できごと

『ノヴム・オルガヌム』

Novum Organum
AD1620年
重要度 4
『ノヴム・オルガヌム』に関わる図版:Houghton EC.B1328.620ib - Novum organum scientiarum
Houghton EC.B1328.620ib - Novum organum scientiarum Wikimedia Commons Francis Bacon · Public domain

概要

知識は力なり。古い書物の権威ではなく、観察と実験を積み重ねて自然を問えと説いた。知らないと認めるところから近代科学が始まる。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

関わった人(1)

フランシス・ベーコンAD1561年1月22日–AD1626年4月9日 · 著者

本文

フランシス・ベーコンは、法律家で政治家だった。エリザベス1世の重臣の家に生まれ、ケンブリッジで学び、弁護士から議員になり、ジェームズ1世のもとで出世を重ねて、1618年には大法官という最高の法の官職に就いた。その一方で、若いころから、人間の知識をまるごと作り直すという大きな計画を抱いていた。

1620年、ベーコンはその計画を『大革新』と名づけ、その一部として『ノヴム・オルガヌム』を出した。題は「新しい道具」を意味する。アリストテレスの論理学の書は、中世以来『オルガノン(道具)』と呼ばれ、学問の基礎とされてきた。それに代わる新しい道具を示す、という宣言が込められている。本の表紙には、地中海の出口にあるヘラクレスの柱のあいだを抜けて、外の大洋へ出ていく帆船が描かれていた。古代の人が世界の果てとした所を越えた大航海のように、知識も古い世界の外へ出ていく、という意味になる。

『ノヴム・オルガヌム』の表紙
『ノヴム・オルガヌム』の表紙Wikimedia Commons John P. McCaskey cropped by Smartse · CC BY 3.0

ベーコンは、まず人の心が陥る誤りを数え上げた。それを「イドラ(偶像)」と呼び、四つに分けた。人間という種族に共通の思い込み、一人ひとりの性格や育ちから来る偏り、言葉が人と人とのあいだで生む混乱、そして古い学説や体系を、舞台の芝居のように信じ込むこと。正しく自然を知るには、まずこうした偶像を心から追い出さねばならない。

そのうえで、彼は方法を説いた。古い書物に書いてあるから正しい、をやめる。少数の例から大きな原理に飛びつかず、観察と実験を積み重ね、そこから一段ずつ一般の法則を引き出していく。帰納と呼ばれる方法になる。熱とは何かを調べるなら、熱のある例、熱の無い例、熱の度合いが変わる例を表にして並べ、比べていく、というように、具体的な手順まで示した。

『ノヴム・オルガヌム』1779年版の表紙
『ノヴム・オルガヌム』1779年版の表紙Wikimedia Commons Francis Bacon · Public domain

ベーコンは、学者たちを三種類の生き物にたとえている。経験だけを集める者は蟻のように集めて使うだけで、理屈だけをこねる者は蜘蛛のように自分の中から糸を出して巣を張る。本当の学問は蜜蜂のように、花から材料を集め、それを自分の力で変えて蜜にするものだ、と。

知識の目的についても、彼ははっきりしていた。人の知識と力は一つになる。自然は、それに従うことによってでなければ支配できない。自然の仕組みを知ることが、自然を人間の役に立てる力になる。のちに「知識は力なり」と要約される考え方で、学問を、静かに真理を眺めることから、世界を変えるための営みへと向け直した。

フランシス・ベーコンの肖像、ヴァンダーバンク画(1731年、1618年頃の原画に基づく)
フランシス・ベーコンWikimedia Commons John Vanderbank · Public domain

ただし、ベーコン自身は、ほとんど発見をしていない。数学の役割を軽く見て、コペルニクスの地動説も受け入れなかった。同じ時代の医師で、ベーコンの主治医でもあったウィリアム・ハーヴェイは、彼は大法官のように哲学を書く、と皮肉ったと伝えられる。方法を説いた人ではあっても、その方法で自然を切り開いた人ではなかった。

本が出た翌年、ベーコンは裁判の当事者から贈り物を受け取っていたことを議会に追及され、職を失った。晩年は研究と著述に打ち込んだ。1626年、雪で鶏の肉が腐らずに保てるかを試そうと、寒い日に鶏に雪を詰めて体を冷やし、それがもとで病に倒れて死んだ、と伝えられる。最後まで実験の人であろうとした、という逸話になる。

彼の名が大きくなるのは、死後のことだった。1660年にロンドンで王立協会の設立ができたとき、会員たちは自分たちをベーコンの後継ぎと考え、協会の歴史を記した本の口絵にもベーコンの姿を描いた。ボイルやフックらは、実験を重ねて報告し合う、彼が描いたような学問のやり方を実際に始めた。18世紀のフランスの『百科全書』も、学問の分け方をベーコンに学んでいる。

『百科全書』に関わる図版:Encyclopedie de D'Alembert et Diderot - Premiere Page - ENC 1-NA5
『百科全書』Wikimedia Commons Long List of Contributors to the Encyclopédie · Public domain

『サピエンス全史』は第14章で、科学革命を「無知の発見」と呼ぶ(物語「『サピエンス全史』で読む歴史」)。知るべきことはすべて聖典や古代の賢者の書に書いてある、という前提を捨てて、まだ知らないことがあると認めたところから始まった、という筋になる。古い権威を疑い、知識を力と結びつけたこの本は、その起点の一つに置かれている。

出典(1)

ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳) 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』第14章 無知の発見と近代科学の成立

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