『イタリア・ルネサンスの文化』で読むルネサンス

概要
「ルネサンス」という時代の像そのものを作った本。150年たっても、まだその像の中にいる。
この物語について
「ルネサンス」と聞いて、私たちは何を思い浮かべるのか。レオナルド、フィレンツェ、古代の復活、そして中世の暗闇からの目覚め。その像は、いつ、誰が作ったのか。
『イタリア・ルネサンスの文化』(ヤーコプ・ブルクハルト、1860年、日本語版1974年)は、いま私たちが「ルネサンス」と聞いて思い浮かべるものを、ほとんど一冊で作った。「ルネサンス」という言葉そのものは、少し前にフランスの歴史家ミシュレが一つの時代の名として使っていた。だが、それを政治から芸術、道徳、宗教まで覆う一つの文化の像に仕上げたのは、この本だった。
ヤーコプ・ブルクハルトは1818年、スイスのバーゼルに生まれた。父は牧師で、彼も神学を学びはじめたが、歴史へ移り、ベルリンで近代歴史学の祖とされるランケのもとで学んだ。だが、彼の関心は国家と外交の歴史より、美術と文化に向かった。何度もイタリアを旅し、1855年には、イタリアの美術作品を見て歩くための大部の案内書を出している。その旅の蓄積が、この本の土台になった。バーゼル大学で教え、ベルリン大学から師ランケの後任として招かれたが断り、生涯をバーゼルで過ごした。

題には「一つの試み」という副題が付いている。同じ材料から、別の人はまったく違う像を描くかもしれない、と著者は序文で断っている。一つの時代の文化を一冊で描くことの危うさを、書いた本人がいちばんよく知っていた。
中心にあるのは「個人の発見」になる。中世の人間は、信仰と幻想と子どもじみた思い込みでできたヴェールの下で、半ば眠り、半ば目覚めていた。人は自分を、種族や民族や党派や家族や組合の一員としてしか意識しなかった。イタリアで初めて、そのヴェールが風に吹き払われ、人が一人の個人として自分を見るようになった、という筋になる。本は全体を六つの部に分け、その一つひとつで、この目覚めを違う角度から描く。
本は政治から始まる。14世紀から15世紀のイタリアは、統一した王国を持たず、都市国家と小さな君主国に分かれていた。そこでは、正統性を持たない僭主や傭兵隊長が、力と才覚だけで支配者になった。ミラノのヴィスコンティ家とスフォルツァ家、教皇の子チェーザレ・ボルジア。彼らは伝統にも神にも頼れなかったから、国家を計算と技術で作り上げるしかなかった。本はそれを「芸術作品としての国家」と呼ぶ。その冷たい計算を言葉にしたのがニッコロ・マキャヴェッリだった。
その対極に、本は二つの共和国を置く。本は、14世紀のフィレンツェの年代記作者ヴィッラーニが、町の人口、パンの消費量、学校に通う子どもの数までを数字で書き残したことを、国家を数字でとらえる新しい目として引いている。ヴェネツィア共和国は、安定した統治と、人口や財政を数字でつかむ冷静さを持っていた。フィレンツェは、絶えず体制が揺れ動き、そのぶん政治について考え、書く人びとを生んだ。ロレンツォ・デ・メディチ家のロレンツォのもとで、芸術と学問が花開いた。
次の部は、古代の復活である。古代ローマの遺跡と、ラテン語の古典を、人びとは自分たちの祖先の遺産として掘り起こした。14世紀のペトラルカは、古い写本を探し、古代の文人に手紙を書くほどその世界に没入した。本はまた、彼が1336年にヴァントゥー山に登ったことを、景色そのものを楽しむ心の目覚めとして引いている。古代の復活は、それ自体が原因ではなく、目覚めた個人が自分の手本を古代に見つけたのだ、と本は言う。
ギリシア語の学問については、1453年のコンスタンティノープル陥落のあと、ビザンツの学者たちが写本を携えて西へ来たことがよく語られる。だが実際には、ギリシア語の教師はそれより半世紀以上前からフィレンツェに招かれていた。陥落は、すでに始まっていた流れを強めたものと見るほうがよい。同じ頃、ドイツでグーテンベルクの活版印刷の活版印刷が始まり、15世紀の終わりには、ヴェネツィアが古典の印刷の中心になっていた。

