスには100ドルの罰金が科された。ブライアンは5日後に眠ったまま死んだ。州の最高裁は1927年、罰金の決め方に誤りがあったとして有罪を取り消したが、法そのものは有効とした。法が廃止されたのは1967年である。裁判はのちに劇『風の遺産』と、その映画になり、学校で進化をどう教えるかをめぐる争いは、いまもアメリカで続いている。