概要
それまで薬草の知識は、古代の書物の写しと、薬草売りの経験にあった。書かれた名と、目の前の草が同じものかを、誰も確かめていない。ヴェネツィア共和国は、パドヴァ大学に、生きた植物を集めて栽培する園を作らせた。学生が実物を見て、記述と照らす。円形の敷地が四つに区切られ、世界の四方から集めた植物が植えられた。ピサとフィレンツェが数年先行するが、当初の場所に残るのはここだけである。ゲーテが訪れ、そこで植物の変態という着想を得たと書いている。
場所
45.41°N 11.88°E · イタリア・ヴェネト州
本文
**問題**。
(——**薬草の知識**。
〈**——**根拠は、**ディオスコリデス『薬物誌』**(1世紀)である**。
**——**そして、**それが、千五百年、写され続けた**。
**——**写すたびに、**図が、崩れる**。
**〈——手描きである。**
**——そして、写す人が、**実物を、見たことが無い**。**
**——十代も写せば、**もとの植物と、似ても似つかない形**になる。〉**
**——**さらに、**地中海の植物**である**。
**〈——アルプスの北では、**そもそも、生えていない**。**
**——だから、**別の草を、それだと思って、使う**。〉**〉
**——**そして、**薬草売り**(herbarius)。
〈**——**経験は、ある**。
**——**そして、**書かれた知識と、繋がっていない**。
**——**さらに、**偽物を、売る**。〉
**——**つまり**。
〈**——**「書物に書かれた名」**と、**「目の前の草」**が、**同じものか、誰も、確かめていない**。〉)
**パドヴァ**。
(**1545年6月29日**。
〈**——**ヴェネツィア共和国の元老院**が、**設立を、決議した**。
**——**パドヴァ大学**の、**医学部のため**である**。
**〈——パドヴァは、ヴェネツィアの支配下にある。**
**——そして、当時、**ヨーロッパで最も高名な医学部の一つ**である。**
**——ヴェサリウスが、そこで教えていた(1537〜43年)。**
**——そして、ガリレオが、後にそこで教える(1592〜1610年)。〉**
**——**発議したのは、**フランチェスコ・ボナフェーデ**(「単純薬物学」の教授)。
**——**「学生に、**実物を、見せなければならない」**。〉)
**形**。
(——**円**である**。
〈**——**直径、**約84メートル**の、円形の壁**。
**——**そして、**内側を、**十字に、四つに、区切る**。
**——**さらに、**それぞれを、細かく、区画に、分ける**。
**——**区画の数、**約1,800**。〉
**意味**。
〈**——**円は、**世界を、表す**。
**——**そして、**四つの区画が、**四大陸**に、対応する、とされた**。
**〈——当時の「四つ」——ヨーロッパ、アジア、アフリカ、そしてアメリカ。〉**
**——**つまり、**「世界の縮図」**である**。
**——**そして、**それが、**当時の、庭園の思想**でもある**。
**〈——「エデンの園を、再現する」。〉**〉
**——**壁**。
〈**——**円形の壁は、**1552年に、築かれた**。
**——**理由**。
**——**盗難である**。
**〈——珍しい植物が、**夜、抜かれた**。**
**——そして、**警備員を、置いた**。**
**——それでも、盗まれた。**
**——記録に、**「昨夜、また、盗まれた」**という報告が、繰り返し、残っている。〉**〉)
**先行**。
(——**ピサ**(1543年頃)と、**フィレンツェ**(1545年12月)。
〈**——**ピサのほうが、**先である**、というのが、現在の理解である**。
**——**ただし、**ピサの園は、**二度、場所を、移している**。
**——**フィレンツェも、**同様である**。〉
**——**パドヴァは、**創設のときの場所に、そのまま、ある**。
〈**——**四百八十年**。
**——**そして、**基本の設計も、変わっていない**。
**——**1997年、**世界遺産**。
**〈——「世界で最も古い、大学の植物園で、当初の位置に残るもの」。〉**〉)
**何が、あるか**。
(——**「ゲーテのシュロ」**。
〈**——**1585年に植えられた、**シュロの一種**(*Chamaerops humilis*)。
**——**四百四十年**。
**——**そして、**いまも、生きている**。
**〈——専用の温室が、建てられている。〉**
**——**1786年、**ゲーテ**が、それを、見た**。
**——**そして、**『植物変態論』**(1790年)の、着想の一つになった、と、自ら書いている**。
**〈——「一つの葉の形から、**あらゆる形が、変化して生じる**」。**
**——「原植物」(Urpflanze)という考え。**
**——ゲーテは、**この園について、**イタリア紀行に、書いている**。〉〉**
**——**そして、**ヨーロッパへ、最初に持ち込まれた植物**の、いくつか**。
〈**——**ライラック、ヒマワリ、ジャガイモ、そして、**ゴマ**。
**〈——記録による。**
**——「最初」の主張には、**しばしば、競合がある**。〉**〉)
**その後**。
(——**そして、**「大学が、生きた植物を、集めて、育てる」**という形が、**広がった**。
〈**ライデン**(1590年)。**モンペリエ**(1593年)。**ハイデルベルク**(1597年)。
**オックスフォード**(1621年)。**パリの王立薬草園**(1635年、後の自然史博物館)。
**アムステルダム**(1638年)。**そして、**キュー**(1759年)。〉
**——**そして、**次第に、**性格が、変わった**。
〈**(1)**薬草の園**から。
**(2)**世界中の植物を、集める場所**へ**。
**〈——航海が、標本と、生きた株を、運んできた。〉**
**(3)そして、**帝国の道具**へ**。
**〈——キュー植物園が、**ゴムの木の種を、ブラジルから運び出し、**
**——マレー半島で、栽培させた(1876年から)。**
**——そして、それが、**ブラジルのゴム経済を、崩した**。**
**——同じことが、**キナ、茶、そして油ヤシ**で、行われた。**
**——「植物園は、**植民地の農業を、設計する研究所**だった」。〉〉**
**——**そして、**いま**。
〈**——**約3,000の植物園**が、**世界に、ある**。
**——**そして、**「生きた種の、保存の場」**という役割が、**再び、大きくなっている**。
**〈——野生では、**絶滅した種**が、**植物園にだけ、残っている**例が、いくつもある。〉**〉)