続く部は、世界と人間の発見である。航海者が新しい土地を見つけ、詩人が自然の美しさを書き、伝記作家が一人の人間の性格を細かく描いた。何でもできる「万能の人」が理想になる。本がその典型として挙げるのが、建築家で理論家のレオン・バッティスタ・アルベルティで、レオナルド・ダ・ヴィンチはその先にいる、と書いている。
意外なことに、この本は美術そのものをほとんど論じていない。ミケランジェロもラファエロも、作品の分析としては出てこない。著者は美術を別の本で書くつもりで、この本は、美術を生んだ人間と社会の側を描くことに絞った。

最後の二つの部は、社交と祝祭、そして道徳と宗教を扱う。宮廷の会話と礼儀、華やかな祝祭と行列。そして、個人の解放の裏側にある、道徳の崩れ、復讐、毒殺、信仰の揺らぎ。本は、上流の家の女性が男性と同じ教育を受け、男性と対等の立場に立っていた、とまで書いた。この見方は、のちに女性史の研究者から強く批判される。1977年、アメリカの歴史家ジョーン・ケリーは「女性にルネサンスはあったか」と問い、むしろこの時代に女性の自由は狭まったと論じた。名声を求める心、墓碑と記念像、人を笑いものにする機知と風刺も、本は個人の目覚めのしるしとして並べている。
宗教についても、本は一筋縄ではいかない姿を描く。教会への皮肉と不信が広がる一方で、占星術はかつてないほど盛んになり、君主たちは出陣の日取りまで星で占わせた。15世紀の終わりのフィレンツェでは、修道士サヴォナローラが説教で町の人びとを熱狂させ、ぜいたく品や絵や本を広場で焼かせた。本はそれを、中世の説教師がもう一度よみがえった姿として描いている。

本は、この時代を手放しで讃えてはいない。自分の力と欲望だけを頼りに生きる個人は、同時に、限りなく残酷にもなれた。
この時代区分そのものが、いまは疑われている。中世にも個人はいた。12世紀には、ピエール・アベラールのように自分の苦しみを書き残した学者がいた。アメリカの歴史家ハスキンズは1927年に「12世紀ルネサンス」を唱え、古典の復活は中世のうちに何度も起きていたと論じた。オランダの物語「『中世の秋』で読む中世の終わり」は、同じ15世紀を、新しい時代の始まりではなく、中世の熟れきった終わりとして描いた。ルネサンスは連続の中の一部にすぎない、という研究が積み上がった。本が経済や社会の仕組みにほとんど触れていないことも、のちに批判された。
ブルクハルト自身は、近代を楽観していたわけではない。晩年の講義では、国家と大衆と技術の力が膨らむ時代を憂い、物事を力ずくで単純にしてしまう指導者が現れることを手紙で予感していた。バーゼルの同僚だった若いニーチェは、彼を深く敬った。1897年に死んだあと、その講義は『世界史的考察』として出版された。
それでも、反論はすべてこの本に向けて書かれてきた。150年たっても、私たちはルネサンスを語るとき、この本が描いた像を出発点にしている。1633年のガリレオの異端審問は、この本が始まりとした、自分で見て自分で考える人間の流れの、一つの先にある。

この物語は、本が扱ったできごとを並べたものになる。本文は写していない。美術館でルネサンスの肖像画を前にして、一人の人間の顔がこれほどはっきり描かれていることに驚くとき、私たちは知らずにこの本の目で見ている。
動画(1)
この物語が起きた場所
筋(7)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- ヴェネツィア共和国国AD697年(最初のドージェの選出。伝承) – AD1797年(ナポレオンによる解体)潟の上に建った都市が、1100年続いた。東ローマの属領から始まり、第四回十字軍で帝都を略奪し、地中海東部の海を握った。ナポレオンが一言で終わらせる。
- イタリア・ルネサンスの盛期できごと1450年全篇古典の再発見と商人の富が結びついた。人間を測るのは神ではなく人間自身、という見方が育つ。フィレンツェ

- レオナルド・ダ・ヴィンチ人物AD1452年4月15日 – AD1519年5月2日絵、解剖、水利、飛行。分野を分けずに世界を観察し、大半を未完のまま残した。
- コンスタンティノープル陥落できごとAD1453年5月29日ギリシア語の学者が西へ来るオスマン帝国が1100年続いた東ローマを滅ぼした。中世の終わりの目印として使われる。コンスタンティノープル

