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Event / できごと

人民寺院事件

Jonestown
AD1978年11月18日
重要度 3
アメリカ合衆国アメリカ合衆国ブラジルメキシコペルーコロンビアボリビアベネズエラチリエクアドルガイアナスリナムニカラグアホンジュラスキューバグアテマラ仏領ギアナパナマAD1978年11月18日ジョーンズタウン(位置は特定されていない)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1978年11月18日の版図を描いています(18勢力)。

概要

アメリカの牧師ジム・ジョーンズが率いる人民寺院は、人種の平等と社会主義を掲げ、サンフランシスコで多くの信徒を集めた。批判の報道が強まると、ジョーンズは信徒を南米ガイアナの密林に開いた村へ移した。1978年11月、信徒の家族の訴えを受けたアメリカの下院議員レオ・ライアンが村を訪れ、帰ろうとした飛行場で、記者らとともに銃撃されて殺された。その日の夕方、ジョーンズは信徒に毒を入れた飲み物を飲ませ、子ども三百人ほどを含む九百人あまりが死んだ。2001年の同時多発テロまで、意図して起こされた事件でアメリカの民間人が最も多く死んだ例だった。

場所

ジョーンズタウン位置は特定されていない(誤差 ±10km)
7.69°N -59.95°E · ガイアナ・バリマ=ワイニ州

本文

ジム・ジョーンズは、1950年代にインディアナ州で教会を開き、人種の平等を説いて、黒人と白人の信徒をともに集めた。人種を分ける考えが根強かった時代に、彼は黒人の子を養子に迎えた。1960年代、教会はカリフォルニアに移り、サンフランシスコで、貧しい人々への食事の配給や医療の支援で知られるようになった。信徒は数千人にのぼり、政治家たちもその票と奉仕の力を頼みにした。

だが、教会の内側では、ジョーンズへの絶対の服従が求められていた。信徒は財産を差し出し、家族と引き離され、ジョーンズは自らを神とまで称するようになった。1977年、元の信徒の証言をもとに、教会の中での暴力や搾取を告発する記事が出ると、ジョーンズは、南米ガイアナの密林に切り開いていた農場の村へ、信徒およそ千人を移した。村は「ジョーンズタウン」と呼ばれた。

村の暮らしは、ジョーンズの宣伝とは違っていた。信徒は長時間の労働を強いられ、食べ物は乏しく、拡声器からジョーンズの声が昼も夜も流れた。逃げようとする者は罰せられた。ジョーンズは、外の世界が自分たちを滅ぼしに来ると繰り返し語り、集団で死ぬ「訓練」まで行っていた。

1978年11月、信徒の家族の訴えを受けて、カリフォルニア州選出の下院議員レオ・ライアンが、記者たちとともに村を訪れた。何人かの信徒がライアンとともに村を出たいと申し出た。11月18日、一行が近くの飛行場から小型機に乗り込もうとしたとき、村から来た男たちが銃を撃ち、ライアンと記者ら5人が殺された。

その日の夕方、ジョーンズは村の広場に信徒を集め、青酸を混ぜた果物の飲み物を飲むよう命じた。まず子どもたちに飲ませた。拒む者は銃で脅された。村とガイアナの首都の教会の施設などで、子ども三百人ほどを含む九百人あまりが死に、ジョーンズも頭を撃たれて死んでいた。事件は、カルトと呼ばれる閉ざされた集団の危うさを、世界に強く印象づけた。

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