← 地図で見る
Person / 人

ラーム・モーハン・ローイ

Ram Mohan Roy
AD1772年5月22日 – AD1833年9月27日(享年61)
イギリス領インド重要度 4

概要

寡婦の焚死(サティー)の廃止を求めた。経典を自分で読み直し、それは経典の要求ではないと論証する。

関わったできごと(1)

サティーの禁止AD1829年 · 論証と運動

本文

バラモンの家に生まれ、 サンスクリット、ペルシア語、アラビア語、英語を学んだ。

兄の死後、兄嫁がサティー(寡婦の焚死)で死ぬのを見た、 という話が伝わる。

その真偽には議論がある。

やり方が特徴的になる。

「野蛮だからやめろ」と外から言うのではなく、 ヒンドゥーの経典を自分で読み直して、 それは経典の要求ではないと論証した。

内側からの論拠になる。

1829年、法で禁じられた。

一神教的なヒンドゥー改革運動(ブラフモ・サマージ)を作った。

偶像崇拝もカーストも否定している。

同時に、英語教育を推進した。

サンスクリットだけでは近代の学問に届かない、と。

その立場は、後に批判もされる。

イギリスで死んだ。