- グーテンベルクの活版印刷できごとAD1455年頃書物が手写しから機械の複製になった。考えが広がる速さが根本から変わる。

- ガリレオの異端審問できごとAD1633年この本が始まりとした流れの先観測から出た結論を、教義の名で撤回させられた。それでも地球は動く、と伝えられる。ローマ

- ヤーコプ・ブルクハルト人物AD1818年5月25日 – AD1897年8月8日著者バーゼルの牧師の家に生まれ、生涯その町で教えた。ルネサンスを「個人の発見」として描き、その像がいまも通用している。
重なっているストーリー
同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。
宗教改革と科学革命3件を共有 / 教会が独占していた「何が正しいか」の答えが、聖書と観測に明け渡されるまで。表現の歴史3件を共有 / 書いた人、描いた人、作った人。政治と戦争のあいだに、ずっと別の営みがあった。都市の歴史2件を共有 / 人が密集して住むという異常な選択が、文明のほとんどを生んだ。東ローマ千年2件を共有 / ローマの西半分が消えたあと、東半分は1000年続いた。その中身をローマの続きとして並べる。コテンラジオで聞く歴史2件を共有 / ポッドキャスト「コテンラジオ」が取り上げた人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。『国家はなぜ衰退するのか』で読む歴史2件を共有 / 国境をひとつ挟んで豊かさが違うのは、地理でも文化でもなく制度のせいだ、という本。2024年のノーベル経済学賞の元になった。『地中海』で読む歴史2件を共有 / 歴史には三つの速さがある。ほとんど動かない時間、ゆっくり動く時間、そして事件。捕虜収容所で書かれた本。『チーズとうじ虫』で読む一人の宇宙2件を共有 / 16世紀の村の粉挽きが、世界は腐ったチーズから生まれたと語った。裁判の記録から、一人の頭の中を復元する。ムンディ先生の講義で学ぶ歴史2件を共有 / 高校の先生「ムンディ先生」が、世界史と日本史を200講ずつで通した授業の動画。ここに並ぶ項目には、その講の動画が付いている。大航海時代1件を共有 / 海が壁ではなく道になった。二つの大陸が結ばれ、世界がひとつの市場になっていく。イスラム世界1件を共有 / 一世紀でイベリアからインダスまで。学問を受け継ぎ、育て、そして西へ返した。技術と産業1件を共有 / 道具が人を変え、その人がまた道具を作った。速さが加速していく話。交易路とお金1件を共有 / 運ぶ/両替する/貸す。人と物が動くところには、いつも同じ仕組みが生えてくる。考えることの歴史1件を共有 / 同じ数百年のあいだに、ギリシアでも中国でもインドでも、人が根本から考え直した。確かめるという方法1件を共有 / 偉い人がそう言ったから、をやめた話。誰が最初かは、思っているほどはっきりしない。『サピエンス全史』で読む歴史1件を共有 / ハラリが人類史を三つの革命で切った本。その筋に沿って、このデータベースの項目を並べ直す。『銃・病原菌・鉄』で読む歴史1件を共有 / なぜ征服したのがスペイン人で、されたのがインカだったのか。ダイアモンドは答えを人ではなく大陸の形に求めた。『ローマ帝国衰亡史』で読むローマ1件を共有 / ギボンが1776年に出しはじめた、トラヤヌスからコンスタンティノープル陥落までの1300年。「なぜ滅びたか」を問う型はここで作られた。『繁栄』で読む歴史1件を共有 / 人類が豊かになったのは交換のおかげで、悲観する理由はいつも外れてきた、という本。反論側も付けてある。『想像の共同体』で読む歴史1件を共有 / 国民とは、会ったこともない人を同じ仲間だと思える想像力のことだ、という本。『ヨーロッパ覇権以前』で読む13世紀1件を共有 / 1250年から1350年まで、世界はすでに一つにつながっていた。ただし中心はヨーロッパではなかった。『物質文明・経済・資本主義』で読む三つの層1件を共有 / 毎日の暮らし、市場での取引、そしてその上に乗る資本主義。ブローデルは経済を三層に分けた。教育の歴史1件を共有 / 子どもが学校へ行くのが当たり前になったのは、ごく最近になる。誰が、誰に、何のために教えてきたか。メディアの歴史1件を共有 / 誰が、どれだけ速く、何人に届けられるか。その力を誰が握るかをめぐる歴史になる。法と裁判の歴史1件を共有 / 力の強い者の思いのままだった裁きを、書かれた法と手続きで縛ってきた歴史。中田敦彦のYouTube大学で学ぶ歴史1件を共有 / 「中田敦彦のYouTube大学」が講義した世界史・日本史・偉人伝の人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。言葉と文字の歴史1件を共有 / 話す言葉を書き留める文字が生まれ、印刷と国家と機械が、言葉を広め、整え、ときに奪ってきた。